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【ザ・ファンタスティック・モーグ】

◇総合目次 ◇エピソード一覧
この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正番は、上記リンクから購入できる第3部の物理書籍/電子書籍に収録されています。また、第2部のコミカライズが現在チャンピオンRED誌上で行われています。


1

 トレンチコートにハンチング帽の男は「半手動イクラ」22号店の細長い店内を壁沿いににじり進み、一番奥の硬い椅子に腰をおろした。他の客は判で押したように同じファッションである。耐重金属酸性雨ブルゾンを着、野球帽を被った中年男性達だ。

 クローム風に塗装されたカウンターには友好的な笑顔のマイクロ・マネキネコが一座席に一体ずつ飾られている。男が腰掛けると、招く手がモーター駆動で縦に素早く動き、「ミャオーウー」という合成ウエルカムマネキネコ音声が発せられた。

 カウンターの向こう側で、イタマエ(とはいえ、この店においては何の技術も要らない仕事だ)が男を一瞥し、「ハイヨロコンデー」と抑揚のない声で言った。そしてドンブリにライスを入れ、カウンターに置いた。男はマネキネコの腹から生えた蛇口の下にドンブリを寄せた。

「ミャオーウー」マネキネコの目が光り、蛇口から合成イクラがドボドボと溢れた。きっちり一定量で、合成イクラの噴出は止まる。合成イクラは魚貝由来タンパクとDHAから出来ており、既にショーユで味付けされている。男はスプーンを取り、黙々とそれをかきこんだ。

 この店は入場時にトークンを入れねば中へ入れない仕組みである。メニューもイクラ・ドンブリの一種類だ。合理的な構造である。そこへ敢えて、ライスを人の手でよそうというサービス・コストを乗せる事で、オーガニックな人間味を演出しているのだ。

 彼はサラリマン時代、時間に追われ、こうした合理化チェーンで食事を摂ることがままあった。実際安く速いこうした店は、カロウシと隣り合わせのサラリマン、あるいは貧困下の者たちの栄養摂取の場だ。彼は感傷とも自嘲とも言えない不思議な気分に襲われる。

 今こうして口にするものは当時と同じものだが、彼自身は違う、何もかも……境遇も……生業も。(私も、思えばずいぶん遠くまで来たものだ。ガンドー=サン)無料で供されるチャを飲みながら、彼は一瞬の瞑想めいて目を閉じた。「……!」すぐにその目が開かれた。彼は音を立てて立ち上がった。

 彼の鋭敏なニンジャ知覚力はその時確かに、建物の外を通過したニンジャソウルを……そして、そのニンジャソウルの持ち主が発する、あけすけで邪悪な殺気を感じ取った。人を一方的に虐げる者が発する、怠惰な殺気を隠しもしない。練れていないサンシタのニンジャと見える。

 彼は振り返り、窓ガラスを上に引き開けた。ここは雑居ビルの三階だ。他の客の何人かが男の行動に視線を向けたが、再びすぐに食事に集中した。何らかのインシデントが発生しても、基本的には無視を決め込むのが奥ゆかしく、恥をかかない。ネオサイタマ市民を遺伝子レベルで支配する奇妙な道徳観だ。

 男は店員に会釈すると、いきなり窓枠を乗り越え、外へ飛び出した。代金前払いであるため、これは食い逃げでは無い。ただの異常な行い、あるいは自殺行為だ。それゆえ店員は濁ったガラスのような目で、一連の彼の動きを見ているだけだった。「イヤーッ!」

 ナムサン!繰り返すが、ここは雑居ビル三階だ。しかし男は落下途中で「明るくビル」と書かれたネオン看板につかまり、一息でその上に登ると、勢いよく跳躍した。「イヤーッ!」なんたる超人的身体能力!そう、彼はニンジャなのだ!

 彼は着地と同時に前転して落下衝撃を殺し、横路へ駆け込んだ。そして走りながらスリケン投擲!「イヤーッ!」「グワーッ!?」危機一髪!素早い判断力が老婆を救った。老婆は今まさに、その者のチョップで殺されるところであったのだ!手の甲にスリケンを受けて仰け反ったのは、やはりニンジャ!

「アイエエエ!」老婆は地面にうずくまり、悲鳴を上げた。襲撃ニンジャが男を睨む。「何者だ!」「……通りすがりの探偵だ」男がトレンチコートを翻す。するとそこには……おお、ナムサン!赤黒い装束のニンジャが腕組みして立っていた!襲撃ニンジャが狼狽する「貴様は、ニンジャスレイヤー?」

「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」赤黒のニンジャの姿をあらわした男は威圧的にオジギした。禍々しいその装束と「忍」「殺」のメンポこそ、この相手ニンジャを一目で恐れさせた外的アイデンティティである!「名を名乗れ!」「……ドーモ、ナイトサーバントです」

「オヌシのカラテは、そこのご婦人相手に奮う程度のものと見なしてよいのか」「チィ……」ナイトサーバントが額の前で両腕を交差した。圧縮空気が噴き出し、その両手が凶悪な爪状武器で覆われた。「ナメてかかるがいい、八つ裂きにしてやる」ナイトサーバントの眼がギラギラと輝いた。

 ナイトサーバントには彼なりの覚悟があった。なぜここでニンジャスレイヤーに遭遇したのか、委細はわからぬ。だが、彼は事情通であった。ニンジャスレイヤーに狙われ、生きて逃れる事ができたニンジャは殆どいないと聞く。命乞いも無駄であるらしい。……ならば、殺してしまうのがよい。

「噂には尾ひれがつくものよ。ベイン・オブ・ソウカイヤ?真実はひとつ!それをやったのはザイバツ・シャドーギルドよ!俺は詳しいんだ!」爪を打ち鳴らす!「貴様はその陰でコソコソしておっただけの虫だ!死ね!ニンジャスレイヤー!イヤーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

 ナイトサーバントはニンジャスレイヤーを両腕の爪でバラバラに切り裂くビジョンを思い描いた。しかしそのビジョンは白く弾け飛んだ。彼の股間にスリケンが命中!「イヤーッ!」「グワーッ!」低空ジャンプパンチが顔面に命中!メンポごと顔面を叩き潰す!衝撃で背中が壁に叩きつけられる!

「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの左手がナイトサーバントの胸を貫く!「アバッ!アバーッ!」「眼を閉じ、耳を塞いでおられよ」ニンジャスレイヤーは老婆に言った。だが気遣いは不要だった。老婆は既に、震えながらそうしていた。

「アバーッ!アバーッ!」「私は今、オヌシの心臓を掴んでいる」ニンジャスレイヤーは地獄めいて言った。「アバーッ!」「インタビューだ。オヌシの主を言え。アマクダリ・セクトか?ツジギリか?スラッシャーか。目的は何だ。ミッションか?蛮行か?」「アバーッ!」「話せばカイシャクする」

 ニンジャスレイヤーの眼が赤く光った。「話さねば苦しみが延びるぞ」「アバッ、その心配は無用だ、絶対に言うものか!モハヤコレマデ!」ナイトサーバントは奥歯の濃縮ズバリカプセルを噛み溶かした。致死量の三倍のズバリが彼のニューロンを快楽と共に焼き、滅ぼした。「サヨナラ!」爆発四散!

 ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。自害……?彼はナイトサーバントの残骸を探った。携帯端末の類は無い。だが、単なる追い剥ぎ、スラッシャー、行き当たりばったりのサイコキラー風情が自害の準備など、するわけがない。「……」彼は老婆を振り返った。老婆は見返した。「終わったかね?」

「……終わったが」ニンジャスレイヤーはトレンチコートとハンチング帽を拾い上げ、身に纏った。「ニンジャに暗殺されかかるとは、いったい何をしでかしたのだ。身に覚えは?」「アタシャ何もやましい事はしとらん!」老婆は叫んだ。「何て一日だい!」

 老婆は喚いた「爺さんの墓参りから帰ったら、家はメチャクチャ!マッポに行こうとすりゃ、さっきのニンジャ!そいつを殺したのも、またニンジャ(わかっとるか、アンタだよ)!おまけにそいつは、言う、言うに事欠いて、アタシが悪いだって!?悔しい!あんまりだ!」そして泣き出した。

「……そうは言っておらん」ニンジャスレイヤーはやや声を荒げた。老婆は彼を横目で睨み、啜り泣いた。「どうしてアタシがこんな目に会うんだ!爺さん!なんで先に逝った!アタシャ一人ぼっちだ!む、息子からの手紙も無い!おまけにこんな目に遭って!家は荒らされて!帰る所も無い!ニンジャ!」

 ……ニンジャスレイヤーは興奮状態となった老婆が落ち着くまで待ち、名前を訊いた。老婆の名はモナカ・ギンザ。死んだ夫の名はチュリジ・ギンザ。一人息子の名はヒトミ・ギンザ。サラカイカ・ヘクト社の正社員なのだという……彼女は訊かれていない事まで細かく説明した。会話に飢えているのだ。

 彼はモナカ老婆をマッポへそのまま送ってゆく事をまず検討した。だが、思い留まった。マッポが守れる相手と守れない相手がいる。モナカはチャメシ・インシデントめいた狼藉に遭ったネオサイタマ市民ではない。あのニンジャは目的を持ってモナカを殺そうとした。それは確かだ。

 もし今のニンジャがアマクダリ・セクト繋がりの暗黒ミッションでモナカを狙っていたとすれば、最悪だ。マッポがモナカをアマクダリ・セクトへ売る可能性すらある。「……」ニンジャスレイヤーはテーブルを挟んでチャを啜る老婆を見た(彼はひとまず老婆とチャ・カフェに入った)。

「……実際、このまま見殺しにするのも偲びない」彼は呟いた。「そりゃそうだよ。オニじゃないんだから」モナカは言い放ち、チャを飲み干した。そしてテーブル横の回転ベルトを流れてきたモチ・シャーベットの皿を取った。「食ってもいいんだよね?」「……」ニンジャスレイヤーは頷いた。

 またしても厄介事を抱え込んだ。恐らくはカネにならぬビズを。ニンジャスレイヤー=フジキド・ケンジはぼんやりと思考した。ガンドーの羽振りの悪さも似たような理由だろう。そんな所まで見習う必要も無かろうに。(それはそれでいいのよ)ナンシーはしかし、かつてフジキドに平然と言ったものだ。

(トラブルはビズを連れてくる)ナンシー・リーはかつて似た会話の中で、慰めるでもなく、そんな自論を語った。(なにがきっかけになるかわからない。サイオー・ホース。きっかけを多く引っ張るのが大事……だから、私はタダ働きの仕事だろうと、貴方を責めはしないの)

「……で、アンタは何なんだね」モナカがフジキドに怒り顔を近づけた。「アタシは何で急にニンジャに狙われたり家を荒らされたりするのかね?アンタ知ってんのかい?いいかね、アタシャ、ブッダに恥じない誠実な人生を送って来てね、爺さんは先に逝っちまうし、」「まだ、わからん」彼は遮った。

「それをこれから調べるのだ、御婦人」「調べる?なんだい!アンタ、マッポ?いや、デッカーだね!アタシャ知ってるよ!ネオサイタマ・シティ・ポリス24時間!アタシャよく見てるんだよ!一人で寂しく見てるんだよ!だから知ってる!アンタ」「デッカーでは無い」「じゃあカネを取るのか!」

「カネは……実際、どこから取れるかはわからん」フジキドは言った。「だがトラブルはビジネスを連れてくる。サイオー・ホースという言葉もある」「誰かの受け売りかね。急におかしな事言い出したよ」老婆はモチ・シャーベットを難儀そうに咀嚼した。「で、アタシをどうすんだい。寝床はどこだ」

「悪いが私にあんたを泊める家は無い、御婦人」フジキドは答えた。彼はアマクダリ・セクトを始めとする敵対ニンジャの襲撃を避ける為、定住する場所を持たない。ナンシーも似たようなものだ。事務所を持たず、情報はネットワーク上の仮想オフィスに集積。必要に応じてIRC通信で引き出すのだ。

「結局見殺しか!」老婆が沸騰した。「なんだ!偉そうにこんな所でチャやオモチふるまって!結局見殺しかい!ニンジャが来たらどうすンだ!おしまいだ!」「少し黙らぬか」フジキドは流れて来たモチ・シャーベットの生姜蜂蜜味の皿を取り、差し出した。老婆は黙った。「気が進まぬが、アテはある」

 ……30分後、彼らはオオヌギ・ジャンク・クラスターヤードの橋を越えていた。オオヌギ・ジャンク・クラスターヤード。モナカは露骨に嫌な顔をした。「アタシャ貴婦人だよ」「では誇り高くニンジャに殺されるか」フジキドは冷たく言った。タマ・リバーは暮色に照らされ、西の空には黒い渦の塊。

「どいつに押し付ける気だい、アタシの事を」「ニンジャだ」フジキドは言った。「ただ、会ってみぬ事には、護衛として足りるか、わからん。無理ならば他をあたる」「いやに持って回った言い方をするじゃないかい」フジキドはタマ・リバーのたもと、トレーラーハウスの一つに老婆を案内した。

「クルマ!クルマに人が住んでるよ」老婆は大声を出した。近くのトレーラーハウスからタンクトップ姿のチョンマゲが顔を出し、睨みつけると、また車内へ戻った。フジキドは数台の前を通り過ぎ、足を止めた。トレーラーの側面には「地獄お」「明日も働かない」「個性的」の禍々しいペイント。

「もう贅沢は言わないよ」モナカは厳かに言った。「他をあたろう」「詳しい話はまず顔を合わせてからだ」フジキドは言った。「一方は気が弱く、懸念するもう一方は粗暴だ……だが、おそらく問答無用で襲ってくるような事は無い」「何だい、そりゃ」フジキドが答える前に、住人が顔を出した。

「うるせェと思ったら、アア?」痩せた女が、歯を剥き出してフジキドを睨んだ。「アンタか、疫病神!何しに来たんだよ!」前髪を殆ど生え際のところで横一直線に短く切りそろえたショートボブ。眉毛があるべき場所に眉毛が無く、かわりに棘めかせたタトゥーが施されている。髪の色は真っ赤な赤だ。

「ブレイズの方か」彼は呟いた。そしてモナカを見やった。意外にも老婆は平然としていた。一通りの嫌悪と衝撃を通り過ぎた故の平静と言えた。「アイツじゃなくて悪かったな」女はキツネ・サインをフジキドへ向け、ピアスの入った舌を出した。老婆を見やった。「……なんだよ、そのおばあちゃんは」

「さっきからうるせえぞ!」先ほどのチョンマゲが数台横のトレーラーから顔を出した。「うるせェのはお前だ!カス!チョンマゲ!流行らねンだよ!」”ブレイズ”が叫び返した。「黙ってろ!ひっこめ!身投げしろ!……で?そのおばあちゃんがアタシに用があるっての?」「そうだ」

「お前の頼み事なンか、聞くわけねえだろ!」ブレイズがトレーラーから降りて来た。黒ずくめのテックパンク。彼女の髪は風も無いのに揺れ、その表面に火の粉のような輝きが波打った。フジキドはモナカ老婆を庇うように立った。「どけ!」ブレイズが叫んだ。「そのおばあちゃんと直接話すっから!」

「……悪い子じゃないね」モナカはフジキドの肩を叩き、進み出た。「ドーモ、奇抜なお嬢ちゃん。あたしゃモナカ・ギンザってんだよ、ニンジャに家を荒らされて、命まで狙われてね、爺さんは先に逝っちまってるってのに、息子のヒトミと来たら連絡もナシのつぶてでさ、アタシャ悲しくてね、」

「アー」ブレイズは腰に手を当て、首を傾げた。クチャクチャとガムを噛んでいる。「アタシ、ブレイズね、ドーモ……なんかめんどくせぇ話?」「匿ってやってもらえぬか」フジキドが言った。「お前黙ってろって!」とブレイズ。モナカがハンケチで涙を拭いた。「アタシャ……」 「アー……いいよ」

 意外にも彼女は即答した。「アタシ、おばあちゃん子なんだよね。めんどくせぇけど住処貸すぐらいならいいよ」「やっぱり優しい子!家は、こんなだけど!」モナカはブレイズを通り過ぎ、トレーラーハウスに入って行く。「あらまァ!おやまァ!」「お前には貸しだかンな」ブレイズはフジキドを睨む。

「……おばあちゃん預かってる間、家賃の請求すッからな。早く連れて帰れよ」「うむ」フジキドは頷いた。「もう一つ!アタシが寝てる間に、アイツにふざけた施しすンなよ。住処はアタシが好きに決める。あいつじゃダメだ」「うむ」フジキドは頷いた。


2

「あのお婆さん本人からは何も出ないわね」殺風景な時間貸しのレンタル会議室に二人は居た。ナンシーは机に何枚かのスクラップ・メモを並べた。「家族構成は虚言じゃ無い。旦那も10年前に亡くなっている。自営のセントー経営者だったけれど、彼女は3年前に引き払って、市街区に」

「3年間。独りか」ニンジャスレイヤーは呟いた。「荒らされた部屋には特に手掛かりとなるもの無し」彼は机に写真を置いていった。「微量のニンジャソウル痕跡があった。恐らくは私が殺したナイトサーバント一人のものだ。痕跡のアトモスフィアが似ていた」「ニンジャの空き巣」「……」「冗談よ」

「企業と揉めた話も無し」ニンジャスレイヤーはナンシーを見た。彼女は頷いた。ニンジャスレイヤーはナンシーのスクラップ・メモを手に取った。「ならば、しきりに話に出てきた息子……サラリマンだったな。サラカイカ・ヘクト?」「それ、ね」ナンシーは言った。「勿体つけるつもりは無いけど……」

「既に調べたか」「ヒトミ・ギンザは死んでるの。それも先週」ナンシーはニンジャスレイヤーを見た。「先週?死んだと?」「それ、サラカイカ・ヘクトの社内報、社葬の記事……」「社葬……」ニンジャスレイヤーはスクラップをめくった。

『サラカイカ・ヘクトの優秀な会社員ヒトミ=サン』『泣きたい話です』『死後に二階級昇進して部長待遇』『忠誠心』『とにかく愛社』といった言葉が並ぶ。そして社葬の写真。企業墳墓に遺体を運んでゆく霊柩車と、サラカイカ・ヘクトの社章のノボリ……。

 社葬とは日本独特の風習であり、サラリマンの奴隷的献身、愛社精神の礎ともなっている。企業のために戦い、功績を上げ、死ぬ事によって、彼らは企業をあげたセレモニーをもって葬られ、企業墳墓に安らう事ができるのだ。言わばそれは彼らにとってのヴァルハラであった。

 フジキドはどうであったろう。ダークニンジャに家族を殺され、彼のかつての全未来は最悪の形で潰えた。たとえばあの悲劇が存在せず、サラリマンとして家族を愛し、天寿を全うしたとする……果たして企業墳墓への埋葬を望んだだろうか?やはり、無かろう。彼には家族がいた。彼は物思いを中断した。

「ヒトミ=サンは、なぜ死んだ」「心筋梗塞という事になってはいるわね」ナンシーは答えた。「これ以上は、外部から探りようがない。妙にネットワークセキュリティも硬い会社で、今の私のタイピング速度でここのファイヤーウォールを破れるとも思えない」「……中に入るのか」ナンシーは頷いた。

「実際もう準備は済ませてある。勿体つけるつもりは無いんだけど」「今から行くのか」とニンジャスレイヤー。ナンシーは微笑んだ。「そんなところ。今の私で細工できるところを、既に弄らせてもらった……また連絡する」レンタルルームのコトダマイメージが0と1に分解され、ホワイトアウトした。

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 IRCセッションは終わりだ。ナンシーは右耳の後ろのバイオLAN端子からケーブルを引き抜いた。携帯端末を折りたたみ、個室休憩所のドアを開けると、足早に退出した。既に彼女は秘書めいたスーツに身を包んでおり、硬い合成大理石床をピンヒールがカツカツと鳴らす。

「ドーモ」「ドーモ」サラカイカ・ヘクトの庭園作りの中庭をナンシーが歩くと、カチグミ・サラリマン達がにこやかにアイサツする。サラカイカ・ヘクト社は大手の製紙業だ。特にオリガミ部門が強い。枯山水、一列に並ぶシシオドシ、頭上高くのパネルに映る青空の映像。会社の勢いの誇示。

 エスカレーターの脇、真鍮の巨大なオリガミ・ツル・オブジェが台座の上で優雅に回転している。台座からはアンビエントなオコトBGMも流れ、リラグゼーション効果が実際著しい……ナンシーはまるでそれが日常の通勤風景であるかのような自然さで、エスカレーターに足をかけた。


◆◆◆


「ツケナミ=サン?……ツケナミ=サン?」ツケナミ=タイシは甘美な白昼夢の中にいた。課長……降って湧いた課長職!ジゴクをくぐり抜けたツケナミに与えられた、いわばこれは、褒美だ。同期のライバル二人は今回振るわれた大鉈によって二人ともセプクした。会社に捨てられればそれしかない。

 ツケナミには正直、今回の再編成を生き残る自信は無かった。同期の二人のほうがよほどできる連中だったのでは?いや……きっと、必要以上にできたからダメだったのだ。奥ゆかしさが足りなかったのだろう。ナムアミダブツ。二人とも悪い奴ではなかった。それが自ら死を選ぶ事になろうとは……。

 ここを去ったのち自らセプクせず、ランクを落とした別会社に再就職するなどした奴はいただろうか?……ツケナミはぼんやり記憶を辿る。一人、屋台を始めた奴がいたような気もするな。相当な変わり者だった、上司の叱責も柳に風だった。それぐらいの図太さがなければ、ショックで自殺するのが定石。

 (俺もセプクしたかな、もしクビを切られていたら)ツケナミは死体めいたイマジネーションを膨らませた。セプクをすれば、少なくとも名誉が保たれる。カチグミ・サラリマンとして死ねる。社葬してもらう事ができる。社屋の裏手にあるあのアンコールワットじみた様式の墳墓に安らうことができる。

 サラカイカの企業墳墓の凄さは同業他社と比べても抜きん出ている。名誉を重んずるからこその、ブランドパワーなのだ。ただ、ウシミツアワーまで残業した日など、窓からあの巨大なシルエットを見ると、正直ゾッとする。愛社的な感情とは言えない。だが怖いものは怖いのだ。

 皆、表立って口には出さないが、そうした恐怖はツケナミひとりの特殊感情では無い。その証拠に、あの墳墓にまつわる詠み人知らずの企業内伝説が幾つも存在し、語り伝えられているのだ。曰く、墳墓の入り口にユーレイが逆立ちしていた……墳墓が夜、光る……決まった時間に墳墓の写真を撮ると……

 特に、同期二人も死んだ、最近の例の大規模な再編成……セプクした人間が多いせいで、またぞろ、生々しい怪談が幾つか生まれてしまった。ウシミツアワーにIRCを立ち上げると、死んだサラリマン達の怨念が混線して……「ツケナミ=サン?」「アイエーエーエエエ!」

 ツケナミは我にかえった。課長用ビヨンボ・パーティションの影から事務員のヨキネがひょっこりと顔を出した。「居眠りしてたんですかあ?」「エッ?参ったね、ははは」ツケナミは頭をかいた。「まだお昼休み前ですよ。浮かれてるんでしょオ」ヨキネは笑った。愛想が全然違う!昇進前と!

「何を言ってるんだ、君ィ!」彼は慌てて手近にあった湯呑を取り、チャを飲んだ。粉末では無いオーガニック・チャ!課長の味だ。「慌てちゃって」ヨキネはくすくす笑い、「でもカワイイですよね!知らなかったです……あのォ、新しい秘書の人、今日からですよォ」「え、秘書?秘書か」

「金髪の綺麗な人なんですって!ダメですよ、変な事考えたらァ。あと、私をメッセンジャーがわりにしないように、カカリチョに言ってくださァい」「ああ、ああ、金髪?秘書?ああ……わかった」「絶対ですよォ!」ヨキネは笑い、去っていった。(これは……いける?ラブメンテナンス重点なのか?)

 ツケナミはヨキネのセクシーな後ろ姿を呆然と見送りながら、再び白昼夢に入りかけた。(ヨキネ=サン、俺に対して誘惑めいて……?参ったな、課長ってスゴイな!いや、まて、ただの勘違いだったら?そうしたらハラスメントだ。彼女はオイランじゃないんだ。俺の昇進を妬む奴のハニートラップかも)

 彼は無意識のうちに、下世話な妄想へ自らを強いて駆り立てた。死体めいたイマジネーション、死者達の深淵……そうしたものよりずっと健全!(オイラン、スシ、なんでも自由だ。くだらない事って最高だ。ヒトミ課長…元課長は、なまじ高潔だった故に、罪悪感に押し潰されてしまったに違いない……)

 そう、ヒトミ課長は高潔なサラリマンであった。人望厚く、バレない状況でも不正をしない。それでいて奥ゆかしく、ウカツな他者を、禍根を残さずにたしなめる限度をわきまえていた。そんな調停力を買われて今回の再編成の首切り役を担わされた事が、ヒトミ課長の不幸であった。

 ヒトミの振るう大鉈は無慈悲であった。マシーンめいた手腕。(ゆえに当時はツケナミも破滅を覚悟した。先に他の連中が切られて行っただけだ。彼はいまだに恐怖で叫びながら夜中に目覚める)会社のため、無慈悲な役割を己自身に強いる中で、ヒトミの心身は壊れていったのだろう……。

 今回の再編成が何より恐ろしいのは、新役員が迎えられた経緯が一般社員には結局よくわからないという事だ。理由の一部は別の理由に結びつき、時には理由同士が矛盾したりループして、誰も全貌を掴めない。そして新役員達の謎めいた恐ろしさ。廊下で一度すれ違ったことがある。彼は失禁を堪えた。

 新役員の小鬼めいた初老の男性と、その護衛の屈強な男。初老の男性はかつて国家官僚であったという。護衛は……ナムアミダブツ……護衛はスーツ姿であったが、その顔をメンポ(訳註:面頬)で覆い、頭巾を被っていたのだ。護衛があからさまにニンジャなのだ!

「ニンジャ!?ニンジャナンデ!?ゴボボーッ!」ツケナミは廊下前方から聞こえてきた叫び声に打たれ、我に返る。(アイエエエエ!?)そして悲鳴を噛み殺した。白昼夢が現実に!前方に、例の新役員と護衛が!彼らは失禁嘔吐しながら座り込んだニュービー社員を汚物のように見下ろしている。

 ナ、ナムアミダブツ……殺気を漂わせるニンジャが社内を大手を振って歩いていれば……心に準備が無くば、嘔吐するほどの衝撃を受けるのも止む無し!アワレ!だがツケナミにはどうすることもできぬ。彼は石のような無表情と、平然とした歩幅を保った。

「何だねこのゴミは!」新役員が扇子をパタパタと動かし、空気を寄せ付けぬようにしながら言った。「まったく失敬な奴だ。今すぐここでセプクしろ。カイシャクしろ、カコデモン=サン」「了解です」「アバーッ!アバーッ!」ナムアミダブツ!ツケナミは廊下の端に寄り、壁に体をつけるように通過!

(ち、畜生、企業ニンジャってのはもっとこう、闇の中にいるもんじゃないのか?)ツケナミはほとんど走るように廊下を突き進んだ。(なんなんだ、あいつらは?どうなっちまったんだこの会社は?いつもの社内風景、一皮剥けば、こんな……)勢いでエレベーターを通り過ぎ、階段を駆け下りる。

 急ぎすぎたために、ツケナミは階段を踏み外した。「ウオオオーッ!?」アブナイ!転げ落ちる!最悪死ぬ!……だが彼は、たまたま踊り場にいた女性に受け止められた。豊満な胸に頭から飛び込むような格好で、転落をまぬがれたのだ。「すまない!ハラスメントじゃないんです!」ツケナミは慌てた。

「わかっていますよ」女性は笑い、踊り場に落ちたツケナミの手帳を拾い上げた。「あら、貴方がツケナミ課長?わたし、今日から配属なんですの」「エッ?」ツケナミはずれたメガネを直し、息を呑んだ。そこにいるのは、美しい金髪のコーカソイド女性!「エッ、では秘書の……」「ハイ、そうです」

 ツケナミはその女性の女優めいた身体と知性漂う風格とに心打たれ、思わず襟を正した。「と、ということは貴方がエレクトラ=サン。これは大変失礼を。ツケナミです」彼はオジギした。エレクトラがアイサツを返す。「ドーモ。エレクトラです」魅惑的な唇がツケナミの視線を釘付けにした。

「実際ぼくも課長になったばかりで、新しく秘書を課長につける辞令にも正直戸惑っているのです」ツケナミは額の汗を拭う。エレクトラは頷く。「大丈夫ですよ。私のほうで大体は心得ていますから……あら、すごい汗」彼女はハンケチを懐から取り、ツケナミの顔を拭いた。ツケナミの心拍数が上昇!

「この上のフロアですね?エレベーターが混んでいたので、階段を使ったのですが」エレクトラが言った。ツケナミは頷いた。「あそこはいつも混むんです。だから……あ、待って!」階段を上がろうとするエレクトラをツケナミは制した。「今ちょっと、上で取り込み中のようです。下から廻りましょう」

「取り込み中?」「そう、何か清掃か何かで、私もさっき難儀したので」「わかりました」エレクトラは微笑んだ。彼女を案内しながら、ツケナミは必死に考えた。(さっきの事はもういい、気にするな。俺は課長だ。チャはオーガニックだし、秘書がスゴイ。この波に身を任せれば幸せに……幸せだ……)


◆◆◆


「……つまんないよ!」老婆が声を上げ、仰向けに引っくり返った。「アンタ弱すぎるんだよ!」「アァッ?」ブレイズはアドバンスド・ショーギ盤の反対側から老婆を睨んだ。「おばあちゃんさァ、なんか勘違いしてねェ?大体アタシはさ、おばあちゃんの遊び相手を引き受けたわけじゃないんだケド?」

「なんだと?アタシをこの、なんだ、怖い町の中、一人でほっぽらかそうってのか!」モナカは跳ね起きた。「そうだよッ!」ブレイズが叫び返した。「大体さァ、なにがショーギだよ!こんなのパンクじゃねえし!」「ヘッ!」モナカは車内所狭しと貼られたポスターやショドーを見渡した。

 ケジメドやアベ一休、スゴイサン等のアンタイセイ・パンクバンドや、17歳で夭折した俳優サゲル・アオイの手刷りポスターの数々、あるいは「興味が無い」と書かれたショドー……「コワイ!コワイ写真やショドーばっかりだ!」モナカは手を合わせた。「おお、ブッダ!ブッダ!」「恐くて結構!」

 ブレイズは立ち上がり、耐毒加工バッファロー革のジャンパーを着ながら振り返る。「まあとにかく時間だから。アタシ出かけッから。おばあちゃん大人しく寝てろよな。フラフラ外出して追い剥ぎに遭っても責任持たねえし」「ヒドイすぎる!なんて娘だよ!」モナカが喚いた。「ヒドイ!」

「アタシは出かけンの!おばあちゃんって寝るの早いんじゃねえの?寝ろよ!」「寝ないよ!毎日テレビを観るんだ。独りで!独りでシティポリス24を!なんで映らないんだい!」「ネオサイタマTVなんか見ねえよ!ブートのビデオ用だ、テレビは。だいたい何がポリスだ!ファックオフ!」

「なんたる不良娘!」モナカが叫んだ。「治安は大事だよ!どんな躾を受けたんだい!親の顔が見てみたい!」「いねえよ、親は」ブレイズはピシャリと言った。モナカは市民運動めいて勢いよく振り上げた拳をゆっくり下ろした。「そりゃ悪かったね」「別に関係ねえし。とにかく出かけるからな」

 ブレイズはトレーラーハウスを出てゆく。「……何だよ、仕事だっての。用心棒!」戸口から見送るモナカに叫んだ。「『パンだけ食ってたら死ぬ』ってコトワザがあるだろ?それともカネくれんのか、おばあちゃんが」「わかったよ、留守番してるよ、アタシャ……」ブレイズは舌打ちした。

 ……30分後!ブレイズはムコウミズ・ストリートのライブハウス「ヨタモノ」のエントランスで、クチャクチャとガムを噛みながら、腕組みして立っていた。ドアが開き、中からツインモヒカンの男が顔を出す。「ブレイズ=サン、あのさァ」「何だよ」睨み返す。

「何なノ、あの婆さん……」「アタシだって知らねえよ」ブレイズは吐き捨てるように答えた。「適当に相手してりゃイイよ」「なんか気になっちまうよ……だって婆さんだぜ……」ブレイズは無言で歯を剥き出し、キツネ・サインを突きつけた。ダブルモヒカン店員は肩をすくめて店内へ戻った。


3

 ゴウンゴンゴウン……ゴウンゴウンゴウンゴウン。黄色と黒の警戒色ペイントで注意を促しながら、路面清掃車が轟音とともに時速15キロ弱で道路を走り過ぎる。運転席ドアには控えめなウキヨエと、「アイドリングストップ」という社訓がショドーされている。

 既に日は落ち、上空には広告ビジョンを光らせるアズモ・トータル・エンタープライズ社のマグロツェッペリンが浮かび、地上に広告サーチライトを投げかける。路面清掃車は重苦しい稼働音を鳴らしながら、廃墟めいた瓦屋根の屋敷の前を通過した。

 屋敷?否、これは屋敷では無い。たしかに武家屋敷に似ている。塀もある。だが見よ、その軒先にはノレンが渡されている。ノレンには「男」「女」「仏」の三文字。これは、日本人であれば一目でわかる施設だ。セントーである。だがそのPVCノレンには汚れが染みつき、瓦は砕けている。廃墟なのだ。

「エッサ!エッサ!」闇の中から規則正しい掛け声が聴こえてくる。やがて現れたのは、競輪選手めいたボディースーツに身を包み、ハイ・テック・バックパックを背負ったヒキャクだ。ヒキャクとはパルクール訓練を積んだメッセンジャーの事で、複雑に入り組んだ都市の物流を支える重要な職業だ。

 彼らは車もバイクも自転車も用いる事はない。己の脚力で……そして高機動ボディースーツ、あるいは高価な呼吸器系サイバネティクス手術の助けを借りて、建物を渡り、電信柱を上り、道路を駆け、物品を指定の配達先へ届けるのだ。プロの仕事であった。「エッサ!エッサーッ!」ヒキャクが立ち止まる。

 彼が立ち止まったのはセントー廃墟の前だ。バックパックが合成マイコ音声を発する。「投函ドスエ」そしてバックパックの側面ハッチが開く。ヒキャクは素早く手を差し出し、ハッチから射出された郵便物を手に取る。カエルの形に折られた白い紙……電信オリガミ・メールだ。

 電信オリガミ・メールは、IRCで電信センターへ送信されたメッセージをオリガミ・メールに物理プリントアウトし配達するサービスで、通常、送信者の情報がオリガミに記載されないのが特徴だ。ヒキャクはカエルオリガミをセントーの郵便受けに投函しようとした。ブガー!『実際廃墟な』のアラート。

「エッ?何だよ」ヒキャクは毒づいた。「うん、廃墟か」彼はオリガミメールを配達不能ポーチにしまい、次の目的地めがけ走り出そうとした。「エッサアイエエエ!」いきなり目の前に飛び降りてきた濃紺の人影に行く手をふさがれ、ヒキャクは仰向けに倒れた。ヒキャクは目を剥いた。「アイエエエ!」

 その人影は……ナムサン、濃紺の装束を着たニンジャだ!メンポの奥でギラリと残虐な目が光り、ヒキャクを射すくめる!ニンジャは1メートル以上の長さがある鋼鉄のキセルを威圧的にヒキャクの首筋に翳し、脅した。「フー……そいつを渡せェ、オリガミを!」「アイエエエエ!」ヒキャクは失禁!

 ヒキャクの耳元で、巨大キセルの先端が威圧的に赤熱!耳たぶが焼ける!「アーッ!アーッ!」嫌な臭いと煙が噴き出す!「渡せェーッ!」濃紺のニンジャはさらに責め立てる!「アイエエエエー!」ヒキャクの心は折れた!カエル・オリガミを震えながら差し出す。プロ意識の敗北!ナムアミダブツ!

「フー。手間かけさせやがって……」濃紺のニンジャは赤熱するキセルをいきなりヒキャクの頬に押し当てた。「アイエエエ!?アバーッ!?」な、なんたる非道!肉が焼ける嫌な音と悲鳴が、人気の無い通りに木霊する!濃紺のニンジャはヒキャクを踏みにじり、オリガミを開いた。「ウーン?」

 濃紺のニンジャは書かれた電信文を読み、首を傾げた。「何だこりゃあ?ナメやがって」そして、踏みつけにしたヒキャクを睨み下ろした。「ヌカ喜びさせやがって。とにかくお前は目撃者として生かしておかぬ。最初からそのつもりよ」「アイエエエ?」ナ、ナムアミダブツ!

 ヒキャクはニンジャの足で仰向けに地面に押さえつけられ、涙目で夜空を見上げた。電線が逆さまに見下ろしている。「……?」彼は目を見開いた。何かが……電線を飛び渡ってきて……。「イヤーッ!」

「ヌウッ!?」濃紺のニンジャは一歩後ずさり、今まさにアワレなヒキャクをいたぶり殺そうとしていたキセルを構えて警戒した。クルクルと回転しながら落下してきた赤黒の影がヒキャクを挟んで反対側へ着地した。この者もまたニンジャだ!

「アイッ、アイエエエエ!?」ヒキャクは身を起こし、前の濃紺ニンジャと後ろの赤黒ニンジャを見比べて再失禁!「ドーモ」赤黒のニンジャはヒキャク越しに濃紺ニンジャに向かってアイサツした。「……はじめまして。ニンジャスレイヤーです」「何ッ!?」濃紺のニンジャは狼狽した。

「こいつがニンジャスレイヤー……?何故ここに……」だが彼はすぐに気持ちを切り替え、ヒキャク越しにアイサツを返した。「ドーモ。はじめましてニンジャスレイヤー=サン。クルーエルアイアンです」「アイエエエ!」殺気に挟まれ、ヒキャクは前と後ろを交互に見て失禁し続ける!

「何の用だ」「オヌシの事は殺す」ニンジャスレイヤーは即答した。「と……」クルーエルアイアンはぞくりと震えたのち、キセルを振り上げた。「と……ともかく貴様も目撃者という事でこのヒキャクともども熱いキセルで殴ったり先端を押し当てて苦しめた後に殺してくれるわーッ!イヤーッ!」

 振り下ろされるキセル!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは内回し蹴りを繰り出し、キセルを弾き返す!その勢いで回転し、後ろ回し蹴りを繰り出す!「イヤーッ!」「イヤーッ!」クルーエルアイアンは得物を立ててガード!「アイエエエ!」両者に挟まれ、這いつくばって震えるヒキャク!

「とっとと逃げるがよい!」ニンジャスレイヤーはクルーエルアイアンにチョップを繰り出しながら、足元で這いつくばるヒキャクを叱責した。「アイエエエ!」ヒキャクはぶつかり合う二者のカラテの中から這い出し、失禁しながらダッシュして、闇の中に駆け去って行った!「アイエエエエー!」

「イヤーッ!」クルーエルアイアンがキセルで鋭い突き攻撃!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはブリッジでこれを回避!「イヤーッ!」そこから両足を跳ね上げ、プロペラめいて回転させて蹴った。「グワーッ!」クルーエルアイアンは突き直後の腕を蹴られ呻く。手を離れて宙を飛ぶキセル!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは宙に高く浮かんだキセルを追うように垂直に跳躍した。そして空中で身体を捻じり、ゴウランガ!キセルをオーバーヘッド・キックした!「イヤーッ!」空中からクルーエルアイアンめがけ、投槍めいた勢いでキセルが飛ぶ!「グワーッ!」額を直撃!

 クルーエルアイアンは己の得物に額を割られ、鮮血を噴き出しながら後ずさった。ニンジャスレイヤーがツカツカと近づく。クルーエルアイアンはキセルを構え直した。「クソッ!ニンジャスレイヤーだと?ベイン・オブ・ソウカイヤが何だというのだ!あれをやったのはザイバツだ、俺は詳しいんだ!」

「なかなか面白い説話だ。オヌシらの間で流行しておるのか?」接近するニンジャスレイヤーの瞳がジゴクめいて赤く光った。「その説話はナイトサーバント=サンも好んでいたようだ。私が心臓を握り潰して殺したがな」「な……」クルーエルアイアンが後ずさった。「奴は貴様に……!?」

「死ぬ前にハイクを詠みたくば、私がこれからオヌシの首を刎ねるより先に話せ。モナカ・ギンザに……そして彼女のかつての家に、何の用がある」「モナカ?」飛び下がりながらクルーエルアイアンが叫び返す。「貴様、あのババアに何の用だ?なぜ守る?ファックでもするのか?お節介焼きめが!」

 クルーエルアイアンは素早く己のキセルに口をつけた!「勝ったつもりで油断したなバカめがーッ!」その胸が異様に膨らむ!なんたるニンジャ肺活量か!そして息を吹き込む!「ブフゥーッ!」キセルから黒煙が噴き出した!あきらかにこれは有毒な何らかのガスだ!至近距離!アブナイ!

「イヤーッ!」だがニンジャスレイヤーは研ぎ澄まされたニンジャ反射神経によって攻撃に対応!地面スレスレまで身を沈めながらの水面蹴りだ!彼のすぐ上にはモクモクと毒雲が立ち込めるが、煙は上に上がってゆく!身を沈めた彼には無効だ!「グワーッ!」足を刈られ転倒するクルーエルアイアン!

 転倒の勢いによって、クルーエルアイアンの身体は空中で上下逆さになる。頭が地面に!そこへ、ニンジャスレイヤーの水面蹴り二回転めが!「イヤーッ!」直撃!「グワーッ!」クルーエルアイアンの頭が蹴りの勢いで切断され、地面を転がる!転がった先、倒れたゴミバケツに突入!ポイント倍点!

「サヨナラ!」ゴミバケツの中からくぐもった断末魔が聴こえ、頭を失ったクルーエルアイアンの身体が爆発四散した。ニンジャスレイヤーは転がって煙の範囲を逃れ、起き上がってザンシンした。オリガミ・メールが彼の目の前をヒラヒラと舞う。彼はそれを素早く掴み取った。

「……」彼はオリガミメールの文章に目を走らせ、眉根を寄せた。そしてセントー廃墟を……かつてモナカ・ギンザとその家族が暮らしていたであろう場所を一瞥すると、「イヤーッ!」電柱と建物の壁を三角飛びで上り、そのまま夜の闇に再び消えて行った。


◆◆◆


 ナンシーは窓ガラスからネオサイタマの美しい夜景、サラリマンの残業によって維持される地上の宇宙を見下ろす。彼女の後ろで、そんなサラリマンの一人はいびきをかいて寝ていた。ツケナミである。

 ガウン姿のナンシーは折りたたみ型の携帯UNIX端末を開き、セッションをリクエストした。ツケナミが起きてくる気配は無い。やがてリクエストへの反応がある。ニンジャスレイヤーのログインだ。

 彼女は無造作に耳の後ろの生体増設LAN端子にケーブルをコネクトし、タイピングを開始する。ツケナミ?起きてくるものか。ナンシーの名誉のために……あるいはツケナミの名誉のために申し添えておくと、両者は行為には至らなかった。しかしナンシーは有益な情報を聞き出せるだけ聞き出した。

 ナンシーはチカチカと点滅するニンジャスレイヤーのアカウントを感じる。だがコトダマ空間へのエントリーは無い。ニンジャスレイヤーは高速移動中であり、タイピングに集中できる環境下に無いというわけだ。|ドーモ|ナンシーはojigiコマンドの後、アイサツした。|ドーモ|と返答。

 |音声変換に切り替える|とニンジャスレイヤー。|ところで上司殿が隣で寝ています|とナンシー。ニンジャスレイヤーはこの手の冗談には乗って来ない。ナンシーは音声に切り替える。『上司のツケナミ=サン、酔いつぶれて寝ているの。オデン屋台で思う存分グチを聞いてあげたわ』『そうか』

 そう、ナンシーはツケナミを泥酔させて情報を収集し、そののち彼を会社近隣のこのビジネスホテルに休ませた。何か面倒があった時の為のハラスメント脅迫材料として、彼女はツケナミの写真を撮った。せっかくだから彼女自身はホテルのスパ・サービスを利用し、今こうして部屋へ戻って来た。

『ヒトミ=サンの事だけど、やっぱり会社と一揉めあったの。サラカイカ・ヘクトはつい最近、新役員を受け入れて、組織の大規模な再編成を行った。その首切り役が彼、ヒトミ=サン』『……なるほど』ニンジャスレイヤーは答えた。『罪悪感と責任感の板挟みという、サラリマンの例のインガか』

 ナンシーはニンジャスレイヤーの無感情な言葉に潜む、言外の何かを感じ取る。だが、続けた。『……新役員のドロムラ、かなりヤバイみたい』ナンシーは言った。『社内で護衛のニンジャを連れ歩き、恐怖で会社を支配している。名前はカコデモン……聞いた事は?』『いや』

『ドロムラは元国家官僚。経緯はよくわからないけど、いきなりサラカイカ・ヘクトにやってきた。サラカイカ社の業績は順調だし、株のおかしな動きも特に無かった。それをいきなり、横から鷲掴みよね』『……』

『ええと、ヒトミ=サンが、よくあるストーリー、首切り役を気に病んで自殺したとすれば、私のこの後の仮説は憶測になってしまうけど……』ナンシーは前置きした。『いや』ニンジャスレイヤーはそれを遮った。『それは無い。彼が自殺を選択する事は、絶対に無い』

『なにか掴んだ?』『うむ。だがまずは話を聞かせてもらおう』ニンジャスレイヤーが促す。ナンシーはチャを一口飲んだ。『彼、ドロムラと事を構えたんじゃないかしら?ヒトミ=サンはいわば、高潔な人物。そんな彼が過酷な首切りを命じられる……なら、せめて、首切り断行の理由に納得したい筈』

『納得……か』『そう、納得。せめて自分がサラカイカ・ヘクトの発展に貢献できているという納得。首切りが会社の為になっているという納得。愛社精神ってやつよね。でもそれが違ったとしたら?首切りを命じた人間が……会社を私するだけの、邪悪な存在であったとしたら?つまり、ドロムラが!』

『成る程。説得力がある』ニンジャスレイヤーは言った。『僭主のもとで個人が左様な正義感を持てば、待つのは悲劇だ』『好奇心は猫を殺す』ナンシーは言った。『ドロムラが会社を手中に収めた経緯を知る人間が社内に殆どいないの。何かそこにまつわる秘密を掴もうとした、掴んだ……?そして……』

『そして排除された』ニンジャスレイヤーが言った。ナンシーは頷く『ええ。殺された……とすれば、辻褄があう。突然死扱い、そのまま社葬、二階級昇進、至れり尽くせり。ね?そしてここでモナカ=サンが登場。血のつながった家族、危険の迫った彼は死ぬ前に何かを、外部……家族へ送っていたら?』

『モナカ=サンは、』ニンジャスレイヤーの言葉は、ナンシーのUNIX端末が発する電子ナリコアラートでかき消された。液晶パネルにホテルの廊下が映し出される。ルームサービスめいた姿の男。インターホンに手を伸ばす。ナンシーは目を見開いた。彼女は立ち上がり、ガウンをその場に脱ぎ捨てた。

 ブザー音。それから、ドアをノックする音。「ルームサービスでしてェ」「ドーモ、今開けますから」ナンシーはハンガーにかかった秘書スーツを無視。足元のスーツケースを開き、ライダースーツを着込む。そして拳銃を手に取る。ルームサービス?そんなものは頼んでいない。つまり、それは!

 ドォン!鉄扉が内側にひしゃげる!ドォン!さらに一撃!ドアが破壊され、室内に蹴り込まれた!ナンシーは拳銃を構え、そちらとベランダの窓ガラスとを交互に見やった。「インターホンにはすぐに応えてもらいたいですなァ」侵入者が歩きながらホテルマンの服を脱ぎ捨てると……ニンジャ装束だ!

 ナンシーは問答無用で拳銃を発砲!愛用のデッカーガンでは無い為、威力に不足がある。やはりその侵入ニンジャは……暗鉛色の大柄なニンジャは、歩きながら銃弾を弾き飛ばしてしまう!そして威圧的にオジギした!「ドーモ。エレクトラ=サンでしたかな、ニセ秘書どの?私はカコデモンです!」


4

 BLAMBLAMBLAMBLAM!ナンシーは撃ち続ける。「おやめなさい」カコデモンは両腕を円形に動かす。タツジン!彼の指に全銃弾が挟み取られ、熱蒸気を噴き上げた。「真のニンジャのイクサは常人の介在できるものではない」「shit」ナンシーは舌打ちした。「役員のお守りはいいの?」

「さて、できるならば殺さずに、どこまで貴方が我が社について勉強できたのかテストしたいところです。エート……エレクトラ=サン。フフフ」カコデモンの三白眼がどろりと濁った喜色を浮かべた。「ニンジャスレイヤーの陰にコーカソイド美女の存在あり。そんな話を耳に挟みますのでね」

「詳しいのね。私の知らない事を色々と」ナンシーは拳銃を捨て、ホールドアップした。彼女の額を汗の粒が伝い、胸の谷間に降りていった。「そんなガイジンがいるだなんて、初耳……迷惑な話よね」「ハハハ、面白いですな。ともあれ我々のセキュリティを侮りましたか」「アマクダリ・セクトの?」

「アマクダリ」の単語を耳にすると、カコデモンの目が黒っぽい紫の光を帯びた。ナンシーはカマを掛けただけだ。彼女は答えを待たず横に跳んだ。顔の前で両腕を交差、スーツの手首部に仕込まれた微細ヒートブレード機構が働き、強化ガラスに瞬間的なダメージを加える。体当たりによってガラスが粉砕!

「チィッ」カコデモンは窓ガラスから身を乗り出す。獲物は落下しながらワイヤーを射出、建物に引っ掛けて切断。さらに射出、引っ掛けて切断、と繰り返しながら逃げてゆく。当然カコデモンも後を追って即座にダイブした。「イヤーッ!」

 落下衝撃を緩和しながらホテルの壁を降りてゆくナンシーを追い、カコデモンは飛び込み選手めいて垂直落下!そして、見よ!その背中から黒い皮の翼が、ニンジャ装束を破って飛び出し、開いた!「ハーッハハーッ!」さらにその頭部から禍々しい山羊めいたツノが頭巾を破って飛び出す!コワイ!

 ナンシーは腰に仕込まれた2丁の小型拳銃を引き抜き、落下しながらカコデモンに向かって撃ちまくった。「Dodge this!」BLAMBLAMBLAMBLAM!カコデモンは皮の翼で己の身を覆い、これを受ける。特殊弾丸は着弾時に炸裂し、ニンジャであっても無視はできぬ衝撃を加える!

 さらにこれだ!ナンシーは拳銃を放り捨て、着地と同時に地面に閃光弾を叩きつけた。FLASSSHH!「ヌゥーッ!」ナンシーとほぼ同時に着地したカコデモンは光に包まれ呻く!これは偶然であるが、カコデモンは閃光弾によって目くらまし以上のダメージを受けたのだ!

 ナンシーは閃光弾の衝撃で自らも片耳から出血していた。ややバランスを崩しつつ、身を翻して走る。カコデモンは頭を振って衝撃から回復しようと努める。彼は恐るべきアクマ・ニンジャ・クランのグレーターニンジャ憑依者であり、ダメージからもすぐに立ち直る事ができる。

 ナンシーは大通りへ飛び出す。カコデモンは追う!そこへ突進してくるのは弾丸めいた速度のウキヨエ・トレーラーだ!「ザッケンナコラー!」過酷なノルマを負わされたネオサイタマの暗黒トレーラー業者は、産業道路に飛び出した人間など、構わず合法的に轢き殺すのだ!ナムサン!「ンアーッ!」

 ナンシーは前方へ身を投げ出し、地面を転がった。すんでのところでトレーラーを回避!災いもこうなれば僥倖だ。彼女はよろけながら駆け出す。そしてガードレールを乗り越え、土手の下へ飛び降りた。「スッゾコラー!」追跡を遮られたかたちのカコデモンへ、新手のトレーラーが突進!「イヤーッ!」

 カコデモンは中腰になり、山羊めいた禍々しいツノで真っ向からトレーラーとぶつかり合う!翼が拡がり衝撃を吸収!KRAAAASH!「アバーッ!」フロントパネルが無残にひしゃげ、トレーラー運転手は即死!さらにカコデモンは踏み込む!叩き込まれる両拳!ダブル・アクマ・ポン・パンチだ!

「イヤーッ!」KABOOOOM!カラテ衝撃が車体を電流めいて伝わり、トレーラーの可燃性積荷が引火!爆発炎上!ナムアミダブツ!それは全く無用の一撃であったが、カコデモンにとっては腹いせめいた行動であった。最初のトレーラーの突入時、既に追跡の失敗は明らかとなったからだ。

「フーッ……」カコデモンは人間を殺しトレーラーを爆発させた爽快感で己の憤怒を瞬時に発散した。「まあいい、こうなればナイトサーバント=サンの失踪は十中八九ニンジャスレイヤー……ようやく仕事も忙しくなってきたと言うもの……」


◆◆◆


「アンタ、そんなあんた……そんなんじゃ仕事も断られちまうんだろう?どうすんだい」「……ファック?」メイルストローム・ボンズヘアーのパンクスは首を傾げてモナカを見た。その顔には、大きなオスモウフォントで「ちっとも楽しくない」と入れ墨されているのだ。

「ねえ、アンタどうすんだい、それ!」「ばあさん!ばあさん!」ツインモヒカン男のバーテンがモナカの腕を揺さぶった。「やめといて!ね!」「なんだい!」「……ファック」メイルストローム・ボンズヘアーの顔面刺青男はバーテンからサケを受け取り、フロアへ戻ってゆく。

「今後どうすんだい、ああいう若者は!」「まあ、あるよ、何かしら仕事は。こういうライブハウスとかさぁ……」ツインモヒカン男はため息を吐いた。「とにかくあれはさ、ああいうのは、覚悟なの。ワカル?企業で一生働かない気持ちを、消えない刺青で表してんのよ。有言実行なの」「おやまぁ!」

 モナカはフロアに増えてきた客のパンクスを、目を丸くして見渡した。「このヤッコ達は、アレだろ?アタシャ、シティポリス24時間で見た事あるよ!摘発だ!違法コンサートだ!すごいねェ!」とモナカは腕を振り上げる。「カナガワみたいな楽団だろ?放火したりさ!知ってるよ!」

「カナガワはパンクじゃなくてアンタイブディスト・メタルだから、エート、あのね、ばあさん……」「違うのかい?」「まあ色々あンのよ、このハコはパンクスの聖地で、ニンジャの襲撃を受けて沢山殺されて、店長も死んで、それでも俺らは負けないでよォ、復興……ばぁさん!ダメ!」

 サソリパンクヘアーのニューハーフに声をかけようとしたモナカの腕をバーテンは掴んで引き戻した。「ダメだって!青龍刀背負ってるの見えるでしょ?ケンカっ早い奴もいるんだ。ファッションは生き方なの。ただの見た目じゃないの!生き方をバカにされたらばあさんも嫌でしょッ?」「あらまあ……」

 やがてステージでは機材のセッティングを終えたバンドのメンバー達が袖に引っ込んで行った。客のパンクスは互いに話したり、キョロキョロ見渡したり、サケを頭から被ったりしている。「色々あるんだねえ」モナカは、やや反省したように殊勝に呟いた。「ばあさん耳栓した?」「耳は遠いんだ」

 バンドは30秒後に再びステージに戻ってきた。「あらまあ!同じ連中だよ!じゃあ何で引っ込んだんだ!」「そりゃ、気合い入れんだよ!そのままやったらカッコつかねえだろ?自分でセッティングもやるんだ。DIYだよ!」ツインモヒカンが説明した。バンドのボーカルが叫ぶ「アンタイセーイ!」

 と、そのとき、いきなりギターリストがそのボンズヘアーボーカルをギターで殴り倒し、マイクスタンドを奪った。「俺たちは!マゲナイだ!今日はアベ一休は出ねえ!」ブーイング!「うるせえぜ!1.2.3.4!」ドラマーが太鼓タムを乱打!ベーシストが弦を乱打!轟く爆音!「ギャー!」

 モナカは耳を塞いだ「たいへんだ!たいへんだよ!」バーテンがウンザリした顔で彼女の頭にヘッドホンをかぶせた。倒れていたボーカルが起き上がり、ギターリストを蹴飛ばしてマイクスタンドを奪い返す。そして叫び出した。「俺は!なんにもすごくねえ!俺は!お前より貧乏!俺はカッコいい!」

「アンタイセイ!アンタイセイ!」ベーシストが合いの手をいれる。アンタイセイとはアンタイ(反)とタイセイ(体制)を組み合わせた合言葉。伝説的パンクバンドのアベ一休というバンドの発明だ。今ではパンクスに広く共有されるソウルワードとなっているのだ。「アンタイセイ!アンタイセイ!」

「俺はナメられてる!俺は道で絡まれる!俺はカッコいい!」「アンタイセイ!アンタイセイ!」「アンタイセイ!アンタイセイ!」「ウォー!」興奮した客が次々にステージに上がる!ボーカリストが客を殴った「ここは俺のステージだ!」たちまち殴り合いが始まった!

「ウォー!大変だ!」モナカがカウンターの上で腕を振り回した。「やめてよ!」バーテンが降ろそうとする。ステージは殴り合いのケオスだ!「ああ、暴動だァ、ブレイズ=サン早くどうにか…アー」バーテンはうなだれた。ステージ上の暴徒の中に、率先して近くの者を殴るブレイズを見つけたのだ。


◆◆◆


「無い……無い……無い……無い」ナンシーの高速タイピングが熾烈にキーボードをヒットする。やがて彼女は視界に立ち現れたコトダマイメージの中に突入する。無機的な石の庭に並ぶ箱がつぎつぎに蓋を開いてゆくのを、ナンシーは走りながら確認してゆく。「もっと深く……深く……」

 カコデモンの襲撃をやり過ごした彼女は、そのまま営業時間外のサラカイカ社に再び潜り込んだ。彼女は今、社内データセンターに物理的に潜入し、UNIXへの直結を試みている。実際かなり危険な判断と言えた。いつニンジャが嗅ぎつけるかわからぬ。しかしもはや、翌朝以降の潜入機会は無いだろう。

 彼女の現在のタイピング速度でどこまでできる……!かつて彼女はLAN直結タイピングを用いず、デッキに触れずとも、自由にコトダマ空間へ飛び込む事が可能だった。今やその力は失われ、取り戻す事かなわない。かわりに彼女は身体を鍛え、力を養った。それでもこうした時にはもどかしさを感じる。

 やがて彼女の目の前に石造りの井戸が現れる。より深い階層への進入路だ。今のタイピング速度で突入できるか?確信は無い。低階級社員の人事データ改竄についても、巧くいったものと彼女は実際考えていた。だが結果はご覧の通り、カコデモンに尾を踏まれ、生死の綱渡りをするはめになった。

 頭上では選択を迫るかのように黄金の立方体がゆっくりと自転している。近いが、遠い。かつての彼女と比べると、ずっと遠くなった事だろう。気を散らすな……ナンシーは集中した。ザゼンドリンクに頼る事は二度とできない。タイピング速度が加速する!

 彼女の体は石の井戸に引き寄せられ、吸い込まれてゆく。重力の方向が変わり、緑色の格子模様渦巻くトンネルを彼女は走っていた。トンネルの奥にはモノクロームの小さな書斎。彼女は錠付きの書物を手に取る。表紙には別の人間の指紋がついている……まだ新しい。「ヒトミ=サン」

 彼女の手の中で偽装鍵がウネウネと形を変える。ただしい形を探り当てる事がすぐにできない。タイピングが……遅い……遅い。ゴシック様式の窓の外、黄金立方体が嘲笑うように光っている。やがて一つの形が定まる。彼女はそれを鍵穴に挿し込んだ。

 ガチャリ!錠が弾け飛び、ナンシーは数字の羅列に取り囲まれた。やり取り……複数の記号……会わない合計値……行政指導……恭順……ぼんやりと見える、狭い茶室……チャを汲みかわす三人……サラカイカCEO、そしてドロムラ、そしてもう一人……彫像めいて整った褐色の……「ンアーッ!?」

 ナンシーは背中にツララを刺し込まれたような激痛と冷たさに仰け反る。書物を取り落とす。書物が落ちると床にヒビが拡がった。ヒビは黒い茨となってナンシーの身体を這い登り始める。ナンシーは出口を探した。出口を……明かりを……目印を……這い登る茨……!「ンアアア!」「ナンシー=サン!」

 声!彼女の知る声。ノイズにまみれているが、その声が彼女の命綱めいて、ゴシック様式の窓の外に細い筋道を浮かび上がらせた。(フジキド=サン……)窓が開く。「ナンシー=サン」「ナンシー=サン」飛び出す……迫る茨……飛び出す!「ナンシー=サン!」

 ナンシーは耳の後ろのケーブルを引きちぎるように抜いた。脇腹や腿に鈍痛。内出血だ。逃走時の負傷とは別の怪我だ。たった今ついた傷だ。フィードバックが起こったのだ。彼女はUNIXを見下ろした。端末のスピーカーがザーザーと不穏なノイズを発している。彼女は訝しんだ。「ナンシー=サン」

 彼女は耳をこらした。声。彼女をコトダマ空間から脱出させる標となった声だ。「ザザッ……シー=サン。ナンシー=サン」怪奇現象めいた声。まるでユーレイのようだ。墳墓のユーレイ……社内の伝説……「ニンジャスレイヤー=サン!」ナンシーは答え、耳を凝らした。「ザザッ……IRC……」

 ナンシーは慌てて携帯端末を起動させた。ニンジャスレイヤーからのリクエストだ。それにしても、この歪んだ音声は?UNIX端末から無理に音声を吐き出したような不可思議な現象……これは一体?『つないだわ。どこ?私はサラカイカにいる。ニンジャは撒いた』『ザザッ……墓……墳墓だ』

『墳墓?裏の企業墳墓なの?』『ナンシー=サン……ヒトミ=サンは生きている』『生きて……何ですって?』『ザザッ……我々は遠回りをしてしまっていたのかも知れん……それは敵も同様に……遠回りを……彼の……』

『ニンジャスレイヤー=サン?』『ザザザ……継……私は産業道路をひっきりなしに走るウキヨエ・トレーラーの……違法無線を中継……IRC……ヒトミ=サンがやったように……ザザッ……彼が……電信センター……墳墓から……今、彼と同じように……』

 このとき、まず、ナンシーは「やられた」と率直に思った。この二人には常に、どこか互いに競い合うようなところがあった。戦闘能力では到底ニンジャスレイヤーの足元にも及ばぬ非ニンジャのナンシーであったが、こと探索ミッションに関しては自身が常に上をゆくものと、無意識に決めつけていた。

 (やれやれ、そうね、探偵)ナンシーは息を吐いた。彼は彼自身のやり方で真実のより近くまで到達し、ナンシーを待っている。今回は彼女の負けだ。(最初は何を言い出すのかと思ったものだけど)『ザザッ……そこから……ザッ……墳墓のセキュリティ・システムに……ザッ……アクセスを……ザザッ』

『ええ。すぐに』ナンシーはデッキを操作。墳墓のセキュリティ・システム……驚くほど強固。だが先程の情報ほどでは無い。彼女は次々に電子のシャッターをこじ開ける。あの情報断片……密談……褐色の男は何者だ?どこかで見たようにも思うが……キャバァーン!「墳墓アクセス開通な!」の合成音。

 途端に、胡乱なノイズの霧は晴れ渡る。産業道路を走るトレーラーの違法増幅無線を中継せずとも、このオフィスと墳墓のアクセスポイントを繋ぐことができるようになった。『今のが、最近のユーレイ騒ぎの正体ってわけね』ナンシーは迷宮めいた墳墓の見取り図を展開する。『さあ、次は何?』


◆◆◆


 ……その、しばし前! 

 ネオサイタマ某所。時刻はウシミツアワーを迎えんとする頃であったが、この少年は……酷薄なるラオモト・チバは、そんな事はお構いなしだ。帝王学を血中に染み渡らせた彼は、常に四時間しか睡眠を取らぬ。彼の後ろに控えるは、道着袴を着た筋骨隆々のニンジャ。忠実なるネヴァーモアだ。

 この男は頭巾を被らず、刈り込んだ黒髪には稲妻形の剃り込みが入る。黒金のメンポが鼻から下を覆い、その目はカミソリのように鋭い殺気を放つ。ネヴァーモアはラオモト・チバが心許す数少ない側近ニンジャの一人であり、実際、チバの実父ラオモト・カンを異常崇拝する危険なニンジャであった。

 チバは彼を引き連れ、磨き抜かれた廊下を足早に歩き進む。そして「盆中」と雄々しくショドーされたカーボンフスマを開け放つ。彼らが足を踏み入れたのはタタミ敷きの円形広間で、中央には全方位UNIXモニタを据えた黒檀の台座が据えられている。天井には二刀を携えた聖人図画……聖ラオモト。

 ネヴァーモアは天を仰いだ。そののち台座へ近づきコンソールを操作する。全方位モニタが点灯。跪くニンジャが映し出される。「ドーモ。カコデモン=サン」チバは尊大に言った。「報告があると?この僕をわざわざ呼びつける程の?くだらぬ話であれば承知せぬぞ」「ハーッ」カコデモンは頭を下げた。

「ニンジャスレイヤーが」カコデモンは厳かに言った。チバは叫んだ。「なんだと!」「ハーッ!」カコデモンは再び頭を下げる。「正確には、ニンジャスレイヤーとともに行動する牝狐が網にかかりまして」「あッ……あの女だと!?」チバはさらに激昂した。「捕えたか!」「いえ、これからです」

 このとき既にカコデモンはナンシーを取り逃がした後であった。それをわざわざ主君に伝えるほど馬鹿正直ではない。彼は顔を上げた。「こうなればニンジャスレイヤーも必ず現れます。お喜びください」「喜ぶ?差し出がましいぞ」チバが睨んだ。「黙って奴の首を持ってこい。それだけだ」「ハーッ!」

「ニンジャスレイヤー?」とつぜん背後で声が響いた。チバは小さく舌打ちし、そちらを振り返った。ネヴァーモアは無言である。しかし足をやや開いて半身に立った姿勢は、いつでもその相手に襲いかかれる体勢だ。彼らの視線の先には、この広間への新たなエントリー者の姿があった。

「ドーモ。ラオモト=サン。ネヴァーモア=サン」彼はオジギした。褐色の肌、後ろへ撫で付けた白髪めいた金髪。着流しを着た、彫像めいて眉目秀麗な男である。その灰色の瞳がチバを見据えると、少年は緊張を悟られまいと、険しい視線を返す。「……ドーモ。アガメムノン=サン」

「ご機嫌麗しう」男のアイサツは奥ゆかしくも、底知れぬ威圧的アトモスフィアはチバを呑み込むかのようだ。彼の顔を凝視した者は、超人めいた灰色の瞳の奥で微細な稲妻のパルスが脈打っているのを見る事だろう。彼こそはアガメムノン……ゼウス・ニンジャを身に宿す者!


5

「ニンジャスレイヤーという言葉が耳に入りましたな」アガメムノンは歩みを進める。威厳溢れる長身、寛いだ着流しの下からでもカラテのワザマエを伺わせる、戦闘的な体格。

 その神話英雄めいた佇まいは伊達ではない。彼こそがアマクダリ・セクトの創設者……ラオモト死した後のネオサイタマに得体の知れぬ闇組織を築き上げた張本人。カンの嫡子の中でもっとも優れたチバを象徴として担ぎ上げ、ラオモトの威光と己のカラテをもって、新旧のニンジャを取りまとめた男なのだ。

 表社会において、彼はネオサイタマ知事の秘書という立場を取り続けている……少なくとも、現在のところは。知事は専ら彼の傀儡に過ぎないと想像するのは容易かろう。彼はチバ以外のラオモト血族、愛人に至るまで、全てを殺害し、チバの象徴性を揺るぎないものとした。平然と、やってのけた。

 チバはその虐殺の事実を知っている。チバは兄弟たちをもとより邪魔者としか見なしておらず、母の愛も知らぬ。だがチバは、あの日、父の死にうちひしがれる彼のもとへ唐突に現れ、またたくまに全てを用意して見せたこのアガメムノンを少しも信頼していない。

 チバはアガメムノンを畏れる。底の知れぬこの強大なニンジャを。政治を支配し、政治の世界から企業を支配する……数々の企業へ、自らの息のかかった人間を役員として、ニンジャと共に送り込む……その恐るべき手管の行き着く先には、何がある?

 チバには自由と権力が与えられている。だがそれはアガメムノンが与えた自由と権力だ。所詮それは、より大きな檻、より大きな鎖でしかない。チバはアマクダリ・セクトの首領でありながら、その組織の全貌を知らぬ。だがそれは、セクト所属のニンジャ達も同様なのだ。

 アガメムノンの他に、それを知る者はいるのだろうか?コールド・チェンバーでザゼンし続けるホワイトドラゴンは?ザイバツのグランドマスターを倒したスパルタカスは?スターゲイザーは?否……おそらく否である。

 (だが、ぼくは……いずれ見ていろ、アガメムノン。せいぜい今はそうやって、ぼくの事を置き物か何かのように見下しているがいい)チバは奥歯を噛み締め、アガメムノンを睨んだ。

「ニンジャスレイヤーへの御執着、無理からぬ事ではありますが」アガメムノンはアルカイックな笑みを浮かべ、チバを見た。「過度に熱中なさらぬように。御身体に障っては元も子もありません」「……」チバはネヴァーモアに命じてカコデモンとの通信を切断させた。「奴はセクト全体にとって敵だ!」

「カコデモン=サン……サラカイカ・ヘクト」アガメムノンは目を細めた。「ニンジャスレイヤーと交戦を?」「ああそうだ、これからな!」「……さて」アガメムノンは煮え切らぬ様子だ。「彼は死ぬかも知れません、残念です」「何だと?」「あまり侮ったものでもない。御父上の事を思い出されよ」

「……」「ニンジャスレイヤーと本格的に事を構えるには、時期尚早と言えましょう」「臆するか!」「コストに見合わぬイクサです。サラカイカ社は、やや痛い。だが所詮、彼は野心無き個人に過ぎない」「……」チバはアガメムノンの無感情な目を見据えた。稲妻の閃く瞳を。チバは目を逸らした。

「ゆえに、お楽しみもほどほどになされよ」アガメムノンは恭しくオジギした。その足元に電光が閃くと、彼は先ほど現れた戸口まで一瞬で移動していた。彼は再度オジギし、広間を去って行った。「奴め……!」ネヴァーモアが唸った。「ネヴァーモア!再度つなげ。カコデモンだ」チバが命じた。


◆◆◆


「……」彼はふいに目を覚ました。涎を垂らしながら、緑青で覆われた銅の扉を見、下部の穴から供された紙皿のスシを見やった。ナムサン……オーガニック・バッテラ・スシだ。(では、俺もいよいよ今日でおしまいか。末期の飯か)とにかく彼はスシを手で掴み、ガツガツと食べた。

「うまい、うまい」咳き込みながら、彼は食べた。食物には自白剤が混ぜられている。だが、そんな事はもはや、どうでもよいのだ。彼は涙を流しながら食べた。彼を取り巻く世界は薄ぼんやりとしている。狭い部屋には便器と、何冊かの娯楽用の本がある。当初はテレビモニタもあったが、撤去された。

 聞かれた事は既に、全て話した。だが、それでは納得されないのだ。確かに納得はしてもらえないだろう。(私が逆の立場でも、疑うだろうな、それはそうだ)彼はスシを詰め込みながら、他人事のように考える。(バカな事をしたものだなあ。スシ、うまいなあ。これで食べおさめかなあ……)

(そうだ、オーガニック・バッテラは、子供の頃から大好きだったな。あれは年末だった、父さんと、母さんと、私……小学生の私だ。デパートでスシとケーキを食べて……あの時もバッテラを食べて。あの頃の私は、でかい店構え、家業がただそれだけで誇らしかったな。どこでこうなったやら)

 薬で鈍化した彼のニューロンは過去へ向かった。取り留めのない記憶の旅は、まるでこの先閉じようとする人生を総括するかのようだ。父親との決別、サラカイカ・ヘクトへの入社……愛社……周囲の人々の期待に必死に応え、己を偽り、プラスチックめいた喜怒哀楽が身についた。

(俺は、俺は違うんだよ……違うんだよ)彼は冷たい床に寝転がった。人工大理石ブロックで囲まれた小さな牢獄……壁には「不如帰」のショドー。「ヒトミ=サン」青銅のドアが乱暴に叩かれた。「食事は摂りましたかァ?」「ええ、ええ、うまかった……」

 ドアが開き、ショットガンで武装した墳墓警備サラリマンと、白衣を着た初老の社医が入ってきた。「調子はどうですか」とドクター。「ええ、遥かにいいです。わかるんでしょう、いいです」「名前は」「また名前ですか」「名前は」「ヒ、ヒトミ、ギンザです。ドーモ……ウフフ……」

「あなた、会社のUNIXにアクセスして何をしたか、言ってもらえませんか?」「もう何回も……ハイ、言います、経理記録の改竄です。結構簡単で……小数点以下をいじるんです、それで、その端数を集めてプール金を作るんです。だってツライんですよ、わかりますよね?」「わかります、続けて」

「そんな……どいつもこいつも、私の事、ブッダか何かみたいに信頼して期待しやがってさ……応えなきゃってなるでしょ?そしたら、その分だけバランスとりますよ、そりゃあ。そうしなきゃ私どうなるの?ねえ?ごめんだよ!ストレスでカロウシなんて。ま、チョロいもんですよ、ガンガン横領だ」

 ヒトミは何回繰り返したかわからない説明をした。彼は笑いながら泣いていた。「ツライんです……そういう悪い事しないと……それこそ、サラカイカと100%同化した完璧なサラリマン?そんな事になったら、私、何なんでしょう?皆から勝手に期待されてさあ、応えてさあ、挙句に社葬かよォ……」

「社葬はサラリマンの名誉ですよ」ドクターが意見した。「まあいいです、で、貴方は模範的サラカイカ・マンとして働く一方で、横領をしてきた。報酬も十分以上だったろうに」「へへへ、悪い事しなきゃいけませんよ、センセイ……あんたもしてるでしょ?何か?やってらんないよ、そうしなきゃ」

 ドクターと警備サラリマンは顔をしかめ、見合わせた。ヒトミは続けた「だって首切り役ですよ?あの、なんだよ、政府筋?ナニ?わけわかんないよ!でも、やりますよ。愛社ですもん。皆の人生メチャメチャにします、命令とあらば。そこは勿論やります!でもバランス取らないと死んじゃうよォ……」

「……えー、とにかくあなた、だんだん派手にやらかすようになって、まあ、こうやって捕まるハメになりましたよね」とドクター、「危ないところですよね、マスコミにバレたら我が社の株価が大変だ。まあそれはいいです。とにかくあなた、システム侵入の際に、極秘情報に触れましたね?」「いいえ」

「これだよ」ドクターは舌打ちした。「アクセス痕跡は残ってンだ。あんたのアクセス痕が!そのデータを、あれだろ、コピーして!エッ?」「触ったけど、開きませんでした」ヒトミは涎を垂らした。「ビリッときたから、やめたんですよォ、怖いもん!」「それ、信じられないんよ」とドクター。

「キミィ、嘘ついちゃいかんよ。サラカイカ・マンの誇りを見せろ?エッ?やったんだろ?エッ?」「いいえ」ドクターは舌打ちした。そして続けた。「いや、お前はやったんよ。絶対やった。よりによって、電信サービスで流しやがったろ。何かこう、情報を!この部屋のテレビから、変な事して!」

「アッハイ、テレビは使いましたね」ヒトミは頷いた。「テレビ……片付けられちゃった……の内蔵の通信システムをいじって、電波を飛ばしました、ハイ。手首にインプラントされた横領用のハッキングツールでイジりました。墳墓越しの微弱な電波は、産業道路のトラックの違法無線で増幅しまして」

「まさかテレビが使えるとは思わんかったよ、君ィ。そのせいで、ウカツなここの責任者はケジメしたんだよ?これからセプクもあるよ、状況次第では。責任者のためにも自白しなさいよ」「ハイ、やってません。だってその……情報?読めなかったんだしさ」「電信したんだろ!」「電信は、しました」

「したんでしょッ?」ドクターが声を荒げた。「言えよそれを!あのネェ、言わないならもう殺してもいいんだってよ!お前の事!情報無いなら!俺だってねェ、そんなの嫌なんだよ!誰が人なんか殺したいんだよ!この、こいつもショットガン撃ちたくないよ!」「家族です」ヒトミは言った。

「そうだ家族だ。家族に!なにを送った!何回送った!」ドクターはヒトミの肩をがくがくと揺さぶった。「言えッ!」「……『父さん、母さん、今までありがとう、ごめんなさい』」「!?」ドクターと警備サラリマンは声のした方を振り返った。そう、ヒトミではない!彼らの背後だ。オバケ!?

「エッ……」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」警備サラリマンは腕にチョップを受けショットガンを取り落とす!さらに首の後ろに軽いチョップを受け、失神して崩れ落ちる!「アイエエエエ!?」「イヤーッ!」「グワーッ!」ドクターも首筋にチョップを受け失神!

「……送った電信文は、それだけだ。そうだな」瞬く間に二人を失神せしめた赤黒装束のニンジャ侵入者は、ヒトミを無感情な目で見下ろした。「ドーモ。ヒトミ・ギンザ=サン。ニンジャスレイヤーです」「そうです」ヒトミはボンヤリと答えた。「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。ヒトミです……」

 ヒトミは自分の身体を探った。「名刺……名刺無い。無くてスミマセン」「構わん」とニンジャスレイヤー。ヒトミは見上げた。「何か御用なので……?私を殺しに来たので……?」「オヌシの安否は依頼内容とは無関係だ。だが、常識的判断のもとで、オヌシの事は救出すると決めた」

「アイエエ……」「行き掛けの駄賃だ。救出の料金はオヌシからなるべく徴収する」「どうして私を助けに?」「話せば長い。状況判断だ」ニンジャスレイヤーは言った。「オヌシが死に際のアイサツとして送った電信が邪推され、モナカ=サンの命が狙われる事となった。皮肉な話だな」

「母さん……」ヒトミは呆然と呟いた。薬が抜けてきているのか、重大事実を耳にしてアドレナリンが強烈に分泌されているのか、彼はにわかに目の光を取り戻し、ニンジャスレイヤーの腕にすがりついた。「か、母さんは!無事なのですか!」「無事だ、……おそらくはな」彼は頷いた「保護している」

「ここを出たら、オヌシはモナカ=サンと共にネオサイタマを離れろ。そして、慎ましく暮らせ」ニンジャスレイヤーは言い、携帯IRC端末を操作した。「ナンシー=サン。ヒトミ=サンは無事だ。確保した」『アイ、アイ』ナンシーの応答。『あなたの勝ちね』「オヌシの仮説を元に導いた答えだ」

 ニンジャスレイヤーはヒトミを見た。廊下を歩く中でニンジャ聴力が捉えた尋問の内容に思いを巡らせ、「ただ、彼は正義に殉じようとした、という訳でも無さそうだが」「……」ヒトミは目を伏せる。ニンジャスレイヤーは続けた。「何にせよ、命あっての物種だ。そもそも私は正義を説く資格など無い」

『……墳墓のゲートが外から開かれた』とナンシー。『嫌な予感がする。待って、定点監視カメラ映像……ウープス』「予感は当たりか」ニンジャスレイヤーは言った「例のカコデモンだな?」『そうね』「ゲートの遠隔操作でヒトミ=サンを迂回させられるか」『出来るけど、貴方は?』「知れた事だ」


◆◆◆


 陰鬱な大理石の回廊をしめやかに歩き進むカコデモンは、メンポの下で軽蔑めいた表情だ。企業墳墓。歴史的意匠をやっつけで真似たような、底浅い建築様式。成金めいた趣味と言える。醜悪である。(こんな安っぽいニセ遺跡に望んで収まりたがるのだから、サラリマンとはまさに生まれながらの奴隷よ)

 天井は低く、壁にはパルプを加工して紙を作るサラリマンの壁画だ。カコデモンの網膜には墳墓の地図が映り込む。迷宮じみた造り。入り口近くは下級サラリマン、奥へ進むほどに階級は上のものとなる。役員達ともなれば、プラスティネーション(遺体保存処置)を施され、純金の棺に収められるのだ。

(ま、奴隷は奴隷らしくしておればよい。偽りの夢に包まれてな)彼はゆるやかな下り階段を降りてゆく。『カコデモン=サン。ニンジャスレイヤーはいるか?侵入の痕跡は!』ラオモト・チバの通信である。「ソウル痕跡が微かに残っております。なかなかの達者ですが私のニンジャ野伏力は欺けません」

 『戦士の誇りをぼくに見せてみろ、カコデモン=サン。いいか、絶対に倒すのだ。殺せ!女がいたなら、生け捕りにせよ。殺しても構わんが、なるべく生け捕りにするんだ。だがニンジャスレイヤーは殺せ!ぼくはくだらない失敗には懲り懲りだ。すぐ殺せ!』「承知致しました」

 カコデモンは奥へ奥へと進んでゆく。ニンジャスレイヤーの狙いが、サラカイカへのアマクダリ侵略に関する告発準備をして幽閉されたあのサラリマンにある事は、まず間違いない。コーカソイド女はヒトミ・ギンザについて嗅ぎ回っていた。ゆえにニンジャスレイヤーがこの墳墓に現れる事は予測済だ!

 天井が高くなる。彼を出迎えたのは巨大な半球型広間だ。中央には台座が設けられ、手を広げた全長3メートルの会長像と、社屋のジオラマ。無人であるが台座は会長像を24時間ライトアップし続ける。ここから更に奥へと続くわけだが……彼は足を止めた。会長像を挟んだ反対側の戸口に立つ者を見た。

 突如、広間中央の会長像の腰の辺りに横一直線のヒビが入り、折れた!像の上半身は音を立てて落下、ジオラマに叩きつけられ、もろとも粉々に砕け散った。「ドーモ。待ちくたびれたぞ。カコデモン=サン」土煙の向こう、赤黒のニンジャはゆっくりと進み出、オジギした。「ニンジャスレイヤーです」

「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。カコデモンです。なるほど、私を待っておったと」カコデモンはオジギを返し、応じた。「ヤバレカバレかね?狩られると知って、捨て鉢な攻撃で活路を開こうと?」「面白いジョークだ」ニンジャスレイヤーは言った。「私がオヌシを狩るのだ、カコデモン=サン」

「狂人が探偵の真似事など」カコデモンはアクマカラテを構えた。頭部から山羊角が生え、背中から皮の翼が飛び出す!「笑わせるでないわ。そのカラテも錆び付いておらん事を願いたいものだ!」「オヌシの願いは、殺されたくないという哀願に変わろう」ニンジャスレイヤーは言った。「だが、ダメだ」

「面白い!」カコデモンが跳躍!空中で羽ばたき、「そこの馬鹿げた会長像を壊した事は、敵ながら評価してやろう!イヤーッ!」滑空しながらのトリッキーな飛び蹴りだ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは側転し、蹴りを回避!「イヤーッ!」スリケンを投げ放つ!

「イヤーッ!」カコデモンは着地際にコマ回転し、翼をバリアーめかせてスリケンを弾き落とす!ニンジャスレイヤーはそこへ一直線に駆け込む!「イヤーッ!」低空ジャンプパンチだ!「イヤーッ!」翼が展開!カコデモンは円を描くように腕を動かし、ニンジャスレイヤーの拳を逸らす!

「イヤーッ!」拳を逸らされたニンジャスレイヤーに、カコデモンが回し蹴りを繰り出す!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは回転しながら上体を沈めて回避、そのまま蹴りを繰り出す。メイアルーアジコンパッソだ!「イヤーッ!」カコデモンは翼で咄嗟に身体を覆い、これをガード!

 蹴りに押された勢いを利用し、カコデモンは後ろへ跳んだ。空中でクルクルと縦に三回転!広間の壁を蹴る!「イヤーッ!」そして、跳ぶ!キリモミ回転しながらの山羊角頭突き攻撃だ!魚雷めいた推進力!蹴りを出し終えたばかりのニンジャスレイヤーは回避しきれぬ!「グワーッ!」

 ニンジャスレイヤーは吹き飛ぶ!咄嗟に両腕のブレーサーをクロスして受ける事ができたからよかったものの、衝撃力は相当に大きい!並の使い手であれば胴体に風穴を開けられて死ぬ!ニンジャスレイヤーは床を転がり、起き上がる。その眼前へ羽ばたきながら着地するカコデモン!

「イヤーッ!」体格の大きさを活かした右脚蹴りだ!「ヌゥーッ!」ニンジャスレイヤーはブレーサーでガード!身体が浮き上がるほどの衝撃力!「イヤーッ!」体格の大きさを活かした左脚蹴りだ!「ヌゥーッ!」ニンジャスレイヤーはブレーサーでガード!身体が浮き上がるほどの衝撃力!

「イヤーッ!」宙に浮かんだニンジャスレイヤーめがけ、カコデモンは翼で挟み込むようにして攻撃!「グワーッ!」ナムサン!通常のニンジャに翼は無い。トリッキーなアクマカラテはそうやすやすとガードできるものではないのか!ニンジャスレイヤーは苦しむ!カコデモンが踏み込む!「イヤーッ!」

 こ、これは!ダブル・アクマ・ポン・パンチ!中腰姿勢から突き出される両拳!「グワーッ!」ニンジャスレイヤーはブレーサーで受ける!ナムサン!驚異的な衝突力の蓄積により、手首装甲が無残に粉砕!ニンジャスレイヤーは回転しながら吹き飛び、壁に叩きつけられる!「グワーッ!」

 ニンジャスレイヤーは身じろぎした。背後の壁に蜘蛛の巣状の亀裂!「……!」苦痛を押し殺すニンジャスレイヤー!「シューッ……」白い息をメンポ呼吸孔から噴き上げながら、カコデモンが迫る!おお、なんたる恐るべき怒涛攻撃か……どうする……どうする、ニンジャスレイヤー!


6

 カコデモンは壁に叩きつけられたニンジャスレイヤーに対してベストな距離を維持し、ザンシンした。カコデモンは慢心して勝ちを逃すようなニンジャではないのだ。その身体に筋肉が浮き上がり、翼がエネルギー蓄積の緊張でぶるぶると震える!

 ニンジャスレイヤーは壁から剥がれ落ち、なんとか着地した。たしかにここでカコデモンが強引に攻めかかっておれば、ニンジャスレイヤーは起死回生のサマーソルトキックを叩き込み、逆転していたところだ。だがカコデモンは注意深い。彼には今、様々な攻撃選択肢がある!危険なモーメントだ!

「何かしてみろニンジャスレイヤー=サン」カコデモンが身を沈めた「私に哀願させるのではなかったか?このまま死にたくなくば……イヤーッ!」カコデモンの両腕がムチのようにしなる!二枚のスリケンを同時にアクマ投擲だ!ニンジャスレイヤーは赤く光る目を見開いた。「イヤーッ!」

 ニンジャスレイヤーの両腕がムチのようにしなる!彼も二枚のスリケンを投擲!カコデモンのスリケンとぶつかり合い粉砕消滅!「イヤーッ!」カコデモンの両腕がムチのようにしなる!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの両腕がムチのようにしなる!互いに二枚のスリケンを同時投擲!ぶつかり合い消滅!

「イヤーッ!」カコデモンの両腕がムチのようにしなる!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの両腕がムチのようにしなる!互いに二枚のスリケンを同時投擲!ぶつかり合い消滅!「イヤーッ!」「イヤーッ!」粉砕消滅!「イヤーッ!」「イヤーッ!」粉砕消滅!「イヤーッ!」「イヤーッ!」粉砕消滅!

(相殺?)カコデモンは眉根を寄せた。アクマニンジャ・クランは血中カラテを過剰消費することでアクマ変身、それにより異常な身体能力を引き出す。彼は連続アクマ投擲で圧殺する心積もりであった。だがこれは……ニンジャスレイヤーのニンジャ腕力はアクマ状態のカコデモンに匹敵するというのか?

(だがヤツは手負いのはず。私とニンジャ持久力を競うつもりならば、愚かだぞ!)「イヤーッ!」カコデモンの両腕がムチのようにしなる!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの両腕がムチのようにしなる!互いに二枚のスリケンを同時投擲!ぶつかり合わない!「何!?グワーッ!?」

 カコデモンの喉元と腹部にスリケンが飛んだ!カコデモンは咄嗟に翼のカーテンを展開してガード!スリケンが突き刺さる!ニンジャスレイヤーは?ナムサン!彼は相殺せぬようにスリケンを投げたのち側転、カコデモンのスリケンを回避していた!相殺レースを突如放棄するタツジン的フェイントである!

 カコデモンが翼に受けたダメージは覚悟の範囲内だ。彼が翼をバサリと開くと、刺さっていたスリケンが跳ね飛ばされた。だがその時すでにニンジャスレイヤーは側転からスプリントして間合いを詰め、ワン・インチ距離からの攻撃動作へ入っていたのである!

「イヤーッ!」大振りな右フック!「イヤーッ!」カコデモンは左腕で内から外へ円を描き、逸らそうと……フックが、来ない!ニンジャスレイヤーは拳を戻しながらその場で回転、左の回転裏拳で襲いかかったのだ!「イヤーッ!」「グワーッ!」フェイントだ!カコデモンは側頭部に裏拳を受ける!

 カコデモンはよろめく……そこへさらに、「馬鹿の一つ覚えのサークルガードなぞ!」ニンジャスレイヤーの眼光が不吉な光の軌跡を描く……「恐るるに足らぬわ!」回転の勢いを載せた右フックだ!「イヤーッ!」「グワーッ!」

 恐るべきニンジャ腕力!顔面に拳を受けたカコデモンの首は稼動限界まで後ろを向かされる。しかし生体鎧めいたアクマ筋繊維が首骨を護りきった!カコデモンは殴られながらニンジャスレイヤーを掴み、投げ飛ばした!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは空中でクルクルと回転、中央の台座に着地!

「アクマ・ニンジャクランの未熟なこわっぱ」ニンジャスレイヤーはサラカイカ会長像の残骸を片足で踏みつけた。その目がジゴクめいて燃え上がる!「身体強化に寄りかかった怠惰なカラテで、このニンジャスレイヤーを倒せると思うてか?」突然その両腕に赤黒い炎が奔る!超自然のブレーサーを生成!

 カコデモンは台座上のニンジャスレイヤーを警戒した。(なんだ……この……アトモスフィアは?)彼は叫んだ「貴様は何者だ!」「二度アイサツせよてか!愚か者!」ニンジャスレイヤーが一喝した。「私はニンジャスレイヤーだ……ニンジャを殺す者。オヌシを殺す者!慈悲は無い!」

「ほざけェーッ!」カコデモンはそのように叫びながら激昂して飛びかかるビジョンをニューロンに一瞬閃かせたが、返り討ちの光景をまざまざと幻視して却下!かわりに彼は翼をカーテンに防御姿勢を取る!ニンジャスレイヤーが台座から攻撃を繰り出す! 「イヤーッ!」彼は!蹴った!会長像を!

 会長像が蹴りで粉砕!吹き飛んだ頭部がカコデモンを撃つ!「グワーッ!」翼でガードするが、衝撃力はスリケンの比ではない。無視できぬ質量だ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーがさらに会長像を蹴る!「グワーッ!」砕けた上半身の一部がカコデモンを撃つ!無視できぬ質量だ!

「イヤーッ!」「グワーッ!」さらに会長像の一部がカコデモンを撃つ!無視できぬ質量だ!「イヤーッ!」「グワーッ!」無視できぬ質量だ!カコデモンの閉じた翼が開かれる!「イヤーッ!」「グワーッ!」カコデモンに粉砕会長像が直撃!

 カコデモンは床に叩きつけられる。そしてバウンドした!自らそうしたのだ!勢いにまかせ、彼は傷ついた翼を羽ばたかせて跳躍!壁を蹴る!「イヤーッ!」弾丸めいた勢いで飛翔!ナムサン!これはカコデモンのヒサツ・ワザ、キリモミ回転を加えた滑空山羊角頭突きではないか!

「ヌウウウーッ!」台座上のニンジャスレイヤーは両腕を交差し、これを真っ向から受ける!インパクトの瞬間、赤黒の炎が爆ぜ、暗黒のオーロラめいた光彩が閃いた。「イイイイヤアアーッ!」ドリルめいた回転は止まらず、押す!押す!……その時である!

 FLAAAAASH!台座上のライトアップ照明装置すべてが突如、真っ白に極大発光!台座上でせめぎ合う二者を直視できぬほどのグレアで包み込んだ!「グ、グワーッ!?」

 昼の日照より、閃光弾よりもはるかに強い光で包まれたカコデモンは、たまらず台座上へ転げ落ち、のたうちまわった。「グワーッ!?グ、グワーッ!?」照明装置は自ら発した光のために主要部品が焼き切られ崩壊!「ナンシー・リー」ニンジャスレイヤーは呟く。そしてカコデモンの頭を踏みつけた。

 そう、照明装置を用いた罠はナンシーとニンジャスレイヤーとが事前に示し合わせたフーリンカザンだ。ナンシーは本社のUNIXを通じ企業墳墓の全設備を掌握、ニンジャスレイヤーをヒトミのもとへ導いた。彼女は定点カメラで戦闘状況を監視、タイミングを見計らい、照明装置を暴走させたのだ。

 アクマニンジャ・クランの闇の力、アクマ変身は、ジツの使い手に無視できぬ弱点を作り出す……強い光だ。昼の光程度であれば何の問題も無いが、閃光を受ければその身体は激しく苛まれ、ダメージを受ける。ナンシーは先程の逃走劇の中でカコデモンが見せた光への異常な反応を見逃しはしなかった!

 カコデモンの変身は既に解け、虫の息である。「オヌシを殺す」ニンジャスレイヤーは頭を踏みつけたまま宣告した。「オヌシはアマクダリ・セクトの犬であろう」「アバッ……!」「あの童はオヌシのブザマをIRCでモニタリングしておるか?」「アバッ……!」

「このザマでは、インタビューどころかハイクも詠めまいのう」ニンジャスレイヤーはカコデモンの頭を力を込めて踏みにじった。「アバーッ!」「聴いておるかラオモト・チバ。幾らでもニンジャを送って参れ。全て喰ろうてやるゆえに。ニンジャ殺すべし!」「アバッ、アバッ……」

 ニンジャスレイヤーは足を振り上げ……振り下ろした。カイシャク!カコデモンの頭は一撃で踏み砕かれた。「サヨナラ!」爆発四散!見下ろすニンジャスレイヤーの不吉な瞳の光が、ゆっくりと薄れてゆく。彼は身を翻した。


◆◆◆


「ウワアアアアーッ!ウワアアアアーッ!ウ、ウオオオオオーッ!アアアアアーッ!」平安アンティーク陶器のフクスケが飛ぶ!壁際のネヴァーモアは微動だにしない。その顔のすぐ横でフクスケが壁に当たり、粉砕!「ウアアアアーッ!ウアアアアアアーッ!ウアアアアーッ!」

 激昂したラオモト・チバは次にオーガニック羽毛クッションを荒々しく掴み、引きちぎった。羽毛が噴出し宙を舞った。「ウアアアアアーッ!アアアアアーッ!」「若」ネヴァーモアは痛ましげに呟く。だが、聞こえぬようにだ。同情を向けられれば尚更いきり立つのがチバなのだ。

「畜生!畜生!畜生!役立たず!役立たず!カコデモン!役立たずのクズカス!ぼ、ぼくに……畜生!ニンジャスレイヤー!ぼくに、あいつ、ぼくにウアアアーッ!」チバは床を殴り始めた。拳の皮が裂け、血が滲む。ネヴァーモアは止めに入るタイミングを測り始めた。

「若……」「早くしろ!何やってる!気の利かない愚鈍なカスめ!」チバが憎しみの込もった涙目でネヴァーモアを見た。「は、すぐに」彼は頷いた。つまり、オイランを呼んでこいという事である。ネヴァーモアは戸口に向かうが、足を止めた。ショウジ戸の向こうに人影。彼は舌打ちした。

 ショウジ戸を引き開けると、そこに膝まづいているのはやはり影だ。目の錯覚のようでもある。だがそれは実体なのだ。ニンジャである……その竜頭のニンジャは、いかなるジツの作用か、頭からつま先まで繋ぎ目の無い、陽炎めいて輪郭を揺らがせる黒一色の身体をしている。

「……ドーモ、シャドウドラゴン=サン」ネヴァーモアは睨み下ろした。「ドーモ。ネヴァーモア=サン」シャドウドラゴンは頭の前で掌と拳を合わせた。「アガメムノン=サンからの御手配にて」彼は背後を身振りで示した。豊満な胸の谷間をさらす金髪のオイランが三人、艶やかな笑みを浮かべて跪く。

「……」ネヴァーモアは石のような沈黙と共に、怒りに任せてこのニンジャとオイラン達をズタズタの肉塊に変える光景を幻視した。


◆◆◆


 夜明けのタマ・リバーを背に、土手を歩いてくる二者あり。一人は赤い髪の痩せた女。一人は老婆である。赤い髪の女は憔悴した様子であったが、徹夜が理由では無い。苦い顔で時折老婆を見る。その老婆の背筋は真っ直ぐで、猫背で歩く赤い髪の女よりもしっかりとした足取りだ。

「おばあちゃん、なんでそんなに元気なんだよォ……」「なかなかイイじゃないか!エッ!アンタのその、カルチャーも!カルチャー!フェフェフェフェ!」モナカ老婆は笑った。「暴動明けの朝!爽やかだね!アタシャ理解があるからね!」「よく言うぜ……まぁ、もういいよ、アタシの負けだよォ」

「アタシャ詳しいよ!いいかね、カナガワとアベ一休は……」「ジャンルが違う」ブレイズが言った。「そうね、そうね、詳しいねおばあちゃん、そうだよ、よかったよね……」「なあ、ブレイズ=サンや」「ア?」老婆がブレイズを見て微笑んだ。「ありがとうねェ」

「何を……」ブレイズは鼻白んだ。「やめろよ!だから、もうイイって言ってンだ。あの野郎からカネは取るし!ビジネス!だから、やめろよそういうの!」彼女は老婆から目を逸らし、トレーラーハウスを見た。車の前に三人。「アァ?」ブレイズは手をかざして目を凝らした。

 ブレイズの隣で、老婆はにわかに震え出した。「まさか……まさか」その目に大粒の涙が溢れた。「エ?何?おばあちゃん、エ?」ブレイズは遠くの三人と老婆とを交互に見た。「エ?」「ヒトミ!ヒ、ヒトミ」踏み出す、一歩、二歩。「こんな事が……アタシャ……何だい……何てこった……」

 ……「母さん!」駆け出すヒトミの背中を見ながら、ナンシーは隣のフジキドに言った。「貴方、死ぬはずが無いとか言ってたじゃない、あの時。……あの文面でそう思う?実際遺書じゃない」「自殺する者が、わざわざハッキングの電信まで使って試みはすまい」「そういう物かしら?」

「収まるべきところに収まった」彼は言った。ナンシーは肩をすくめ、「そうね……モナカ=サンにとってみれば、ニンジャに命を狙われたと思ったら、ずっと会っていなかった息子さんと感動の再会……ただただビックリ、ってとこかしら。ファンタスティック」「墓から生きた人間が帰って来たわけだ」

「何なんだよ!アタシにも説明しろよ!」ブレイズが叫んだ。「何なの?これ?もういいの?終わりなの?アタシにカネ払……ブッダファック!?そこの女!お前!」ナンシーを指差す。「お前ッ!昔のアレ、忘れてねェぞ!」

「私のせいでご機嫌ナナメみたい」ナンシーは微笑んだ。「会社で発見したデータの件は、後でね……断片に過ぎないけど、どこかで見た顔だった」「うむ」フジキドは頷いた。「待てよ!」ブレイズの怒声。ナンシーは去り際、彼女に手を振った。


【ザ・ファンタスティック・モーグ】 終


N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)

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