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”女の子だから頑張らなくていいよ”と言われてから20年が過ぎた


”女のコだから頑張らなくていいよ”


幼稚園のころ、父親から言われた言葉。

5つ年上の兄と7個年下の弟の真ん中に一人娘として生まれた私は、小さいころ、兄が勉強や運動に対して父親から厳しく叱られているのをみていて、自分も兄と同じ年齢になったら同じように頑張らないといけないんだと思っていた。


しかし、父親から言われた言葉はこうだった。

”女の子なんだから無理して頑張らなくていいんだよ”


父親はサラリーマン、母親は専業主婦。


私の父親は誰もがわかる某企業のサラリーマン。

母親は兄が生まれた時からずっと専業主婦だった。


父親は働かなくてはいけないし、家族で一番頭が良くなくてはいけない、でも家族の生活の決定権をもっている。

母親は家事をこなし、常ににこやかに接し、父親が帰宅するまで寝ずにご飯を温め待っている。

女性として恥ずかしいことはNGで、家族の前で着替えたり、ソファに寝転がって昼寝をしたりすることもなかった。

でも社会の荒波に揉まれることもなくお家の中で生活しているお母さんが凄く羨ましく、女性の幸せの象徴だと思っていた。

そんな風に父親、母親の役割を定義をしていた私は、”常に女性は男性を軸に生活するものである”と思っており、私の将来の夢は中学生までずっと”お金持ちの男性と結婚すること”だった。

”旦那さんの稼いでくれたお金で私は好きな服を着て、好きな場所に旅行に行く”

そんな未来に憧れ、その夢に何の違和感も感じず生きていた。


私の生活の軸は私


そんな幼少期からは全く想像できないが、私は18歳で上京し、4年間大学に通い、希望の業界に就職し、この春社会人2年目が終わろうとしている。

私の生活の軸は、親でも彼氏でもなく、紛れもなく自分である。

自分で働いたお金で好きな服を買い、行きたい場所に行き、会いたい人と会って自由に生きている。(最高…!!)


”女性だから頑張らなくてもいい”

父からの言葉が苦痛だったわけではない。


若干の違和感は感じたが、むしろ”女性だから”と言い訳できる安心感を感じながら、私は20年間生きてきた。


お金持ちの男性と結婚することが夢だった私の考えが変わったのはいつからだろう。


まだ地元の田舎で生活していたころ、絶対東京にいくと決めていたわけでもないし、いい大学、いい会社に行きたいと思っていたわけでもない。

ただ

”(女性だから)頑張らなくていいけど頑張ってみる”

”(期待されていない)自分に少しだけ期待してみる”

そう思いながら生きていたら、なんだかんだ大学に受かり、希望の業界に入り、男性と変わらず仕事をして、今に至る。


振り返ってみると、東京に出て一人で生活しているうちに、”女性だから頑張らなくていい”という言葉から少しずつ解放されていった。

思い返してみても、誰か・何かに影響されたというきっかけは思い出せないが、自然と、徐々に、流れのままにその言葉が消えていった。


そしてそれとは引き換えに、”女性として強く生きていかないといけない”というプレッシャーを感じるようになり、それは徐々に大きくなっていき、時にはそれに押しつぶされそうになったり、自分を奮い立たせてくれたりもした。


”女の子だから頑張らなくていいよ”と言われて20年が過ぎた今、私は”女性だから”という言い訳を完全に失い、自分の軸で生きている。

他人を軸にした人生も凄く素敵だと思うが、今はもうしばらく自分を軸に生きていきたいなと思う。







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