頑張り過ぎてる自分を癒すココロリセット術
すぐそこに迫った年度末。
社会人の皆さんは、今の時期から忙しくなってきているのではないでしょうか?
かくいう私自身も、
「あれもやらなきゃ…これもやらなきゃ…」
なんて、てんてこ舞いな毎日。
そんな“頑張りすぎて”肩に力が入ってしまい、少し疲れているなぁと感じている方へ、コーヒーブレイクのように考え方もリフレッシュしてみませんか?
精神科医である藤野智哉先生の著書『あきらめると、うまくいく』では、自分らしく生きるためのヒントが満載!
今回は、冒頭部分の試し読みを公開します。
ぜひ“あるがまま”の自分を見つけてください。
はじめに
あきらめる。
それは「あるがままの自分を受け入れる」ということです。
あきらめる。
それは「何かを手放す」ことです。
私がみなさんにお伝えしたいのは、あきらめることの素晴らしさです。あきらめることは、逃げることではありません。目の前にある現実を直視し、限られた自分の時間を有効に使い、人生を前向きに生きるために欠かせないマインドリセット法なのです。
精神科医とはいえ20代の私が「あきらめる」生き方をすすめると、生意気に思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、まずは私の境遇を説明させてください。
1991年。名古屋市で生まれた私は、3歳、4歳、5歳のときに川崎病という病にかかり、4歳のときの川崎病の後遺症で心臓に大きな障害が残りました。
川崎病は風邪のような初期症状が出ることが多く、急な発熱で救急病院に行っても見逃される事例があとをたちませんでした。
私もはじめは風邪という診断をされ、その後も不調が続いたため、精密検査を受けたところ、川崎病であることが判明しました。
そのときにもし川崎病だと診断されていたら。
現在では疾患の知名度が高まり、早めに治療すれば重い障害は残らないことが多いようですが、診断が遅れた結果、私の心臓には後遺症として13ミリのこぶがふたつ残りました。
「なんで自分が」という怒りにも似た気持ちがなかったと言ったら嘘になります。自分自身が研修医として救急当直などをした際に見逃しなく診察する難しさを実感し、仕方ないかもしれない、と考えられるようになるまで長い時間がかかりました。
4歳で発症してから大好きだったサッカーができなくなりました。冠動脈瘤は運動で心臓に負荷をかけると破裂する危険があったからです。
小さい頃はプールに入れず、長距離走もできませんでした。みんなと違うことが嫌でした。
やがて、中学生になって、長距離なんてつらいし走りたくないから「自分の病気がラッキー」だと、そう思えるようになるまで長い時間がかかりました。
私は歳を重ねるにつれ、自然と「あきらめ」の気持ちを身に付けました。
走れなければ車に乗ればいい。泳げなければ浮き輪を使えばいい。いい意味の「あきらめ」が自分の気持ちを楽にしてくれたのです。
私が医者になろうと思ったのは、やはり自らの病気があったからでしょう。中学生になった私に主治医の先生は時間をかけて説明してくれました。
薬を一生飲み続けなくてはいけないこと。どれだけ生きられるかわからないこと。
私は人生が思ったより短いことを、人より先に身をもって感じることができました。
同時に、すっと恐怖が消えたのです。それまで自分が何か大きな病気にかかっていることには気づいていましたが、その正体がわからなかったからです。
中2で私は自分の運命と向き合いました。何かをあきらめたその瞬間が、新しい人生の始まりだったのかもしれません。
小さい頃に祖父から言われた言葉があります。
「人間は持っている武器で戦うしかない」
医学部に進むことになったとき、「君のように患者さんの気持ちがわかる人こそなるべきだ」とみんなに背中を押してもらえたことも忘れられません。
医師になるまで私は1分1秒を大切に生きてきました。自分には時間がない。その思いは私を常に焦らせていました。
しかし、精神科医として働くようになり、生き急ぎすぎて息切れしてしまった人を多く見たことが私の運命を再び大きく変えました。
時間は大事だという気持ちに変わりはありません。
しかし、今は結果さえ間に合えばいいと思うようになったのです。
完璧な自分をあきらめる。
ゴールを決めて、そこに帳尻を合わせればいいんじゃないか、と。
60点取れば受かる試験で100点取ろうとして勉強してしんどくなるくらいなら、65点を目指して、ギリギリを狙えばいいじゃないですか。
僕は完璧をあきらめて、生き急ぐこともあきらめたのです。
生きていくためにはゆるくてもいい。みなさんはそれを忘れがちなのではないでしょうか。
現代のストレスフルな社会で、自由にあなたらしく生きるために必要なのは、あきらめる気持ちだったのです。肩の力を抜いて、ゆる~くポジティブに生きてください。
あなたが人生を変える第一歩を踏み出していただけたらうれしく思います。
***
Mind reset No.001 あきらめる
「あきらめる」と聞くと、心理的抵抗を感じる方が多いのはなぜでしょう。夢を追いかけることをやめたり、途中で投げ出したりなど、マイナスなイメージで使われることが多いからでしょうか。
しかし最近広く知られるようになったことですが、仏教では「あきらめる」と「明らかにする」は同じ語源だと言われています。
私はみなさんにあきらめることを強く推奨したいと思います。「あきらめる」という言葉は、いったいどんな意味を持っているのでしょう。
あきらめる。
それはあるがままを受け入れるということです。
あなたが何か大きな失敗をしたとします。あるいは仕事を抱えすぎて心がパンクしそうになったとします。
あなたは最初に、いったい自分のどこに原因があったのかを明らかにする必要があります。もしあなたのキャパシティーを超えてしまっていたのだったら、その事実を正面から受け入れて理解することです。
「できないことはできない」と知ることはとても大事なのです。
たとえばかけっこが遅い人に、運動会だから速く走れと言っても無理でしょう。トレーニング次第で多少の改善はするでしょうが、「走る」「ジャンプする」などの基本的な動作・運動能力は先天的な要素が大きく関係するからです。
できないものはできない。あきらめるというとすごく残酷なイメージがあるかもしれませんが、できないことはできないと認めた上で、違う方策を考えることが重要です。
覚えることが苦手なら、その場でメモをすればいいわけです。記憶することをあきらめたからこそ、次のステップに進めるのです。
■人はみんな違うとあきらめる
できないことはできないと知る。それはとても大事なことです。
がっかりすることはみんな嫌ですよね。期待してその結果に応えてくれないと、自分の思い通りにならないことにイライラしてしまうでしょう。
思い通りにならない。それは「自分の基準」で考えているからこそ起こる感情です。私たちがイライラするのは、自分の都合通りにならないときです。
会社に入ったばかりの後輩に仕事のミッションを課して、3回に1回うまくいくとします。「1/3しか成功しない」とイライラする人がいたとしたら、それはナンセンスです。
経験が浅いのに3回に1回もできているのだから、「すごい」と褒めてあげればいいのです。
それは子育てでも同様のことがいえます。「この子は1/3しかできない子だ」と残念がるのではなく、「1/3もできる子」だと明らかにして、理解することが大事なのです。
人はそれぞれ違います。自分と同じ人間はいません。前向きにあきらめることが大事なのです。
漢字で書くと「諦める」。この「諦」という字自体には悪い意味はひとつもないそうです。あきらめる、という言葉は余計なものを捨てるといった意味を持っていると私は感じています。
目的のためにいらないものは捨てる。自分が生きていくために目的とすることは何か。
幸せな人生を送りたいなら、どうしたら幸せになれるのか考えてください。あなたの考える幸せが「いつか南国に移住したい」だったらお金がいりますよね。つまりあなたの考える幸せな人生のために、お金が必要だということです。
そのためには、残業なしで適当に働く、という選択肢をあきらめる必要が出てくるでしょう。あきらめた瞬間に違う案が出てくるはずです。
私を例にとると、論文の締め切りが迫っているのにどうしても執筆が終わらないとします。この原稿を落としたら、学会での信用がなくなるかもしれません。私の場合は医者という本業がありますので、すぐにごはんが食べられなくなる心配はありませんが、人様に迷惑をかけたり、信頼をなくすことは極力避けたいと考えます。
そのとき、私に必要なのはあきらめることです。
時間がなくてひとりで論文を書くのが無理だとしたら、誰かに協力を仰いで、共著という形にして労力を半分に減らすのです。
それによって私ひとりの名声(と言っていいかはわかりませんが)は半分になりましたが、信用を失うという最悪の事態を回避できたわけです。
■人に過度な期待はしない
世帯を持ちながら働く女性の割合は年々上昇しています。特に子育て世代は上昇率が顕著です。
もし、仕事が忙しくて家事をする時間がないとしたら、仕事を部分的に外注してみたり、お金がかかるかもしれませんが、代行業者に家事を頼んだり、ベビーシッターに頼んでガス抜きをすることが大事です。
真面目な人ほど、全て自分でこなさなければいけないという足かせに苦しんでいる気がします。
大切なのはキャパオーバーしないこと。
お金と心の健康だったら、最終的にどちらが大事か考えましょう。すべてを両立はできない。どこでもどちらかから撤退する勇気が必要なのです。
想像してください。自分の身内や子供が心のキャパオーバーで「死にたい」と言ったら、あなたはどう思うでしょうか。
きっと「生きていてくれればそれだけでいい」と思うのではないでしょうか。ということは、こんな自分でも誰かにそう思われているということなのです。
孫と祖母の関係を考えましょう。祖母は孫が産まれてきてくれただけで、健康に暮らしているだけで幸せに感じています。
「元気でいればいいよ」「偉くならなくてもいいよ」
祖母は、私がごはんをおかわりしたり、背が伸びたり、何をしても褒めてくれる、私の味方でした。
たとえば、口やかましい親だって子供に対して、最初は祖母と同じことを思っていたはずです。しかし次第に欲が出てしまい、「立派になってほしい」と思うようになるのです。
ときには電話で話したり、親と仲良く良好な関係を構築するのはいいかもしれません。あなたが生きていることを喜んでくれる人がいると知るだけで何かをあきらめる勇気をもらえるからです。生きているだけでいい。自分に無理してまで期待に応える必要がないことに気づいてください。
あきらめとは、人に対して過度な期待はしないことも意味します。当たり前の話ですが、すべてがあなたの思うようになるわけではないということを知ってください。
先日、知人の息子さんが遺伝子検査を受けたそうです。速筋や遅筋の発達のしやすさについて、遺伝的な傾向を判定してくれるもので、その結果、筋トレをしても効果的には筋肉がつきにくい、長距離走に向いたタイプであることが判明したそうです。
つまり息子さんにいくら100メートル走の特訓をしても、大成しない可能性のほうが高いということです。
その話を知った周りの友人からは批判的な意見も浴びたそうです。その多くは「子供の可能性を狭めている」というものでした。でもそんなことを気にしなくていいと私は思うのです。
苦手な食べ物があったら無理に食べなくてもいいんです。栄養だってほかで補えばいいんです。本人が気にしていないんだったらそれでいいじゃないですか。あきらめることで気が楽になるなら、それが一番いいんです。
<summary>
・「できないことはできない」と知ることが大事
・あきらめるとは前向きな感情
・ただ生きているだけでいい
・人に過度な期待をしない
***
Mind reset No.002 いい人をやめる
私は自分のことが好きです。高校時代は毎朝30分かけて髪型をセットしていたこともありますし、デパートで最上階まで行くのに、エスカレーターで12階までのすべての鏡で自分のチェックをしていたと指摘されたこともあります。
自分の嫌いなところはどこかと考えたとき、細かいところを挙げればいくらでもあるのでしょうが、基本的には自分のすべてを肯定しています。
自分をよく見せたいという思いもあったと思います。
ただ、秋田の大学に進学してからは、「人にどう思われてもいいや」と思うようになりました。私は早く医者にならなくてはいけませんでしたから、自分をよく見せる、ということに力を注げなかったこともあると思います。ここにずっといるわけじゃない、そう思ったら気が楽になったのです。ここで知り合った友人も一生付き合うことはないかもしれない、とも心の中で思っていました。
自分は冷たい人間だと認めることは難しいことかもしれません。しかし、私はその一連の行為を大事な作業だと考えています。
私たち医師は患者さんの死をずっと引きずることはできません。私たちの仕事は亡くなった方を悼むことではなく、目の前にいる患者さんを治すことだからです。
自分が冷たいなと思うことはあります。ただ、患者さんの死を長く引きずらないためには、きっと冷たくならないと務まらないのです。自分のプライベートの時間を確保しなくては自分自身がパンクをしてしまうからです。
付き合っている女性がいたときにも、嫌なら別れたらいいじゃないかという気持ちになって、ケンカになったことがあります。デリカシーがないとは思うのですが、自然体だから自分の心は健康でいられるのだと思ったのです。
なんとなく相手に合わせていることでそれが澱のように積み重なって、自分自身を苦しめることだってあるのです。
■自分を愛す
ところで、「いい人」ってなんでしょう。わかりやすく言うと、万人に好かれるように行動する人でしょうか。その意味で言うと、「いい人」とは実は他者の評価でしかない、ということにあなたは気づいているでしょうか。
自分がいい人でいたいという欲求にはなんの意味もないとしたら。
私は常々、自分にとって心地いい状況だったら他者にどう思われてもいいと思って生きています。心臓に障害を抱えていて、いつ破裂して死んでもおかしくない自分が、自分本位で生きてもいいじゃないか、と決めているのです。
それは私だけの特権ではありません。みなさんも、もっと自由に自分を好きになって生きたほうが美しいと思うのです。
「自己愛」という言葉は悪い意味で使う傾向がありますが、自分を愛している人のほうが、他人を深く愛せると思うのですがいかがでしょう。
自分のことを好きじゃないのに、他人を好きな人がいるとします。
それはおそらく、自分の中で自分の評価が低いから、他人がよく見えているだけでしょう。自分の評価が高ければ、他人に無条件に憧れたりはしないからです。
他人を見下したりすることもあるかもしれません。ただ、自分がほかの人より優れていると思ったら、その感情は押し殺す必要はないんです。それを表に出さなければいいんです。芸能界には惚れ惚れするような美しい人、カッコいい人がいますが、あれだけの容姿を持っていたら、ほかの人より優越感を抱くことは仕方ないと私は思うのです。
「あいつは仕事もできないのに威張っていてバカだなあ」と思ってしまったら、その人に優しくする必要はありません。
「優しい人」というのは、嫌な相手にもついつい優しくしてしまうきらいがあります。その結果、目をつけられて面倒な仕事を振られたりする。
嫌なことは嫌だと伝えてください。自分じゃなくてもいい仕事だったら、無理にやる必要はないんです。
無理を承知で頼んでくる人というのは、弱い人、都合のいい人を見つけて、押し付けようとしているだけ。あなたが断ればきっと次の人を探すはずです。
「いい人」だと思われたい欲求は当然です。
なぜなら、いい人だと思われるとみんなに愛されて、大事にされる可能性があるからです。生きやすいし、生き物にとって生存メリットがあるからでしょう。
ただし、人間はある年齢になると、みんなにいい人だと思われなくてもいいと思うようになるといいます。「八方美人」という言葉があるように、「いい人」はそのうち褒め言葉ではなくなるのです。
誰かに好かれること自体は素敵なことです。
しかし、他者からの評価を求める必要はありません。自分が自分を好きであること。その評価基準さえぶれていなければ、他者からの評価はそんなに必要ないはずなのです。
■自然体で人に甘えてみよう
「いい人」と言われる人に共通する特徴があります。
愛想笑いが多い。積極的に発言しない。他人の意見に反論しない。誘ったら断らない。人の話をよく聞く。
これらの行為は自分をすりへらします。不満を口にすることもできず、敵もいないが味方もいなくなり、やがてストレスをためて、心が悲鳴をあげることでしょう。
私が思ういい人というのは、お人好しで都合のいい人。
そこに肯定的なニュアンスはひとつもありません。
いい人キャラの人を見るたびに「損な役回りな人だ」と寂しい気持ちになります。自分の気持ちをもっと伝えることができたら、もっと生きやすくなるのではと思うのです。
人事権がある上司がいて、その人に好かれないと出世をしないと言われているのだとしたら、手段としてある程度は追従をすればいいでしょう。
愛想が悪くて自己本位だけど仕事で結果を出す人。
とてもいい人で職場の雰囲気を和やかにしてくれるが仕事で成果を残せない人。
どちらが優秀な人材かは明らかでしょう。どんな人材が会社に必要とされているのか、考えてください。みんなにいい人でいることの労力と、メリットはあまりに釣り合わないのです。もっと自由になってください。
もうひとつ酷なことを言います。
私は「いい人はどうでもいい人」と同義とも考えています。
あなたが「いい人だね」と言われたとしたら、その評価はその人による主観的なものであって、決して絶対的なものではありません。
人の評価なんて気にしなくていいんです。たまたま社会的にうまくいっている人に、自分の人生を判断される必要はないんです。
大事なのはいい人であることをあきらめることです。
無理な仕事を振られたら「できないです」と口に出してください。高いところにあるものを取りたいと思ったら、子供は自然に「抱っこ」といいますよね。それくらいの自然体で人に甘えたらいいと思うんです。
いい子じゃなくても、そっちのほうがかわいらしいじゃないですか。
<summary>
・冷たい部分をあえて作る
・自分を愛す
・他者からの評価を自分の判断基準にしない
・いい人じゃなくてもいい、とあきらめる
***
Mind reset No.003 我慢の限界を数値化する
もし、あなたがつらさを感じて毎日を生きているとしたら、どのように、どれくらいつらいのか、自分の心の中を見つめてください。
何がつらいのか。それが、職場や友人関係のストレスで、毎日職場に行くのがつらいと思っているのならば、適切な形で放出することが大切です。
嫌いな人がいる、苦手な人がいる。
怒りのどす黒い淀んだ空気で膨らんだ風船は、やがてあなたの心の中で膨らみ続け、破裂するでしょう。張り詰めたヴァイオリンの弦が切れるように。
では、どうしたらいいのか。
あなたは、いつでも怒っていいんです。
とはいえ、嫌なことがあったからといって、常にプリプリ怒っているようでは、あなたの周りから大切な人も離れていきます。大事なのは、「自分はここまでいったら怒りの気持ちを伝える」という明確な基準を設けることです。我慢の限界ですね。
怒りたくなったときの自分を、冷静な目で見るのが「アンガーマネジメント」の基本です。
では、ここからだったら怒っていいという基準は、どう決めればいいのでしょうか。
医学的には「機嫌がいいときだったら受け入れられる」かどうかを物差しにするという方法が一般的です。
自分が理不尽な要求をされたと感じた場合、同じオーダーをあなたが上機嫌なときにされたらどう感じるのか。
理不尽だと思っているのはあなた自身ですよね。ただし、自分にとって理不尽だとしても、相手にとって理屈は通っていることもあるかもしれません。その場合は自分の機嫌次第で許せるかどうかで判断するといいのです。
「今日残業してくれるかな」
「本当は上司のミスなんだけど、代わりに責任をとってくれないか」
前者は特に予定がなかったら「わかりました」と答えるかもしれません。「他の人にも頼んでよ」と思いつつも、それはきっとあなたにとって理不尽な要求ではないからです。
後者はいくら機嫌が良くても受けたくありませんよね。つまり、それは決して受けてはいけないオーダーですし、怒っていい事案なのです。
■人間らしく、たまにはグチでガスを抜く
怒りの発散には「スタイル」があります。
大きな声で怒鳴り散らすのも怒りですが、貧乏ゆすりで怒りを伝える人もいますし、チマチマ文句を言う人もいます。
グチも怒りの一種です。文句を言ったり怒ったりすることは、自分の感情を素直に表現できているということでもあるのです。
実は私たちが行っているカウンセリングもそう。グチや不満を聞き出すことも大事な診療行為なのです。
つまり、第三者に対して不平不満を吐露(とろ)することは悪いことではありません。
「グチは繰り返し言うことで、ネガティブなイメージを定着させてしまうので、同じグチを繰り返すのは良くない」という専門家の意見もありますが、私はガス抜きとして、心の重荷を下ろす作業だと思っていますので、グチを推奨しています。
私も仕事がつらいときにはひとりでブツブツ言いながら、気持ちをリセットすることがあります。そのほうが人間らしいと思いませんか。
ストレスをため込むのは良くないことはもちろんご理解いただけると思うのですが、ではストレスを抱えすぎるとどういうことが頭の中で起きているのか知ることも大事です。
先天的なIQの問題もあります。能力が高い人は処理できる事案でも、そうでない人は、「わーっ」とパニックになってしまいます。
たとえるなら市販のPCが、スーパーコンピューターと同じ計算をしようとすることが問題なのです。
小学生の頃に、逆上がりができる子とそうでない子がいましたよね。
「こうすればいいんだよ」と先生に言われ、手取り足取り指導されても、結局できないままの子がいませんでしたか?
あのときは逆上がりができる自分に優越感を抱いたものでしたが、では、その逆上がりができなかった子たちが、今現在不幸せな人生を送っているかといえば、決してそんなことはないでしょう。
できることはできるけど、できないものはできない。みんなその当たり前のことを忘れているんです。
だって、できないものはできないんですから。
たったひとつの「できる」「できない」があなたの人生を決定するわけではありません。心にいろんな尺度と価値観を持つことから始めましょう。
■手を抜いてもいい、とあきらめる
そのためには、平常時に自分の能力・スペックを認める作業が必要です。なぜ平常時か。緊急時には冷静な判断はできないからです。
とあるメーカーの営業部で働くある女性の知人がいます。実務をバリバリこなし、上司に信頼され、重要な仕事を頼まれることが多く、職場の中心的存在として周囲からも認められています。
彼女にはふたりの子供がいます。仕事と家庭の両立は大変ですが、そろそろしんどいぞと思った時点で、ここが限界だと感じた段階で、無理をしないようにしているそうです。
たとえば会社に時短勤務を申請するなど、柔軟な対応を取り、会社に大きな迷惑をかけることを事前に防いでいます。
彼女の目的は長く働くこと。もちろん出世はしたいとも思うけれど、それよりも家のローンと、これから発生する子供の学費を稼ぐことが第一の目的だからです。
人間は大体20歳から25歳までの間に自分の限界がわかってくるものです。その間に自分でボーダーラインを作っておくことが大事なのです。まだあやふやなままであれば、今すぐ自分のキャパを見つめ直す時間を作りましょう。もちろん人間の能力は伸ばすことも可能ですので、定期的に自分の能力を確認するといいと思います。
具体的な数字にしてもいいかもしれません。「残業は週に3日まで」と決めておけば、すぐに自分で対応できるはずです。心が負荷で壊れそうになる前に、自分で防御策を作るのです。
子供の世話に負担を感じているとしたら、何を優先するのか、その順位をつけるべきです。
手を抜いたっていい、とあきらめることも大事です。ベビーシッターさんを利用するのもいいでしょうし、夕食を出前にしたり、お弁当に冷凍食品を使ったっていいんです。たまにしか食べられないプロの味に、子供が喜ぶかもしれないじゃないですか。
「月に3回はシッターさんに頼んでもいい」とあきらめてしまえば、心が楽になりませんか。
真面目な人ほど、抱え込みすぎる傾向があります。
まずは、自分のするべきことに優先順位をつけましょう。そうすれば自分が優先的に取り組む順番がわかってくるからです。
大事なのは大切なことに順番をつけて整理すること。
書き出すのもいいですね。可視化するとイメージがスッキリします。
そうすればどこから手を抜いていいかわかるでしょう。あなたが何を大事に思っているかを再確認することにもつながるはずです。
<summary>
・我慢の限界、を設定しておく
・機嫌がいいときだったら受け入れられるかどうか、がボーダーライン
・自分のスペックは平常時に測っておく
・すべきことを書き出して、リスト化する
***
以降も、“あきらめる”ことで生きやすくなる、自分らしく生きるヒントが詳しく綴られています。
<収録内容>
はじめに
第1章 受け入れ、受け流す技術
①あきらめる
②いい人をやめる
③我慢の限界を数値化する
④あるがままを受け入れる
⑤ストレスのもとに近づかない
⑥俯瞰で見る
⑦ルーティンを作る
⑧感情のまま突っ走らない
⑨「発想の転換」を習慣化する
⑩考え込まない
⑪鈍感力を身に付ける
⑫体を動かし、心の余裕を作る
第2章 自分が好きな自分になる
①媚びない
②自分を大切にする
③沈黙に慣れる
④自然体で生きる
⑤大切にされることを待たない
⑥許す
⑦悩みを書き出す
⑧最短距離を選ばない
⑨極論しない
⑩やらない後悔より、やった後悔
⑪人生はなんとかなると知る
⑫感謝して生きる
⑬傾聴する
⑭目標を低く設定する
⑮お金と向き合う
⑯ひとりぼっちを恐れない
⑰心地よいことを求める
⑱朝一番で自分を褒める
⑲自分のなりたい方向を目指す
⑳運を呼び込む
おわりに
著:藤野智哉『あきらめると、うまくいく』
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