思い出すことなど(11)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。 

(前回の続き)
勉強に仕事にフル回転、の日々もそろそろ一年になろうとしていた。いつまでもこんなことは続けられない。疲れてしまう。猛勉強のかいあってだいぶ自信がついたし、そろそろ前に進みたい。懸命に取り組むようにはなったが、やはり全然好きになれない会社の仕事。まずはこの仕事を辞めなくては。
辞めるにはどうすればいいのだろう。ドラマとか映画とかでは「辞表」というやつを出すのをよく見ていた。やっぱりああいうの出すのかな。なんか嫌だな。やっぱり直属の上司に「辞めたいんですが」と言う方がいいか。辞めるんなら、やっぱり年度末で辞めるのが区切りがいいよな。社則には確か、退職の2ヶ月前には申し出ること、とか書いてあった気がする。じゃあ、1月中には言おう。
記憶は定かではないが、おそらく新年明けて間もない時期に行動に出たのだと思う。直属の上司、主任のY氏に折を見てこう話しかけた。「あの、相談があるのですが、お時間いいでしょうか」私がこう言うと、主任の目が輝くのがわかった。「おおっ」という声も出た。私が少し前とは打って変わって別人のように仕事に取り組んでいることは主任も感じていたのだろう。このタイミングで相談ということは、ますます仕事に前向きに取り組むための話に違いない、そう思っていることは目を見ただけで伝わってきた。「目は口ほどに物を言い」ということわざがあるが、あれは本当なのだなあ、とわかった。しかし私が話そうとしていることは、おそらく期待されていることとは正反対。何しろ、ここを辞めて別の仕事をしたい、というのだから。私にそのつもりがなくても、大げさに言えば、この会社、この仕事を否定するような行動に出る、そういう宣言をすることになるのだ。
オフィス内の、人の少ない場所で主任と向かい合う。躊躇している場合ではない。言いにくいことはいきなり言ってしまうのだ。目を輝かせている主任に、私は前置きもなく、単刀直入にこう言った。

「会社、退職させていただきたいのですが」
「なに!?」

主任はのけぞった。あんなに絵に描いたように人がのけぞるのをあまり見たことがない。まさに「寝耳に水」というやつだったのだろう。しかし、さすがは大人だ。特に騒ぐこともなく、主任は「わかった」と言ってくれた。「ああ、わかったのか」と私は安心する。体中の勇気を振り絞ったので、もうそのあと何をする気力もない。あとは任せておけばいいのだろう、そう思った。
 が、しかし...

大変だったのはそれからだ!

私が実際に会社を辞められたのはそれから何ヶ月もあとのことである。辞めるまでにはまだ越えなければいけない山があったのだ...

―つづく

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横浜で翻訳業を営んでおります。最新訳書『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』『脳はいいかげんにできている』『ヨーロッパ炎上』など。saku saku大好き。トミタびと村民。ベイスターズファン。
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