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紙やメモ帳ではなく、noteなどのオンライン上に文章を書いている理由

なぜただの日記や思考の整理としてのアウトプットをわざわざオンライン上のnoteを使って書いているのか。

いくつか理由はあるけれど一つ大きな理由として、ちきりんさんの書籍『「Chikirinの日記」の育て方』に書いてあったことに影響してる。

オンライン上に公開することについてこんなことが書いてあった

1つ目の理由は、以前他の記事でも書いたんだけど簡単にいうと

「読まれる前提」で書いた文章とそうでない文章を書くのであれば、前者の文章の方が安心安全だよね。

こんなことが『「Chikirinの日記」の育て方』に書かれていて、かなりしっくりきた。


例えば『アンネの日記』や『二十歳の原点』なんかは、死後に本人以外の手で出版されて、有名になった日記たち。これらは確実に「読まれる前提」で書かれた文章ではないはず。

Noteでは何者でもない文章も読まれる可能性が高い

2つ目の理由はnoteというプラットフォームが、何者でもない人の文章も読みたくなる、読まれるような特殊な感じがするから。

WordPressで独自ドメインを取得してサーバーをレンタルしてブログを書いていた時は、月に3万PVくらいはあった。でもそこに求められてるのはあくまでも記事の中の自分のノウハウや知識、経験。

何者でもない自分のオピニオン記事を書いたところで、それは検索されずに誰にも読まれない。
逆に自分も何者でもない人の日常なんて興味ないし、間違えて飛んじゃっても即リターンキーを押して戻る。

でも不思議とnoteっていうプラットフォーム上だと、色々な人の日記が気になるし、読んじゃう。
だからここに感じたこと、考えたこと、日記的なものを整理して投稿するのは面白いと思った。

せっかくなら考えたこととか、写真とかのポートフォリオ的なのにしたい

最後の理由としては、これまたnoteというサービスが素晴らしい!って話に執着しちゃうんだけど、「なんでも投稿できる」ところが気に入った。

今書いているようなダラダラとしたくだらない文章も投稿できるし、写真も、つぶやきも、動画も音声も投稿できる。

そしてそれらは、「文章の投稿」「写真の投稿」「動画の投稿」って分けられずに、全て自分の投稿としてひとまとめになる。
これこそがnoteの魅力の一つだと思って、なんでもあり感が最高に良い。

文章でも写真でも動画でも投稿できて、それらを長年かけて積み上げていく感覚が面白そう。


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