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父の落ち葉たきでよみがえった子供時代の勘違い 〈介護幸福論 #26〉

「介護幸福論」第26回。書き残した父のこと。そういえば。父は認知症になってから、野焼きをするようになってしまったのだが、子供時代に「落ち葉たき」のことを「バタキ」と勘違いしていたことを思い出した。歌の空耳というやつだ。

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■向田邦子の「眠る盃」

 父の思い出で何か書き残したことはないだろうかと記憶をたぐるうちに、向田邦子の「眠る盃」という一遍のエッセイを思い出した。

「荒城の月」の歌に「めぐる盃 かげさして」という歌詞がある。この「めぐる盃」を、向田邦子さんは「眠る盃」と覚えてしまい、「荒城の月」を歌い始めるとどうしてもその箇所でまちがえてしまうという話だ。

 自宅に父親の同僚や友人がやってきて飲み交わす。客が帰った後に残された、お酒の入った盃。そのお酒がゆったりと、けだるく揺れる様が「眠る盃」に見えたゆえの、覚えまちがいだったという。

 なんとも文学的な、美しい勘違い。確かに盃に残されたお酒は、宴の後、ゆらゆらと揺れているように見える。父親の思い出とも重なっていたのだろう。

 同じような勘違いで、50代以上の年代に広く知られるものとしては「重いコンダラ」がある。

 アニメ『巨人の星』のオープニングに流れる主題歌に「思い込んだら試練の道を」という一節があった。その「思い込んだら」の歌詞を「重いコンダラ」と空耳した人がいた。それがグラウンドで整地ローラーを引く星飛雄馬の映像と重なり、「ああ、あのグラウンドをならす道具はコンダラというのか」という、完成度の高い勘違いができあがった。

 この話が当時のラジオ深夜放送などでウケて全国に広がり、いつしか「コンダラ」は本物の整地ローラーの俗称に昇格した。ゴダイゴも「コンダーラ、コンダーラ」と歌い上げて大ヒットした。ツッコミ待ち。

 実際は『巨人の星』のオープニング映像に、星飛雄馬がローラーを引くシーンなどなかったと聞くが、ウサギ跳びを木陰から見守る明子姉ちゃんの映像と同じレベルの浸透度で、ぼくらの世代には「重いコンダラと星飛雄馬」がセットで刷り込まれている。

■「落ち葉たき」がわからなかった

 ぼくにも同じような勘違い、覚えまちがいがある。童謡「たきび」の歌に出てくる「落ち葉たき」だ。

 子供の頃は「落ち葉たき」という単語が頭の中にない。歌詞は「たきびだ たきびだ おちばたき」と歌われるが、この「おちばたき」がわからず、ずっと「落ちバタキ」だと思っていた。そして「バタキって何だろう? 掃除する時に使うハタキの仲間だろうか?」と、疑問のままだった。

 たき火を見ながら、自分なりに答えを出した。
 たき火をしている時に落ちてくるもの、それがバタキだろう。おお、そうか、何か黒いものが空に舞い上がり、ひらりひらりと落ちてくる。わかった、あれだ、あれがバタキだ! 

 こうしてタバタ少年は、たき火のときに出る黒いススや、飛び散った燃えカスを「バタキ」だと思い込み、「たきびだ たきびだ 落ちバタキ」と歌っていた。
 頭の悪そうな子供である。文学性のかけらもない。

 もう何十年も忘れていた他愛のない勘違いだったが、認知症の父親と接して、久しぶりにこのバタキを思い出した。父が家の前で、ゴミを燃やす野焼きをしていたからだ。

 うちには小さな庭があり、いろんな木や花が植えてある。季節になれば、落ち葉もたくさん出る。これらの落ち葉ゴミは集めて、燃えるゴミか、もしくは草花などと一緒に植物ゴミとして出すのが正しい。

■父は認知症になってから野焼きをするように

 しかし、父は落ち葉や草花のゴミを焼却用のカンに入れて、自分で燃やしていた。認知症になった後に表れた症状のひとつだった。

 昭和の時代は、可燃ゴミを各家庭が野焼きするのはよくある光景だった。それがいつしか法律で禁止されるようになり、ゴミはゴミ袋で出す形に変わった。

 父も野焼きをやめていたはずなのに、また以前と同じように、家の前でゴミを燃やすようになってしまった。アルツハイマーのせいで時間が戻ってしまったのだろう。

「ダメだよ、野焼きは」
「何がダメなんだ」
「家の前で燃やすのは禁止されてるんだよ」
「つまらんことを言うな」

 どうにか父を止めようとしたが、理屈で話しても通じる相手ではないし、言い方に気をつけないとかえって怒らせるだけになる。「おとうちゃんを怒らんでね」は、母に何度も念を押された約束だ。腕ずくで父の行動をやめさせるのは一番良くない。

 仕方なく近くで見守りながら事故のないように終わるのを待つしかなかったが、たまに下校途中の小学生がおもしろがってゴミを燃やすカンに寄ってきたりして、ああいう時はどうするのが正解だったのか、未だにわからない。バタキが子供のほうへ飛んだりすると、ひやひやした。

 今でも「たきびだ たきびだ 落ち葉たき」の歌が聞こえてくると、家の前で野焼きをする父と、その横で何もできなかった自分のやるせなさがよみがえってくる。

 それがぼくにとっての「眠る盃」にあたる、「落ちバタキ」の思い出だ。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です



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