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エビを食べようとして自己嫌悪に陥った話

最近、自身の醜さを自覚することが増えた。

うまれて初めて鏡を見たのではない。人間性というか内面的な意味での醜さのことだ。と言っても、とっさに出た行動を振り返って自己嫌悪に陥ってるだけに過ぎないから「醜さ」は少し大げさかもしれない。とにかく、自戒と勉強の息抜きを兼ねて吐き出してみたいと思う。

昨年年末の話だ。10月あたりから続く感染者増加を受けて、世間は相も変わらず自粛ムードだった。

実家暮らしの私には帰省の必要がないため、国や若者などくくりのデカい第三者に対して文句を垂れるほど大きな変化はなかったが、離れて暮らす祖父母が心配して大量に食べ物を送ってきた。といっても、これは例年通りである。遠方の親族というのは何かと理由をつけては物品を送ってくる性質があるものだ。歌志軒のラインクーポン配布も同様なので、歌志軒は遠方の親族なのかもしれない。

祖父母からの荷物は決まって海鮮だ。大きな蟹やうなぎ、大量のまぐろ・サケをクーラーボックス5,6個で送ってくる。今回は7つのボックスで届き、そのうち一つは黒豆や数の子などおせち系の料理に割かれていた。

とにかくたくさんあるため、調理のための下準備も家族全体で手伝う。当然キッチンだけでは狭いため、新聞を引き、テーブルをひっぱり出し、家じゅうに作業スペースを作る。

例年、私は蟹の殻をむく担当だった。普段は使わないテーブルを出してくる。作業台としか使わない、色あせたアンパンマンのシールと白い線が入った、足が折り畳み式の木製のテーブル。

ホットカーペットに腰を下ろし、いつものように蟹をさばいていく。自然と口数が減り、蟹で思考が満たされる。でも長時間やっていて辛くない、ほどほどの集中力で黙々と続けられる作業。昔からこの時間が好きだった。

半分くらい足をもいだころ、その低めのテーブルの隅に突然母が何かを置いた。完全に意識外だったので、驚いて視線を向ける。

それは、まな板にのった2尾のクルマエビだった。

これはどうしたのかと尋ねると、「蟹の箱の底の方にいた」ということだった。クルマエビなど初めて見たため、高級だということしかわからない。およそ15㎝くらいのサイズで、ピンと背筋が伸びていて、なんだかスティックパンみたいだった。

突然の高級品にどうしていいかわからず母を見つめると、「食え」の一言だけ残してキッチンに戻っていった。

…まあいいや。見ていても仕方がないため食べることにした。殻をむくためにエビに手を伸ばす。しかし、没頭していたところを一気に引き戻されたのと、例年にないもの、そして高級品ということもあって、迂闊に手を出せないでいた。

妙に緊張して持ち方を迷い、迷った末にエビの腹に親指を、エビの背に残りの指をあて、軽く握るように持ち上げた。

その瞬間、さっきまで板の上で一直線に伸びていたエビが、足側を支えていた親指を包むように体を丸めた。

その三秒後、エビはホットカーペットの上に直に横たわり、元気に足を動かしていた。

母が戻ってくる。

「元気でしょ。生きとんのよ、それ笑」

知ってたなら先に言ってくれ。大人げない声出しちゃっただろ。

とにかくエビを板の上に戻して改めて向き合う。そして思う。

このエビめっっっっっっちゃ動くな

一度握られたことで目を覚ましたのか、めちゃくちゃに足を動かし始めた。

それをみた私は完全に食欲が折れていた。

コイツを殺るのか…?

実力に不安があるヒットマンみたいになっていた。それくらいエビはすごい生命力だった。恐怖すらあった。生きようとする意思では明確に負けていた。

もこみちは強そうなエビに対して俺の方が強いと断言していたが、あれはなかなかできることではないことが分かった。

今までに、取れたて新鮮で、まだピクピクと動いてるエビをさばいて食べたことはあった。それでわかった気になっていた。完全に下し、エビを制覇したつもりになっていた。認識が甘かったのだろうか。

こいつは明確に生きている。まだまだ泳ぐつもりでいる。

気が付けば両手はひざの上に乗り、視線をエビから外せなくなっていた。

同時に、自分が「自分の手を汚す段階になって躊躇している」ことに気が付く。

復讐モノなどで、「決意は固めたものの、実際に手を下す段階でためらいを見せてピンチに陥る」というシーンがよくあるし、私は大嫌いだった。直前になってこれまでの全てを反故にするような一貫性のない行動に怒りを感じていた。

しかし、見るのとやるのじゃ大違いだった。

「自分が今からこの命を奪う」と意識すればするほど海に戻してやりたくなる。「私のこと(空腹)はいいからこの子を頼む」と言ってやりたくなる。気づけば「このエビをここに連れてきたのは私じゃないし、食べたいといったつもりもない」と、生物が生きるために行われる殺生の責任を全て流通経路に転嫁していた。弁明の相手はまな板の上のエビだ。

数々の復讐者を散々くさしてまで持ち上げていた一貫性とやらは、一尾のエビの前にもろくも崩れ去った。

そして同時に、この気持ちが良心でもなんでもないことに気が付く。エビがかわいそうなのではなく、エビの命を奪うという責任を嫌っている自分の心をはっきり意識した。博愛精神ではなく、ただの自分可愛さに手を動かせないだけだった。だって普段から死んだエビ食べてるし。気にしたこともなかったし。

ためらうことも、そしてためらう理由も、すべてのスケールが小さかった。

自分可愛さの保身ほど醜いと感じるものは無い。
そして自分は保身に走った。そういう人間だった。

最終的にエビは母が剥いてくれた。しかし、その過程で明らかになったセンセーショナルな事実は私の心に深く印象づけられていた。

保身に走った

このことを真摯に受け止め、逃げずに向き合って生きていこうと思う。
そして食べ物への感謝を忘れないように。

今となっては過去の自分に言ってやりたい。

食育のドキュメンタリーをみて平気な顔をしていた自分。

食肉工場に行って豚が屠殺されるのを見て「別に平気」とか「適正あるかも」とか言ってイキッてた自分。

その見学が終わった後、みんなでとんかつ食べに行ったりした自分。

声を大にして言おう。

私はエビの死すら背負えない軟弱者です…

そしてエビさん…

おいしかったです…

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私に放り投げられる前のエビ。

おわり

金額に応じて私の生活の質が上がります