見出し画像

東京の漫才にピンとこない。

水道橋博士が自分にとって一番のエバンジェリスト(伝道師)である。

ブログもツイッターも、博士の影響で始めたし、博士が出演していた「小島慶子キラ☆キラ」を聴き始めたことがきっかけで、TBSラジオのヘビーリスナーになった。

なので、ライムスター宇多丸氏や町山智浩氏の影響で映画を観るようになったのも、さらに「菊地成孔の粋な夜電波」を聴いていなければ、我が人生最大の師に出会えていなかったかもしれず、自分の人生40代以降のすべての興味は水道橋博士から始まっているといっても過言ではない。

体調を崩されてしばらく活動休止していた博士だが、最近また積極的に活動されているようで、とてもうれしい。

新しいメディアへの対応が早い水道橋博士はさすが、すでにYouTubeでも面白いコンテンツをどんどん投下している。

「水道橋博士の異常な対談」チャンネルの中で、伊東四朗氏をゲストに迎えて行われた、昭和の演芸史を貫通するようなトークなどは見応えがあった。

「藝人春秋」シリーズなどの著作もそうだが、ルポライター芸人としての博士の仕事は文化的重要度が高いと思う。

サブカルこじらせおじさんの私が、リスペクトしている一人であることは間違いない。


では、当然「浅草キッド」の漫才の大ファンでもあるかというと……。

残念ながら、これが面白いと思えないのだ。

「面白味」はわかる。話術の高さもわかる。時事ネタや下ネタのギリギリのところを攻める凄さもわかる。客がウケるのもわかる。こういう笑いが大好きな人も多いのもわかる。

でも、個人的には笑いのツボにはまらないんだよね。

ナイツもそうだし、爆笑問題もそう。

そもそも、博士には悪いが、博士が尊敬してやまないビートたけし氏を面白いと思ったことがない。

どうも東京のお笑いが苦手なようだ。

いや、コントは東京のほうが面白いグループが多いから、やっぱり漫才に関しては関西のほうが好みなんだろうな。

でも、オズワルドとかハライチとか発想で勝負できているネタをやるコンビは好きだしな。

関西弁で「なんでやねん!」とか「アホちゃうか!」とか言ってればいいってもんでもないし、むしろベタ過ぎると観ていて腹が立ってくるほどだ。

ちょっと分析すると、「言い間違いを訂正する」「言っちゃいけないこと、不謹慎なことを言う」「白々しい見栄を張る」というのをボケとする関東漫才のパターンが嫌いなのだ。

「毒舌」とか言ってるけど、逮捕された芸能人の名前を出して「よしなさい!」とか、言い間違いにしても結局ダジャレかよ!とか、そのフレーズが言いたいがためだけの長いフリとか、あえて極端に金持ち自慢してるんですよ…とかは、「何がおもろいねん!」と思ってしまう。

浅草漫才

自分は鹿児島出身なので、子どもの頃からクラスのお楽しみ会で漫才を披露するのが当たり前らしいという大阪の文化の中で育ったわけでもないし、日常の中でボケたら必ずツッコミを入れないといけないという強迫観念を植え付けられてきたわけでもない。

むしろ田舎過ぎて、ドリフや欽ちゃんなどの全国ネットのテレビでやっているものだけが大衆演芸なのだと思い込んでいたふしもあるぐらいだ。

それでも土曜日の夕方には吉本新喜劇の番組が放送されていたり、「ヤングおー!おー!」を毎週楽しみにしていた子供時代だったので、西の文化圏の刷り込みみたいなものは多少あるのかもしれない。

でも、結局は自分も「松本人志原理主義者」みたいなところある。

決定的だったのは、やはりダウンタウンの凄まじい出世街道をリアルタイムで目の当たりにしたことによって、価値観の転換が起きたことだ。

これは良くも悪くもなところがあって、ダウンタウン以降のあらゆる芸人やタレントが、「これ斬新じゃね?」「逆に面白くね?」「哀しいけど、なんか笑えるんじゃね?」みたいな工夫をいくら凝らしても、「そういうの、もうすでに松っちゃんがやってるから。」という呪縛に囚われているということでもある。

雨の日も風の日も朝夕刊の新聞配達をしながら、風呂なしトイレ共同四畳半アパートでの生活、日曜日は新聞代の集金に夜まで各世帯を訪ね回って不快な思いをすることもあった。そんな鬱屈した日々。新聞販売所の土間を上がって、まかないのカレーを食べながら「ごっつええ感じ」を観て、畳の上を転げながら腹がよじれるほど笑った。大げさではなく、本当にダウンタウンの笑いに救われたという思いがある。

世代っちゃあ世代だから、今の若い子たちは全然違うところで笑っていて、むしろ松っちゃんの笑いこそが笑いだと思ってるおじさん連中はダサいしうっとおしいだけなのかもしれないけど。

でも「発想を飛ばす」ということが何よりも重要という価値観は揺るがなくなった。

うまく喩えられているかは自信がないけど…。

「1+1は?」で「3」と答えても、それはただ間違っているだけで、それを「いや、2だよ!」と訂正したところで、それで笑いは起きず、じゃあ「1+1=35億!」と大きく外したからといって、大きくボケたことにはならない。

「いちたすいちは〜。ウスッ。」と頭を下げて、「いや、そういう挨拶じゃないから。」と突っ込むというような、まったく違う角度から返していかないと、裏切りにならないと思うのだ。

「なんやねん、それ!」という驚きがある笑いが好みだし、音楽もそう。

多分、予定調和が好きじゃないんだと思う。

でも、松っちゃんも「一周回ってあえてベタをやる。」という手段で逃げることも多いからなあ。

とにかく、ジジイになっても「ダジャレを嬉々として言うようにはなりたくないなあ。」と自分に言い聞かせる今日この頃である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?