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ブルックリンKinfolkで始まったニューヨークでのDJキャリア。

Brooklyn、ウィリアムズバーグの顔Kinfolkが閉店

ニューヨークはコロナウイルスによるパンデミックから約4ヶ月くらい経っただろうか。

生活は少しずつではあるが改善され、レストランや小売店はオープンしてきたもののエンターテイメント業はいつ営業再開できるのか全く分からない状況だ。

ブロードウェイミュージカルは年内の全公演中止を決めているし、給付金の配布が今月末で終了することもあって自分を含め将来に不安を抱えている人も少なくないと思う。

そんな中、全く予期していなかった悲しい出来事が起こった。

ニューヨークでDJとしてのキャリアスタートのきっかけになったブルックリン、ベッドフォードにあるKinfolk(キンフォーク)がコロナウイルスの煽りを受け閉店することになってしまったんだ。

未だに信じられないし、今は心にポッカリ穴が空いたかの様に悲しくKinfolkでの思い出が頭から離れないでいる。

こんな形では書きたくなかったけど、今回は僕とKinfolkとの物語について少し書こうと思う。

当時、ニューヨークに住み始めた僕にとってKinfolkはとても大切な場所だった。

そしてKinfolkのような素晴らしい場所は、急速に開発が進むウィリアムズバーグには後にも先にも現れることはないと思っている。

DJキャリアのスタートがKinfolkだった

僕は2014年に日本からニューヨークへ移り住んだ。

ニューヨーク移住理由についての詳しいことは以前のブログと動画で説明しているので見て欲しい。

承知の通り、ニューヨークは世界中の人が夢を追いかけてくる場所。

そんな街でレギュラーDJを獲得することは簡単ではないんだけど、移り住んだ時から僕はなぜかすこぶる運が良かった。

ブルックリンのブッシュウィックに住んでいた時に出会ったルームメイトのトオルちゃんがたまたまKinfolkで働いていて、最も信頼する人であり当時KinfolkのディレクターであったJeremiah(ジェレマイア)へ紹介してくれることになった。

Kinfolkとは、カフェやセレクトショップの他にクラブ兼ギャラリースペースを持つとても異色なクリエイティブ集団。当時の僕には全てが新鮮で、その美し過ぎるアーキテクチャー(内装)には当時から魅了されていた。

昼間はカフェ、夜になるとラウンジへ変わるKinfolk90。

Kinfolkで初めて回した時にジェレマイアが僕のDJをとても気に入ってくれて毎週の様に僕を起用してくれるようになった。

僕のニューヨークでのDJキャリアが本格的にスタートしたのはこの時からだ。

また自分主催のパーティーを頻繁に開かせてくれ、DJ Boogie BlindやDJ DP ONE等New Yorkを代表するゲストDJを呼んでパーティーをさせて貰った。

今思うと本当に恵まれていたんだなと改めて思う。

Kinfolkにはセレクトショップもあり、オリジナル商品を中心にWacko MariaやN. Hollywoodなどの日本ブランドを取り扱うことがとても印象的だった。

毎週の様にお店に来てはスタッフとよく連んで遊んだなー。

それから間もなく、Kinfolk90でのプレイが評価され、ナイトクラブKinfolk94でDJをさせてもらう機会を得た。

Kinfolk94とは、Kinfolkが持つナイトクラブ兼ギャラリースペース。

週末は毎回パンパンになるほどの人気のクラブで、当時は毎週、毎月の様にDJできることが本当に有り難く充実したDJライフを過ごさせて貰った。

また当時は、Notorious B.I.G.や2PACのプロデューサーとしても知られるEasy Mo BeeもレジテントDJとして活躍していて仲良くなったのもこの頃。

Kinfolk = 家族

ニューヨークへ移り住んだばかりの自分にとって、レギュラーDJの獲得や心から信頼できる仲間の存在、居場所があったKinfolkの存在はとても大きかった。

因みにKinfolkとは家族という意味。

「ヨー!SHU-G!元気にしてるかー」といつもスタッフが優しい笑顔で暖かく迎えてくれ、まさに家族と言えるほど当時はみんな本当に仲が良かった。

ニューヨークという街は人や街の移り変わりがとても早く、信頼できる仲間を見つけても離れてしまうことも少なくない。

だからこそ、今思うと当時は人や環境に恵まれていたと改めて気付かされる。

大きな分岐点となる出逢い

いつものようにKinfolkへフラッと遊びに行った時、あるペインターがKinfolkの壁に絵を描いていたんだ。

僕は彼のコミカルでとても味のある絵に一目惚れをし興奮して話しかけた。

彼は気さくに話してくれ、直ぐにヒップホップの話で仲良くなった。

彼の名前はJustin Hager。

この彼との出逢いがきっかけとなり実現することになったKinfolkとJustin Hager、僕とのトリプルコラボレーション。

有り難くも、Kinfolkから僕が制作するMix CDとJustin HagerのデザインによるTシャツを発売することになったんだ。

タイトルは、あるニューヨークの有名新聞社の名前をパロった”The New York Rhymes”。ニューヨークからムーブメントを発信するという意味合いを込めて、ニューヨーク出身ラッパーのみをミックスし、Justinには内容に沿ったイラストを描いてもらった。

何とも似てるようで似てない絶妙なイラストがたまらない。

ニューヨークと日本で販売させて貰ったんだけど、彼のコミカルで味のあるイラストが日本のファンにもかなり好評だった。

この企画を快く勧めてくれたのもディレクターのジェレマイアで、彼には心からの感謝しかないし彼が居なければこの企画も実現しなかったと思う。

Kinfolk94ではリリースパーティーも開催させて貰い大盛況に終わった。

まだ聴いたことがない人は是非聴いて欲しい。

素晴らしき時代の終焉

その後少ししてディレクターのジェレマイアがKinfolkを離れ、昔のメンバーも少しづつ離れていく流れで僕もKinfolkでDJする機会が少しづつ減っていった。

また住む場所もKinfolkから少し離れたブルックリンに移り住んだこともあり、徐々にウィリアムズバーグに足を運ぶ機会も少なくなっていった。

間違いなくKinfolkにとってジェレマイアの存在はとても大きく、ディレクターのジェレマイアが離れてから俺の大好きだったKinfolkでは無くなっていくのを感じていた。

しかしながら、昔からいるメンバーは僕がいつ行っても優しい言葉と愛で迎え入れてくれ、またKinfolkで再びDJができる日を楽しみに待っていた。

そして、いつかKinfolkへはちゃんと恩返しをしたいと常に思っていたし、そうできると考えていた中で起こってしまったKinfolk閉店のニュース。

ここ数日ずっとこのことが頭から離れない。

Kinfolkは俺にとって本当に特別な場所だった。

DJとして活躍するため日本を離れニューヨークへ移住した僕を快く受け入れてくれた彼らの存在はとても大きく、Kinfolk閉店というニュースを聞いた今、改めてその存在の大きさに気付かされている。

コロナウイルスの影響で世界の流れが一変するのは分かっていたつもりだったけど、いざ大切な思い出の場所がこういった形で無くなってしまうのはあまりにも残念過ぎる。

叶えられるなら、もう一度Kinfolkでプレイがしたい。

でも時代の流れには逆らえない。

実はKinfolkには共同経営者が何人も居て、既にそれぞれが新しい表現方法の場を作り出そうとしているとのことだ。

共同経営者の1人Maceoと少しだけ話をしたんだけど、近く新しいプロジェクトを始めるとのこと。

全面的にサポートすることは間違いない。

Kinfolkで過ごした日々。

その一瞬一瞬の記憶が、ほんの少し前の出来事かのように走馬灯のように思い出される。

Kinfolkを通して本当に沢山の人達と出逢うことができた。

Kinfolkには感謝しかありません。

たくさんの素晴らしい思い出を本当にありがとう。

Kinfolk forever!! 


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最後まで読んでくれてありがとうございます。コロナウイルスの影響で生きにくくなった時代。こんな時だからこそポジティブなメッセージであったり、力強く生き抜く知恵、有益な情報を皆さんとシェアしたいと思っています。