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映画を見ると人生に色がつく


突然ですが、みなさん

普段どれくらい映画を見ますか?


映画愛が詰まった映画
侍タイムスリッパー

自分はわりと見てる方なのではないかな?
っと思いますが、、

映画を映画館で見てる方と言われるのが
一年に2回以上くらいで見に行ったら

どうやら世間一般では
見てる方だと言うことになるらしいです

まぁそもそも映画を

全く見ない人もいるかもです

自分はそういう人にあったことがあります

映画?習慣もないし
見た事もほとんどない

その方はそんな事を言っていました

映画を見てない人を
人生損をしてるまで僕は言うつもりはないです

自分はある時

映画って人間社会で必要ないんじゃね?

っとサイボーグみたいな事を思ったことがあります笑

名作だよねターミネーター 2

映画オタクの視点から
映画作りしてる時にも

思ったことがあります


でも実際そんな事ないようです

っと言うのも

確かに
実生活で本気で何かを困っている人(飢餓とか疫病とか…)
の問題解決
にはならないかもしれませんが


問題解決に必要なのは果たして

現実的な目の前にある課題をこなす
という単純な話だけなのでしょうか?
(問題解決策そのものを軽く言っているつもりがなく
それはそれでむしろめちゃくちゃ大切)

人間には思考もっと言うと

欲があり

この欲っていうのは

意味のなしに与えられたものだけに満足するようにはできておらず

ただ単に

与えられた解決策のみで
満足できないのが人間

というものな気がするんですよね


っというのも

自分はゲームのバイオハザードが大好き

なんですが

ヴァィオハザァー〜ド(タイトル読み上げ風)
なんやねん↑

あそこである一定のプレイをすると手に入る

無限武器

アレを手に入れた瞬間にあの世界観
バイオハザードの怖い世界観

本来それを楽しむものなのに全てが味気なくなり
全てが作業になってしまうんですよね

これって先ほど述べた

バイオハザードでは有限の武器で
ゾンビをやっつけるのかまたはゲームオーバー
になってしまうのか?

そのやりとりの緊張感が醍醐味だったりするのに

解決策

として

無限武器を手に入れた瞬間

つまらなくなる

人間の壮大な矛盾なのですよ

やっぱり

人間ってそれだけの

問題解決だけでは満足できないんだなぁと
思うわけです


ですんで

たとえば

アートとか映画とかっていうのはそこに、解決策を必ずしも提示しないんですよ

もっというと


なんだこれ??っというか

例えば恋愛映画なら

あーもう!なんでここで告白しないねん!?
あーくそ、邪魔が入って好きな人に会いに行けない!

みたいな

ある種の葛藤が描かれていたりするわけで


それ自体が

解決策を提示するだけのものよりも


その葛藤そのものが

面白かったり、感情移入したり

はたまた

怒ったり


そういう一つ一つの

自分の感情の揺れ動きや

魂の震え

みたいなものが

人間であるからこそできる


感動っと呼ばれるものではないかなぁ〜


っと思うわけです


時にはこの

感動と呼ばれるものが

自身にとっての
執着や葛藤とか悲しみとか怒りとか孤独感だったり承認欲求だったりするかもしれませんが


それら全てを通して

人間生活っていう一つの括りの中で

生きているとはこういう事


っという大事なことに気づかせてくれる要素の一つ

なんじゃないかなぁと思うわけです


ゴッホの絵を見た時の
センスオブワンダー
ゴッホ自身の不完全さがおりなす
その魅力


ですからやっぱり

人文知に代表される
作品群は人間生活で大切なものなんだなぁと

改めて思うのでした

映画を見ると

なんで?どうして?
あースッキリした、

あー怖かった

楽しかった!

面白かった!

泣いた!

人生に彩りを映像で与えられる

大切なものなんだと思いますね


映画を見る

感動する

人生の潤いになる

今日はそんな話

あとがき

まぁヒューマニティが欠如してる人ってどこか
足りない感じがするのって

人間は不完全だからこそ面白くて
感動するんじゃないかなとか

思いますよね

サイコパスってそこが

怖い

っと思うわけです

映画よりも
小説の方が好きな
悪の教典


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