思い出すことなど(64)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1995年頃の話です...

仕事は結局、いつもよくお願いしている人たちに頼むことになった。一人くらい新たに募集したような気もするけど、記憶が定かではない。驚くのは、社内の誰一人、翻訳部の人たちも含めて、本当に誰もこの仕事に不安を抱いていないということだった。この人たちなら精鋭だからできるでしょう、くらいの雰囲気だ。私一人だけが大きな不安を抱えていた。いや絶望していた。九分九厘以上の確率でうまくいかないと確信していた。どうして誰も不安に思わないのか。理解ができなかった。自分で訳す部分も少しはあったけれど、ほんの少しだ。先方では大風呂敷を広げたけれど、このままではウソをついたことになってしまう。売り込んだ時には、こうなることをちゃんと知っていたはずである。できないに決まっていることを「できる」と言ったのだから大ウソである。「自分なら」できる、というのは本当だったので、「ウソをついていない」と思い込むことはできた。その時点では、ごく少量の仕事だけ出る、という可能性も低いながらあったわけだし。少量の仕事なら自分一人こなせるし、きっと満足してもらえたはずだった。いきなり大量には出さないんじゃないか、という観測もあったけれど、甘かった。売り込みがあまりにも鮮やかだったのがかえってアダになった。不遜な言い方に聞こえるかもしれないけれど。

もはや、打つ手はなかった。The show must go on.幕が開いたら、もう最後まで演じるしかない。今できることを最大限やるしか、もうどうしようもないのだ。

私は神に祈っていた。どの神かはわからなかったけれど、どこかにいるはずの私だけの神に。

「自分の予想が大外れして、全員がとても良い訳を送ってきますように」

ひたすらそう祈ったのだ...

―つづく―

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