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Withコロナ 私たちはどこに住んでいるのか

「経済活動の空間と帰属意識」の関係性について少し考えていきたい。

最近、コロナのおかげで1日の大変を家で過ごしている中でふと

住む(Live) = 「その空間に生きる」だとして、これまではどこか市街なり地域に住んでいるという感覚があったが、それが失われていることに気づいた。

実際、外に出る機会がほとんどない状況において近隣地域の空間を共有する経済、社会活動(地元スーパーでの買い物、公園への散歩、地元の人との道端での雑談)がなくなった。そして、それにより「地域に生きている」という認識が自分の中で薄れていった気がする。


本来私たちはどこに住んでいたのか?

「市町村」「地域」や「県」といった区分なりさらに大きな「国」や「世界」といった様々な枠組みで定義される空間に私たちは住んでいる。

私は「日本に住んでいる」ということに対し比較的強い感覚をもっている。それは、日本人として税金を納め、日本の法制度の元で経済社会活動をし、日本の教育を受け、大方日本の文化や慣習に従って生きていると考えるからだと思う。言い換えるならば、日本の空間を作り出している要素(人、文化、制度)を意識し認識しているからこそ、そこに帰属意識を感じ住んでいるという実感を得ている。

同様に、私は「()地域」に住んでいるという意識が強い。それは、地元ゆえにその土地の「風土」や夏祭りなどの地方伝統文化や行事を把握し、近所の人との交流があるからだと思う。その社会のデザインなりシステムに馴染みがあるからこそ、その空間デザインをより身近に感じる気がする。

私にとって空間に対する認識は、日頃の社会経済活動を通して、「空間やその空間を構成する要素との関係性」の中で生じる相対的なもの(相対空間)であったと気づいた。


Withコロナの今日、私たちはどこに住んでいるのか

オフラインの関係をオンラインの空間で
逆に、最近一日のうち多くをオンラインで過ごし オンライン上で仕事をし 会話をする中で「オンライン空間に住む」という感覚が強くなったかというとわたし個人はそうではない。

きっとそれは、オンラインで交流するといっても、実際はオフラインで知っている人とskypeしたり連絡をやり取りしていて、オンライン上の関係というよりオフラインの関係をオンラインに持ちこんでいる場合が多いからかもしれない。

しかしながら、これからより一層、オフラインの空間だけでなくオンラインの空間デザイン(UI)等も進んでいくのは確かである。一体、快適な、住みやすいオンライン空間とはどの様な体をなすのだろうか。その空間にいることを意識させる要素は何なのだろうか。


多重空間に住むとは

「オンライン」と「オフライン」をせわしなく行き来し経済社会活動をする私たちの日常の中で「空間に生きる」(住む"Live")という考えが少しずつ変化しているように感じる。

空間で生じる「関係性」がその空間に住むという意識をさせるものだとしたら「オフラインの関係をオンラインの空間で」というジレンマを私たちはどのように捉えていけば良いだろうか。

Withコロナと言われるこの時代、一体私たちは社会的経済的活動をするにあたり、どの様な関係性を保ち、どこに帰属し、どこの空間で生きていくべきなのだろうか。



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