義両親との完全同居で唯一のメリット
はっきり言って、昭和の農家に嫁いできて、そうそうメリットはない。
私が旋風を巻き起こし、ブラック企業は脱したけれど、農家に嫁ぎ手がないというのもうなずけるくらい、環境は悪かった。
だけど、農家であれ、非農家であれ、義両親との完全同居(または敷地内同居)で、唯一、メリットとして感じられることになるのではないかと思うことを書いてみようと思う。
私が育った環境
私は、サラリーマンの父と専業主婦の母。弟、妹がいる、ごく普通の核家族で育った。
祖父はいなくて、父方と母方の祖母には、盆と正月、彼岸参りに会いに行くくらいだった。
母は、年に数回しか会わない父方の祖母のことを兄弟のうち、私にだけ捌け口にして悪口を言った。私は兄弟のなかでいつもそういう役回りだったのだ。
弟や妹は直接は言われないけど、雰囲気を察知して、母の姑にあたる、父方の祖母に寄り付かなくなった。
小学生の頃はよく寝泊まりしたけど、父方の祖母のほうに泊まるのはいつも私の役割。弟や妹はいとこのたまり場である母方の祖母のほうへ寝泊まりした。
父方の祖母は戦争で夫を残し、厳しい時代に女手ひとつで子供を育ててきたというだけあって凛として厳しい人だったので、緊張感もあったが、私はかわいい孫を演じて過ごした。
お陰で、兄弟3人の中では一番祖母との距離感は近くなった。
そんな祖母が、私が思春期に差し掛かったころ、今度は母の悪口を私に言って聞かせた。
母とは兄弟のなかで一番相性が悪いのでそれも見抜いてのことだったかもしれないけど、板挟み状態になった私は複雑な思いでいた。
そんな私が決めていたこと
子供を授かった時から決めていたことがある。
私が抱く義両親に対する思いは、悟られないようにすることだ。
だから、子供たちには、ごく最近まで意識して、1回も義両親の悪口も言わなかったし、義両親がかえって来るのを見計らって「帰ってきたよ。『おかえり』は?」
と、特に畑帰りの挨拶を定着させようと、幼いころには促した。
親の自己満足かもしれないけど、畑で仕事をしてくる義両親に少しでも感謝や尊敬の念を抱かせたかったからだ。
それが良かったのか、悪かったのか、義両親は赤ちゃんの世話は苦手だからほとんど関わらなかったし、育児に大いに加担したわけではないけど、やがて歩き出し、喋りだした孫は可愛かったみたいで、息子は保育園のあいだ、義父と義母の部屋で寝たし、それなりに関りをもちながら大きくなった。
私はもともと無口なこともあって、そんなに義両親と会話はしないし、子供たちにごく最近になって、多少毒を吐いたこともあるので、そんな雰囲気から、私と義両親の関係は察知していると思う。
だけど、いまだに私がほとんど立ち入らないリビングのこたつで、義母がテレビをみている傍で娘がたまの帰省で気持ちよさそうに眠りについていたり、息子が同じ時間を過ごしたり、時には義父の病院への送り迎えを買って出たりするのを見ると、子育ては成功したのかなと思う。
私が義母と同じこたつで足を入れるのは、正月の親戚が集まったときだけだし、義父とは出歩いたことはない。
子供たち(私)が得ることが出来たメリットとは
昔は多かった大家族。生まれながらにして祖父母の居る家で育った子供たちは、日常で、また大きくなる過程で親以外の価値観に遭遇する。
年に数回、祖父母と会うよりも、濃厚なつきあいをするのだから、それは必然だ。
年に数回しか祖母に会わなかった私は、祖母の性格や人格なりを表面でしか知ることが出来なかったけど、子供たちは、両親のことはもとより、祖父母がどういう人で、およそどんな性格でどんな考えをするのか知っているはずだ。
もちろん、両親とのちがいに戸惑ったこともあるのかもしれない。
だけど、違う価値観を持つ家族の中で上手く波長をあわせる術は得たと思う。
親の私から見て、自身の子供の頃と比べて、子供たちが、年寄りの人から、先生、先輩、後輩と幅広い年代の人と広範囲にわたる人と、上手く波長を合わせられるのは、そういった生まれながらの環境にあると感じる。
私がそれ以上に得たこと
それは、人の「生きざま」「年の取り方」を身近で見ることができること。
私がこちらに嫁いできて、農繁期には人を雇っているので様々な人と接触するにせよ、極めて他人との接触は少ない。
実家とは疎遠だからなおさらだ。
だけど、義両親と同居することによって、「生きざま」「年の取り方」をまじまじと感じることになった。
両親より年代が上の昭和初期の生まれの義両親と同居するには、一筋縄ではいかないが、年寄りと同居することもなかったし、実両親もどう年をとっているかは今となっては「梨のつぶて」なので、身近なところで、それを見届けることができるのはメリットかもしれない。
最後は「死にざま」を拝見し、その後の人生に活かせたらと思っている。
さいごに
子供にとっては母方の祖父母とのつきあいを親の都合で疎遠にしてしまったのは申し訳なかったけど、あえて、どんなことがあっても、同居している祖父母との関りは絶たないよう心がけてきたつもりだが、私にとっても子供たちにとっても何らかの「財産」として残ってくれることを願ってやまない。