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かんけいと名まえ

好きな人ができました。

どうやら恋人になったようです。

でもわたしは、恋人の意味も義務も権利も、あまりわからないのです。

恋人なら、何が許されますか。

あなたの貴重なお休みの予定を、もらうこと。

あなたの眉毛を、とくに理由もなく撫でること。

あなたの名前を、たまに怒りを込めて呼ぶこと。

あなたの所在を、知りたがること。

あなたの誠実さを、当たり前に搾取すること。

あなたがわたしを恋人と呼んだから。


わたしは、あなたをわたしの何の人と名まえをつければよいのでしょうか。何と呼べばいいのでしょうか。

名まえをつけると、外圧的な枠や物差しで、あなたをはかってしまうでしょう。

あなたは、

わたしの未来を、あなたと共にあるものとして語ります。

それは、外から持ってきた物差しでわたしを捉えているからではないですか?

ほんとうは、あなたの目線は、あなた自身の現在の延長線上のことしか見えてないように、感じます。

名まえをつければ、わたし達はハッキリと何者かになってしまう。

最初にハッキリさせようとしたのは、わたしでした。でも今考えれば、理由はなかった。名付けを求める根拠は、人生に対する個人の焦燥感でした。

未熟ゆえの、背伸びでした。正解やセオリーの型に当てはめて、居場所を作ろうとした。

だから、何者かになっても、何者としての自覚はなく。きっと2人とも。

ただ、あなたの手を握りたいと、思うだけです。

5本の指を握るのは、なんだか傲慢な気がするから。薬指と小指だけ。握りたいです。


「名まへ」 吉原幸子

さう  いつ
いつか
それは  語られねばならぬ

雪は  花ではないといふこと
海は  空ではないといふこと

       風は唄はない
       ロバは馬ではない
       さうして  父たちは  母たちの  こひびとではない──

けれど
わたしはなほ呼ぼう
風を  光りと
雪を  ばらと
おまへを  こひびとと
わたしは  間違へつづけよう

いいものは  みんなおなじもの
うつくしいものたちは  間違へはしない

すべてのなかに  ひとつがあり
ひとつのなかに  すべてがあるから

ものには  おなじい  名まへ  しかない──

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