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【感想】わたしは光をにぎっている

ネタバレなしで感想を書きます。

映画が始まる。視界に飛び込んでくる光景は1カット目から美しかった。

長野の海が、下町の風景が、人々の心が、最初から最後まで、ずーっと美しかった。この感覚を言葉にするのはむずかしくてただただ美しいという感覚だけが心の中をこだましている。

いろんなことが目まぐるしく変わっていく中で変わらないものとはなんだろうか。

食べて、働いて、寝て、住まう。特別ではない日常の中で、特別ではないやりとりをすれ違う誰かと交わす。

人は「生活」と共にあり、「生活」に生かされている。

映画を観ている時忘れかけていた気持ちや感覚が自分の中を流れていって、あたたかいような優しいような包み込まれるような気持ちになった。

どこかで出会ったことのある感覚だ。そうだ、川島小鳥さんの写真を見ている時も似たような気持ちになったんだ。

色んな正解やしがらみにとらわれない子供の頃に見ていた世界の見え方や感じ方の感触がこの映画の中には確かにあった。

そして、子供が大人になろうと少し背伸びしたり、社会の人たちに小さく引っ張ってもらう時の、勇気や感謝や憂いがあった。

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初めて一人暮らしを始めたとき、わくわくと同時に、今までの何かが終わったような寂しさと、これからの不安があった。

大人の世界にふれたときや、足をふみこんだとき、不信感や嫌悪感がちょっぴり潔癖なくらいに自分の胸の中をひっかいて怒りのような気持ちがわいていた。

いろんなことに慣れて、図太くなって、受け容れてを繰り返していく中で、忘れてかけていたかつての自分がそこにいた。そしてそんな少年は顔こそ出さないけれど今でも自分の中には住んでいるのかもしれない。

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後半からエンドロールにかけて感じた体温は確かに愛だった。
心の底から人にありがとうって思ったときや愛おしいと思ったときにこみあげる涙の感覚。

この映画を観て流す涙は、きっとみんな熱くて優しくて愛おしい涙なんだと思う。

走馬灯のように人々の顔が浮かぶ。そのすべての連なりが淡い光になって心の中へ溶け込んでくる。

現実は優しくはなくて、みんないっぱいいっぱいだ。楽しいことも苦しいことも不安なことも生活の中には散りばめられている。だけどそんな中にも時々感じられる幸せがある。

たまたますれ違った人とする何気ない会話や、街の中で出会う小さな気遣い、一生の中で数ヶ月や数年だけ時間を共にする出会い。それは些細な幸せで何気ないできごとかもしれないけれどそういう生活の中の光に私たちは生かされている。

そんな希望を、繊細な表現で描いた作品だった。

カネコアヤノさんの主題歌が、というよりも歌声自体が、この映画にぴったりだった。カネコアヤノさんの歌声を聴く度にこの感覚を思い出すことができるから、これから大切なことを忘れそうになったときは何度もカネコアヤノさんの歌を聴いて、この映画のことを思い出そうと思う。

ヘッダー写真は代々木公園にて2019年11月16日に撮影

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