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旅人のこころ

今日は大学時代に札幌の街で出会ったとある婦人とのエピソードを綴ります。

大学生になって田舎から引っ越してきたばかりの僕は、札幌の街で友達を待っていた。あの日もたしか初夏だった。

札幌の大通には車がたくさん走っている。僕はドラッグストアの近くの花壇に腰掛けて新鮮な街や道ゆく人をながめていた。

すると隣に婦人が座ってきた。僕が軽い会釈をすると会話がはじまった。

「札幌には、出てきたばかりなんです。」

「どこからきたの?」

テンプレのように地元の名産品の話をする。

「あなたを見ているとなんだか息子のことを思い出したわ」

「私の息子もこんな髪型をしているの」

当時の僕はロングの茶髪でくるくるのパーマヘアだった。オレンジのパンツをはいて旅人風の風貌だったと思う。

それから、婦人は自分の息子について色んな話をしてくれた。

息子にしばらく会っていないこと。息子はカメラマンをしていて発展途上国を転々としていること。彼の無事が心配なこと。だけど自由な生き方を応援していること。滅多に会えないのが寂しいこと。

娘は日本にいるけど娘も同じく遠く離れて暮らしていること。

僕は彼女のことを気品があるけど少しファンキーで、同時に影もある人だと感じた。なんとなく彼女はシングルマザーな気がする。

彼女と息子たちとの関係は良好ではなかったのかもしれない。彼女の話から察するに息子たちは彼女に一定の距離感を置いているのだと感じた。物理的にだけではなく心理的にも。彼女の言葉の節々に愛があった。きっと彼女は不器用に息子たちのことをとても愛しているのだと思う。

僕は自分の親のことを想った。僕もその息子たちのように親に一定の距離感を置いていると自覚していた。嫌いなわけじゃないけど特別好きでもない。お互いに不器用な関係性。僕の親も態度には出さないけどきっと同じように僕を不器用に愛しているんだろうな。

婦人との出会いは僕が親を「親ではなく一人の人間」として見るようになった一つのきっかけだった気がする。

婦人と大人と子供ではなく一人の人間として向き合ったことで人間が親になって抱える色んな感情が心の中に転がりこんできた。

婦人が僕の腕を見て言った。

「かわいそうに!お金をあげるから薬を買ってきて!」

当時の僕はアトピーがとてもひどかったのだ。

「あなたが自分の子供のように愛しく思えてしまったの」

その瞳を見て僕を溺愛するおばあちゃんのことを思い出した。婦人が僕に1万円を握りしめさせようとする。とても受け取れなかった。知らない人からまっすぐに愛をぶつけられることになれていなかったし、薬を買うのに1万円は大きすぎる金額だったから。

「あなたに何かしてあげたいのよ。」

「気持ちだけで十分嬉しいですよ」

少しだけ話をしてから婦人と別れた。

不思議な時間だった。だけど豊かな、旅のような時間だった。旅をしているとたまに人との思いがけない関わりが生まれる。きっと旅をしているとき人は世界に対して心がオープンになっているからだろう。札幌に来たばかりの僕の心は旅人だった。新しい世界に心はオープンになっていた。


あの日のことは今でもたまに思い出す。あのお金は受け取ってあげた方がよかったのかなあ。でも僕にとっては受け取らなくてよかった。当時の僕にとって1万円は大きすぎたし、1万円を受け取っていたら婦人の思い出より1万円の強度が勝ってしまった気がする。

旅をするように世界に心をオープンにしながら日常をすごしていきたい。きっとその心は、素敵な出会いを自分の下に運んでくれるから。

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