思い出すことなど(20)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。

(前回の続き)

新しい職場への出勤第1日、確か9月の7日だったが、その日、私が最初にしたのは、とても大事なことだった。人によっては、えっそんなこと? と言うかもしれないが私にとっては、それ以上大事なことはないというくらい大事だった。大げさでなく、生きるか死ぬかの問題だった。それは、

給料日が何日か

を確かめることだった。すでに書いた通りその時の全財産はわずか7万円。それで給料日まで生きなくてはならない。そして、27日には家賃の引き落としがある。家賃は5万5000円だった。もし、給料日が27日よりあと、たとえば月末だったとしたら、私は20日以上の期間を1万5000円で過ごさなくてはならない。1日あたり600円あまり。なんとかなるように思えるが、そうではない。横浜から会社のある広尾までの交通費を払うと赤字になってしまう。交通費は後払いである。就職したおかげで金に困るという逆説的な事態に陥る。中流家庭で何不自由なく育ち、大きな挫折なく育ってきた私が、貧乏というものの奥深さをはじめて垣間見た時だったと思う。

あっ25日ですよ。

総務のお姉さんのその答えを聞いて、私がどれほど安堵したか想像してみて欲しい。25日なら、7万円フルに使える。1日あたり3888円。まさに天と地、月とスッポンである。むしろこれは金持ちといってもいい。使いきれないよ、と思ったけど使い切ってしまった。
だいたいこの思考回路がおかしいと思うのだ。なぜあるだけ使い切ってもいいと思うのか。自分でも謎だ。もう一人の賢い私は、そんなことでは困るぞ、と考えるのだが、もう一人のぐうたらな私は、うるせえ、なんとかなるんだよ、いいじゃねえかと一蹴してしまう。
驚くことに、そして困ったことにこの人間性は今に至るまで基本的には変わっていない。そのせいで苦労している。自業自得だが。どうしたものかねえ。皆さん、ほんとどうしたらいいですかね。この大バカモノを。
さて、第一の危機は回避した私だが、そのあとは順調だったのかというと、そんなことはない。むしろその逆だ。翻訳の仕事がしたいという希望に近づくどころか、遠ざかっていくように感じる日々が続く。それだけではなく、自分という人間の価値すら疑いたくなるような毎日が続くことになるのだ。

―つづく―

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