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noteを見ているだけのあなたに向けた話

あなたは少し前の僕かもしれないから書く。

私は30代半ばにして、noteを最近始めたばかりの新参者だ。
偉そうに聞こえたらごめん。
そんなつもりは本当にサラサラないが、少し背中を押したいおせっかい心に駆られた。

20代の頃、facebookTwitterなどのSNSが浸透し始め、私も同じく、周囲と足並みを揃える形でそれぞれに参加してきた一山いくらの人間だ。

そして、少しずつそことの距離を広げてきた。
歳を重ねるほど、同世代の中でも発信する人は減ってきたように思う。
“発信し続けている人”については、さらに顕著だ。

ずっと気になっていたのは、そういう“続けている人”ほど豊かな思考や、豊かな生活をしているような、そんな違和感を感じてしまっていた事だ。

なぜそう思ってしまうのか。
その理由が、ふと目に止まったコレ↓で腑に落ちた所があったので、勝手な解釈も含めて紹介させていただこうと思う。
私がnoteをやろうと思った、きっかけの一つでもある。

少々小難しく見えてしまうかもしれないので、ここで前置きさせていただく。

私はバカであり、いまだにバカな事が大好きだ。
かっこつけたり、諭すつもりは全くない
だからもう少し付き合ってほしい。

ラーニングピラミッド

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もとい、このラーニングピラミッドという考え方は、元々はどんな学習方法がしっかり頭に残るかを分類してピラミッド型の図にまとめたものらしい。

“下の方の経験ほど、自分を成長させる”という図だと僕は受け止めた。

そうか。
“続けている人”が豊かに見える気がしたのは、“発信する事で成長しているからなんだ”と気付いてしまったのだ。

残念ながら、違和感どころではなかった。

そして、長らく“完っ全に上の方”で甘んじていた自分にも同じく気付いてしまったから、右のツールたちを付け加えたものを書いた。
自分を鼓舞するため自分に言い聞かせるために書いてみたとも言える。

もちろんこれは、仕事や家庭でも言える事だとは思うし、会社や家庭では、それなりに下の方も実践してたつもりだったが、とはいえ求められたことしかやってなかったと思ってしまった。
少なくとも、少し前まであったはずの成長に対する貪欲さみたいなものが薄れていたのは間違いなかったから。

“そりゃ伸びてる実感もない”はずだわ。

単純にこうだ。

ずっとモヤモヤしていた気はするが、困るほどではなかった。
家族や友人や仕事の仲間たちがいてくれる事で、満足してしまっていたのだろう。

ところが、今回のような状況になり、いよいよ“個人の人間力”が試される時代が来るような、そんな気がしてならない。

変化を恐れずに進化する時だ

いつのまにか長いものに巻かれそうになっていたり、ぶら下がってしまっていた現実を実感してしまった節もあり、今回のことでいよいよリアルにつきつけられたような感覚だ。

歳のせい
や、仕事や家族のせいにするつもりはない。
あくまで自分自身が甘んじてたという事だ。

素直に言うと、会った事がない人たちにも伝えたいと、ずっと思っていた。


誰にでも響く内容でないにしろ、少しでも得してくれる人がいるなら、萎縮せずに、そしてためらわずに発信するべきだと今は思っている。
経験してきた分、誰かにとって有益な情報を多少は持っているつもりだ。

まだnoteについても、いくつかしか投稿できていないが、昔の感覚を取り戻しているような、なんなら再び伸び始めたような、そんな気すらする。

我ながら素直じゃない

いつの間にこんなにかっこつけたい奴になってしまったのか。

ここも素直に言うと、楽しくなってきたってのが正直な感想だ。

思った事言っちゃうのってこんなに楽しかったっけか。

さぁスッキリしたから寝よう。
おやすみなさい。

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