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りんとして、うれし。

数年前、女友達が結婚した。

彼女はいつも私を誘ってくれた。自分からはうまく誘えない私を誘い、先の予定を決め、引っ張っていってくれた。
何でも茶化すように話すのに、芯は熱くてしっかり者で、いつだって凛としていた。

結婚することにしたと聞いた時、私は、嬉しくなかった。

たぶん、寂しかった。ちらりと見かけたことがある程度の彼女のパートナー、どんな人かほとんど知らないその人が、ひとりでも強く生きていけそうな彼女が結婚相手に選んだその人が、たぶん、妬ましかった。
私が頼る彼女の、頼る先。寄りかかる先。私の知らない、年上の男。その人には、弱い部分を見せているのだろうか。

一度だけ、彼女の涙を見たことがあった。
同じ部活の部員だった私たちの、最後の試合。負けが決まった時、私の隣にいた彼女は「まだ終わりたくない」と言って、私に縋って泣いた。
その頃にはもう勝敗にこだわれない性格になっていた私は、一緒に泣くこともできず、何を言っていいかも分からず戸惑った。そして、見たことのない彼女の姿に戸惑い、しかしその縋る先が私であることに、歪んだ満足感を覚えていた。

いつでも私の前を歩く彼女のそんな姿を見たのは、その時一回きりだ。別の学校に進学し、共有する時間はどんどん減っていった。
私の知らないところで出会い、知らないところで好意を抱いた知らない年上の男に、あの日のように縋って泣いたりするのかと、私は夢想して、寂しかった。今思えばそれは喪失感とか敗北感とか、そういう類のものだったのだろう。

それでも、結婚式で彼女のドレス姿を見たとき、私は本当に嬉しかった。彼女は、本当に綺麗だった。白い肌と、細い腰と、何よりその微笑みが、今まで見てきたどんな彼女より綺麗で、私は陶然として見とれていた。
友人代表のスピーチは緊張して喋るのにいっぱいいっぱいだったが、後から彼女が泣いていたことを知った。毎日のように会っていた学生時代のこと、彼女の素敵なところ、私の伝えたいことを私なりの言葉で詰め込んだ手紙で彼女が幸せな涙を流したことが、嬉しかった。

でもそれ以上に、彼の隣に立つ彼女が私の知っている彼女だったことが、本当に嬉しかった。綺麗で、しっかりと前を向いて、凛としている彼女だった。
彼は、本当に優しそうな男性だったし、かっこよかった。彼女の隣に、似合っていた。この彼が、私の知っている彼女を好きになったのなら、こんなに嬉しいことはないと思った。

彼女は今でも、私を誘う。昔と変わらず私の前を歩き、私の向かいや隣に座る。もちろん、彼とも仲睦まじく暮らしている。

今の私は、そのことが本当に嬉しい。そして、そう思えるようになって本当に良かったと思う。
だって、いつまでも彼女の結婚が嬉しくなかったら、私はその感情になんて名前を付ければいいのか、その感情をどうやってやり過ごせばいいのか、苦悩し続けることになっていただろうから。

凛としている彼女の後ろ姿を、私はいつまでも見ていられたら嬉しい。


(余談)
記事のトップ画像は、別の友人の結婚式で撮影した写真である。彼女に関する記事だから、できれば彼女の結婚式で撮った写真の中に個人情報が写っていないイイ感じの写真があればそれを使いたかったのだけど、確認してみたら会場や風景の写真は全然なくて、ほぼ全てが人物の、というか彼女の写真だったので断念した。他の人の結婚式ではいつもお花とか食事とか色々撮っているのに。あの日の自分よ、お前ってやつは。

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