「明滅するマオリ」

※ニュージーランドのマオリ族を取材したルポの一部を抜粋。

マオリに興味を持ったのは、ニュージーランド人のDJがきっかけだ。。

2013年の10月。日本を出発し、成田からゴールドコーストを経由して古い友人が住んでいるバイロンベイで1週間過ごした後、ニュージーランドへ飛んだ。ニュージーランドの入国の際に入管に怪しまれ、別室で3時間ほど入国理由を聞かれたりもしたが、無事彼の地に足を踏み入れた。僕はバスを乗り継いだり、時にはヒッチハイクをしながら旅をしていた。ニュージーランドはどこを切り取っても美しかった。空気は澄明。日本では感知しきれていなかった色を湛えていた。

まずオークランドから南へ。ロトルア、タウポ、アール・デコ建築が立ち並ぶ街ネイピアへと移動した。車で10分も走れば移り変わる景色は旅をしていてしていて飽きない。街を通り過ぎたと思えば、壮大な草原、雪山、見たことのないコバルトブルーの川や湖、多様な色を成す山脈が現れるのだ。羊の群れはいたるところで草を食み、馬が国道を走り、ウサギの死体がたまに転がっていた。各所に国や個人が運営するキャンプ場があり、テントと車があれば、自由に旅ができた。

 北島から南島へはフェリーで渡った。瀬戸内海を思い出させる穏やかな内海。港町のピクトン、クライストチャーチ、カイコウラを経て、目的地のクイーンズタウンにたどり着いた。そこでジェリーという、スコットランド白人系のニュージーランド人に会う約束をしていたのだ。

 

 クイーンズタウンに到着したのは、昼の14ごろであった。バスから降りてあたりを見回した。15分も歩けば端から端に行けるコンパクトな街だ。ワカティプ湖という巨大な湖がどーんとたたずんでいて、水の色はエメラルドブルー。周囲は、巨大な山に囲まれている。巨人が爪で引っ掻いたような擦れた山肌に、細長い雲が絡み付いている。

 かつてイギリス女王が愛したことからつけられた名前が示す通り美しい町である。しかし、整備されすぎていて街を包み込むオーラがのっぺりしている。怪しさや混沌をこれっぽっちも感じず、景色に命が宿っているように見えないのだ。そうなのだ。これはニュージーランドのどこを歩いても頭をよぎった印象で、途中に立ち寄った山を歩いても、そこに魂が宿っていないように感じた。全てが整然としていて、デザインされた庭のようだ。荒々しさや畏れの化身のような日本の山や自然とは大違いだ。

ジェリーに電話した。受話器越しの第一声に気が抜けてしまった。高い声で、「まいど、まいど」とはずむように答えた。

ジェリーは、冬山のガイドをしている。北半球に位置する日本と南半球に位置するニュージーランドが、季節が逆のことを利用し、10月~2月は日本で、3月~9月はニュージーランドで雪山ガイドをしている。つまり、1年中冬の男だ。妙に陽気でダブDJもこなすジェリーと出会ったのは。高円寺のDOという音楽スタジオを全て借り切って開催されたFREEDOMというアングラなイベント。アングラカルチャーで紡がれてゆく人脈は信頼できると、それまでの経験から確信していた僕は、何も考えずに彼を頼ることに決めたのだった。

 ジェリーはDJ仲間三人と1軒家をシェアしていた。2−3日はリビングのソファえ寝泊まりをしていたけど迷惑だと思ったので、テントを購入して庭に張らせてもらった。10月。季節は春だったが、動けなくなるほどの寒さを初めて経験した。だがシェアハウスの住人も親切だった。マイキーというオーストラリア人は、ガイドをしながら暮らしていた。暇そうにしている僕をよく釣りに連れて行ってくれたし、毎日どこかから防寒用具をもらって持って帰ってきてくれた。もう一人のDJポップスは、邪悪なマリオのようなルックスだが優しかった。近くの電気屋で働いていて、壊れて動かなかった簡易ヒーターを修理して持ってきてくれたり、近所の友人から絨毯をもらって来てくれた。おかげで日に日に僕のテント内は、豪華になっていった。

日が落ちるとと、ビールを買い込みパーティーが始まった。ジェリーの友人たちが集まってバーベキューをした。時にはマイキーが、近くの川でトラウトを釣ってご機嫌で帰ってきた。皮で釣って食べるトラウトは、環境もあいまってか、自然の力が詰まっているような味がした。原発の問題もあり、スーパーで買い物するときや外食する際に、産地を気にしたり、魚を食べるのを控えていた僕にとって、それは大きな多幸感を運んで来た。あの日から、もう2年経とうとしていた。同時に心配せずに魚を食べられるということに、幸せを感じている自分の異常さを認識したのだ。

そんな日々が過ぎていった。12日目の夜だったと思う。僕らはビールを飲み、とりとめのない話をしていた。その時ジェリーがいったことが、マオリへ興味を持つきっかけとなった。

「ニュージーランドには、文化がない。だからマオリに頼っているんだよね」

ニュージーランドはお金になる資源がない。だから観光産業に力を入れている。西洋的価値観で、箱庭のように整然とした景色を作っているのもそのためだ。景色だけじゃなく、文化も資源にしないと海外から人は呼べなかった。でも白人移民たちはこれといって文化はない。だから独特な文化を持つマオリに頼っている。

「彼らは少し怖い存在だ。屈強だし。でもニュージーランドカルチャーに強い影響を与えている。マオリしかいない地域は今でもある。そこはマオリ以外の人をあまり寄せ付けない。ある部族は今でも、小さなコミュニティーで、昔ながらの生活をしていて、周囲から進入できないように柵で覆っていると聞いたよ」

オークランドからクイーンズタウンまで下る途中、どこも西洋的な街並みで、文明の匂いがした。まさかこの国に、そんな部族がいるなんて想像ができなかった。

そんな部族がいるなら会ってみたいな、という単純な好奇心。それがマオリに興味を持ったきっかけだった。

「不平等な条約と、土地をかけた戦争」

それから僕は英語学校に通い、勉強に明け暮れた。マオリのことを調べるためだ。インディアンなど人気のある少数民族に比べ、日本語での資料は圧倒的に少ない。だんだん英語力も上がっていき、徐々にマオリ族の輪郭が浮き上がってきた。

この土地にマオリが住み始めたのは、8世紀とされる。「ハワイキ」と呼ばれる島からカヌーに乗り、たどり着いた。

 マオリは(普通の人)という意味。かつては自分たちのことをタンガタフェヌア(土地の人)と名乗った。信仰は自然や先祖崇拝。マオリの神は至る存在に宿っていた。岩、木、鳥、海、山。

 生業は農耕や漁業、狩り、捕獲。熱帯ポリネシアと比べると、採集できる食物はわずかだった。木の実や、シダの根、小さな鳥、貝。首刈りの風習があり、時には人間の肉を食べた。主食はくまらという芋だ。植え付け、除草、貯蔵が大切な仕事となり、計画性と部族の結束の硬さを生んだ。土地は部族で共有し、収穫物も部族内で分けられた。独自の自治システムの中、自然と共存する豊かな暮らしを送っていたと言われている。その暮らしに大きな変化が生まれたのは、パケハ(マオリ語でよそ者)が到来したこと。17世紀。ジェイムズクックという探検家が、ここにたどり着いた時だ。

 —到来する大きな船を見た。白い肌の人たちが大勢現れた。アザラシを取るのが目的だと言った。しばらくすると、また違う船が来た。我々の土地を貸して欲しいと言った。代わりに、銃を置いて言った。次に現れたのは、黒い服をまとった男だ。穏やかなしゃべり口で、彼らの神が素晴らしいことをといた。人を殺すこと、人を食べることは神の意思に反することだと言った。彼らは学校を作った。徐々に、白い人達は、アオテアロアに増え続けたー(マオリ、先人の詩)

 当初マオリとパケハと友好な関係を築いた。西洋から運んでくる銃や宝石と、マオリのヒスイなどを交換した。だがその関係は徐々に崩れ、アメリカやオーストラリアで先住民が迫害されたように、同じ道を辿り始めた。

(一部抜粋)

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ライター。編集者。ムック本、雑誌、web媒体で執筆中! 立体型ジャーナリズムプロジェクトSIWを主宰。 noteでは執筆中、または発表したルポの一部を掲載しています! daizo-okauchi.com
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。