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プロフィール - Facebookから転載

概要

芸術家、作曲家、音楽評論家、著述家、チャネラーとして活動。
統一音楽理論 及び 比較音楽学 の提唱者として、史上初の新しい音楽理論を構築。

一方チャネラーとして、古い精霊をはじめとする多くの異次元の存在と交流を深めている。

職歴詳細

1964年11月生まれ。
桐朋女子高校音楽科(器楽科 ピアノ科) 卒業。
桐朋音楽大学演奏学科ピアノ科に進学し、大学院(研究科)では作曲科に転向する。

恩師は三善晃氏。
但し現代音楽に一切興味を持てず2年目の修了を目前に師の元を離脱し、スタジオ奏者・作詞家としての道を歩み始めることとなる。

既に10代中盤頃から音楽業界に多種の名目で進出しており、諸事情にて匿名にて楽曲・作詞の提供やスタジオ奏者として活動を開始。
その後20代前半で一旦それまでの音楽業界での活動に区切りを付け、最初の結婚を機にシャンソン・カンツォーネやタンゴ等の歌の伴奏者として国内外で活動を開始。

当時のスポンサーの導きで民族音楽やワールド・ポップス等の訳詞を手掛けるようになり、それが切っ掛けで1997年から2001年までは自らのユニット「mocha」を運営した。
その間、洋楽の訳詞(計580作品)を手掛けた。自身もピアノを離れて歌手としても活動するようになり、「mocha」では企画者、リーダー、ピアニスト、編曲家 兼 歌手としても活動した。

2001年に諸事情にて、「mocha」を解体。
その後暫くは、日本各地でのシャンソン & カンツォーネの歌手が開催するコンサートの音楽監督をはじめとする、多ジャンルの伴奏・編曲に活動を集約。

同時にスピリチュアルの世界での活動を別名で開始する。色々な変遷を辿り、すぴこん(後に「すぴま」)に出店したり、スピリチュアル界(精神世界界隈)に多くのファンを得るがどこかしっくり来ないまま数年を費やす。
霊視、ライフ・カウンセリング等を音楽活動と並行して行う中、魑魅魍魎の世界に君臨する一歩手前で現在の夫と知り合い、2008年に再婚。
(再婚を機に人生の立て直しを図るべく、一旦スピリチュアルの活動を停止する。)


2011年の東北地方太平洋沖地震(通称 3.11地震)後の日本の情勢に不安と不穏を感じた事、その他色々思うところがあり、同年の11月をもって伴奏業を撤退。

しばしの休養期間数年を経て、2009年9月にDidier Merahとして活動を再スタートする。
精神世界にて別名で活動していた時期の同業者の大半がアンチとして暗躍していた事とも相まって、約3年強は謎の音楽家として一切の職歴その他経歴の全てを伏せて音楽配信を継続していた。
その間主にブログパーツとYouTubeでの音源配信が活動のメインとなる。


2013年春、アルバム『Fantasy』からオリジナル曲の『Samsara』をUKのMichael eが抜粋し、リミックスされYouTubeから先行配信される。
それが欧米のChill Out Musicファン界隈で爆発的にヒットし、Didier Merahが海外の多くのファンを獲得して行く切っ掛けを得る。

Samsara』 - MDM Project (Michael e-Didier Merah)


但しこのユニット『MDM Projecrt』はその後著作権を巡るトラブルによって決裂し、現在は作品を全て撤収しYouTube音源だけが残された状態となる。


現在は主にYouTubeを始めとする各サブスクリプションからの楽曲・アルバム配信が活動のメイン。
世界中に多くのリスナーを持つ。

主に神との対話やスピリチュアル関連の情報を発信しているYouTubeのトーク番組『Didier Merah Talk』も、気紛れに配信を継続している。


【追記】

2008年、再婚を経て2009年秋にDidier Merah Japanを設立。社長はスピリチュアル界では言わずと知れた、天野玄斎氏。
天野氏は神折符を手掛けるチャネラーとしての顔も持つ、Didier Merah Japanの社長。

一連のディディエ・メラ作品の企画・構成・技術(リミックス)から配信業務の、演奏・作曲以外の全ての業務を天野玄斎が担当している。



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