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365日アウトプットの場としてnoteを更新する試みを始めてみる

日々のインプットや感じたことのアウトプットの場として活用する。

自分は本を結構読む。年間100冊弱くらいは読む。めちゃくちゃ多いわけではないけど、平均的な社会人と比較したら結構多い方だと思う。

インプットよりもアウトプットの割合を多くすべきなのは100も承知で、それができていないのが現状。

だから、365日アウトプットできるくらいにインプットもするし、アウトプットを習慣づけるという意味も含めてこんな試みを始めてみようと思う。

以前、アフィリエイトという形でブログを書いていた。文章を書くことも読むのも大好きだったから、もちろん「自分の思考の整理」という意味合いもあって暇さえあれば記事を更新してた。

でも、それ以上にやるからには収益化だったり、多くの人に読まれたいという気持ちがあった。

だからSEO対策をがっちりしたタイトルをつけ、コンテンツにも自分の気持ちはほぼ入れず、ユーザーにとってどう有益か?というポイントだけに絞って書いていた。

それはそれで楽しかったし、毎日少しづつ自分の資産が作られていくという感覚がかなり面白かった。しかし、収益や有益な情報を書くということだけに特化して文章を書くことに疲弊してきたのも事実。

人に読まれるかは関係なく、あくまでも「思考の整理の場」

そこで、今回noteを使って

・日々感じたこと
・学んだこと
・自分の考え
・Etc....

を整理するためだけのためにアウトプットの場として活用しようと思う。

だから、人に読まれるかどうかは関係ない。(読まれたら嬉しいけど)

そこを割り切った瞬間、書きたいことを書くことができる。もちろん、人を誹謗中傷するような記事や、ネガティブな記事を基本的に書かない。

自分の知識や考えを整理し、文章を書く楽しさという自分の趣味を楽しむため、という純粋な気持ちで「note」というシンプルなプラットフォームを活用する。

家の日記帳に書かずにオンライン上に公開した方が安全・安心

きっと、書き連ねる文章は浅はかでチープなものも多い。でも、日記帳ではなくオンライン上に書くのには理由がある。

それは、オンライン上に「誰かに読まれるかもという前提」で文章を書いた方が安全だから。

これはちきりんさんがどこかで言っていたことで、亡くなった人の日記や手記が死後に公開されたり、出版されて多くの人に読まれるということがある。

有名なところで言えば、『アンネの日記』や『二十歳の原点』だと思う。しかし、これらは多くの人にいずれ読まれるだろうと思って書かれた文章ではない。

であれば、節度のある文章をオンライン上に「読まれるという前提」で書いていくべきなのではないかと思ったから、わざわざiPhoneのメモ帳でもEvernoteでもなくnoteに書く。

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