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「ごめん」と言うのは誰だってできるんだよ

ごめんという言葉が嫌い

「ごめん」という言葉が嫌い
少し大袈裟に言い過ぎてしまいました、正確に言うならば
相手のことを考えず行動や発言をし、偶然そうなってしまったというような態度を取り、申し訳なさそうに謝るのが大嫌い

この話をするといつも思い出すのが、酔った勢いで調子こいて、やりたいようにやった結果、人を怒らせ、申し訳なさそうに謝る人が頭に浮かんで腹が立つ
酒だから許されるとかないから
嫌いです

結論を言うならば、相手の事を考え相手が喜ぶようなことをしましょうよということ

相手のことを考えるという事には大きな落とし穴があって、西野大先生がよく言う事でもありますが、相手の事を考えて行動するというのは決して自分の行動に酔いしれることでは無いということ
ゴリのゴリの体育会系で育ったぼくがよく思っていた事なんですが、他に仕事があるのに荷物運びを変わらなければいけないという風潮、もう少しで着くのに変わろうとするやつ
変わられたら逆に気を使い、交代するのも難しいしイライラだってする
完全にディスりではあるが、アホで脳死をしている先輩のために気を使わなければいけなく、それが善となっているのはもう終わっていいころでは無いのか
話は戻るが、自分が気を作っていることに酔う事が気を使っているという訳ではなく、周りを観て最良の選択、その人の性格をしっかり見てその人が喜ぶことをする事こそが気を使うという事だと思う

そんなことを言う自分はどうなんだって話ですけどね

もっとアンテナを張って生きるしかない

今日これを書いたのは、自分に言い聞かせるため
下心を隠さずに言うならば、モテたいから
モテたいと言っても、異性として好きになってもらいという訳ではなく、人として魅力を持ちたい、具体的に言うならばふとした時に久しぶりに会って話したいなと思える存在になりたい
そのためにもっともっと今できることはなんなのかを考え、まずは目の前の人を喜ばせられるように常にアンテナを張って行動、最高の言葉をかけれるように

今日も読んでくれてありがと♪

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