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もう閉める。さよならだ。

今月末に店舗を閉める。約14年間続けてきた店だ。

色々あったようで、特に何もなかったような…
自分にとって「店」とは何だろうと考えさせられる日々が続いている。

自分の店を持っている or 持っていた読者はいるだろうか?もし意見があったら聞かせてほしいが、私にとって“店とは内臓のようなもの”だと結論付けた。


店≒内臓

「店」という概念はなんとなく外側ではなく、自分の内側にある気がする。そしてその喪失感は内臓の一部がなくなった感じと、よく似ていると思うのだ。

盲腸などの一部消化管や、脾臓、腎臓など。無くなっても生きてはいけるし、不便ではないがどこか以前とは違うあの感じ。

普段から意識することはないが、意識し始めると気になる存在。内臓と店はなんとなく似ている気がする。つまり自分の体に近い。

14年間かけてちょっとずつ成長した内臓が、手術であっさり無くなっちゃう。そこに意味はあったのだろうか?

スッキリとした感じもあるが、同じくらいの喪失感もある。自分のすべてではないが、間違いなく一部ではあった。

今後この店を内側から見ることはなくなり、外側から覗くしかなくなる。
「あぁ。そうか、もう自分のものではないのだ」と実感するのは、きっと少しタイムラグがあるだろう。

この店を愛してくれた人たちも、そうではなかった人たちも、ここに私の「店」があったのだという記憶が、少しでも長くあれば嬉しく思う。

さて、最終日の11月30日まであと半分だ。
惜しまれながら、どうでもいいと思われながら、自分は残されたやるべきことをやろう。


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