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サンエイサンキュー

1992年12月27日 天候:晴れ

有馬記念観戦のため、師走の寒さすら忘れてしまうほどの興奮状態で中山競馬場へ

昼前に到着した時には既に人でごった返していて、芝スタンドのゴール前は場所取りの人人人でとても近づける状況じゃありませんでした。

取りあえず午後から1~2レースの勝負をした後は、早々に有馬記念の馬券を購入し出来るだけゴール近い場所まで潜り込み開始。

なんとかゴール1ハロン手前辺りの場所を確保、当然のことながら座って観戦などは出来るはずもなく立っての観戦でした。


午後3時を過ぎる頃には、満員電車のごとく密接状態でトイレに行こうなんてとてもとても。

馬券は、お気に入りのダイタクヘリオスからの流し馬券…そしてレーススタート。

飛び出したメジロパーマー、出遅れたトーカイテーオー、ダイタクヘリオスは3番手から2番手を追走。

直線に入ってパーマー・ヘリオス2頭が抜け出し、もしかして行った行ったか!?

結局ダイタクヘリオスは垂れて、パーマー逃げ切りレガシーワールド2着ブロンズコレクターのナイスネイチャが3着。


あー外れたかぁ…うん?1頭ゴール出来なかった馬がいる!?

凝視すると下馬したジョッキーの横で、倒れることなく立ち続ける馬
サンエイサンキューでした。

無理使いの過酷なレースを強いられた、人間(馬主)のエゴが原因の故障発生。

その凛々しくも切なく儚い立ち姿は、今でも脳裏に焼き付いています。


通常は安楽死処置がとられるくらいな重傷馬を、これまたエゴ(馬主)により無謀な延命処置が試みられることに。

後日入ってきた情報によれば、複数回の手術の甲斐なく蹄葉炎を発症し心臓麻痺で亡くなったとのこと。

延命させて繁殖牝馬として稼ぐつもりだったと漏れ聞いた時は、馬主に対して怒りしか湧きませんでした。

馬主の方々だって多額の費用を使って、競走馬を所有していることは分かります。

だけど走ることを運命づけられ怪我を負ってしまった、競走馬たちの尊厳も尊重してあげて欲しかったと強く思います。


エリザベス女王杯の時期になると、当時スポーツ紙を賑わしていたので彼女のことも思い出しちゃうんですよね。

田原成貴元騎手の助言通りに、無理使いをさせなかったらこんなことにならなかったんだろうなって。

そういえば田原成貴さん、今どうなさっているのでしょう?

塀の中からは、無事に出られて?元気にされているのでしょうか…(笑)

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