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コロナ時代に「真面目で優秀な人」が体験すること

『13歳からのアート思考』著者・末永幸歩インタビュー(3)

 多くのビジネスパーソンから注目されている『13歳からのアート思考』。世の中が大きく変わろうとしているいま、「求められる力」も当然変わってきています。
 それを育む「アート思考」とはいったい何なのか?
 なぜアートが「現代に求められる力」と結びつくのか?
 そんな「いま」という時代と「アート」との関係を、20世紀のアート作品を紐解きながら、著者であり、現役美術教師でもある末永幸歩さんに聞いてみました。
 全4回のインタビュー記事の第3回。
(取材・構成/イイダテツヤ、撮影/小杉要)

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末永幸歩(すえなが・ゆきほ)
美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立つ。「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を、都内公立中学校および東京学芸大学附属国際中等教育学校で展開してきた。生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」「物事を考えるための基本がわかる授業」と大きな反響を得ている。彫金家の曾祖父、七宝焼・彫金家の祖母、イラストレーターの父というアーティスト家系に育ち、幼少期からアートに親しむ。自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップ「ひろば100」も企画・開催している。著書に『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』がある。

優秀だった人ほど、自分の答えを持てない

――「アート思考」が注目される背景には、やはり時代の変化が影響していると思うのですが、学校の教育現場では、そういった時代の変化に対応できているのでしょうか?

末永幸歩(以下、末永) 多くの方がおっしゃっているように、いま、世の中は大きく変化していて、「必要とされる力」も変わってきていると思います。

 戦後の高度成長以来、求められてきたのは「正解を見つけ出す力」や「課題解決」、そういった力だったじゃないですか。それはきっと「みんなが求める目標」「指標」「価値観」などが統一されていたからだと思うんです。

 でも、いまの世の中は価値観がどんどん多様化して、変動も激しいので、そもそもの正解自体も変わっていってしまいます。そんな世の中で、正解を追い求めていくのは限りなく難しいし、無意味でもあると思っています。

 だから、いまの時代に必要なのは「正解を見つけ出す力」とか「課題解決」じゃなくて、むしろ「価値を生み出す力」とか「意味を作り出す力」、もっと柔らかく言えば「自分だけの答えを見つけ出す力」。そういうものなのかなとは感じています。

 この話を教育という分野に当てはめていくと、そもそもいまの教育システムは19世紀、産業革命の頃の西洋社会をベースとしていて、そういう背景で枠組みが作られているんですよね。

 産業革命の時代ですから、学校教育によって産業を発展させて、国を発展させていく、という思いが前提にあります。大げさに言うと「工場の機械のような人間」をたくさん生産するという目的が、本来的にはこのシステムにあるわけです。

 そういう状況では、やはり「正解をいち早く導き出す力」とか「課題を最短ルートで解決する力」が求められて、非効率なものがことごとく排除されていきます。たとえば、「疑問を持つこと」や「質問をすること」って、工場のなかでは非効率なので、排除されるべきものじゃないですか。

――いまでも、学校の現場では非効率なものは排除される傾向にある?

末永 それはあると思います。いまという時代は、従来の社会とは大きく変化しているはずなのに、そのときにできた枠組みがそのまま残っている。学校もそうですし、きっと会社でも同じようなことが起きているのだと思います。

 だから、従来の学校のシステムのなかで、真面目にがんばって、優秀だった人ほど「自分の答えを持てない」。というか、非効率だから「持たないように教育されてきた」という部分があるのではないでしょうか。

新型コロナショックにより「不確実な時代」が実感された

 『13歳からのアート思考』では「アートという植物」というイラストを用いて「アート思考」を説明しているのですが、目に見えるアウトプットの部分に「表現の花」があって、地中には、自分なりの「興味のタネ」、それをさらに深くに掘り下げていく「探究の根」があります。

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 ただ、どうしても従来型の教育システムでは「表現の花」、すなわちアウトプットの部分ばかりが注目されてきたように感じます。

 でもいま、世界中で新型コロナの問題が起こっていて、きっと多くの人が「社会が大きく変化・変動している」「ものすごい不確かな世の中だ」ということを実感していますよね。

 こういう未曾有の事態というのは、地上に強風が吹き荒れて、「花」が摘み取られてしまうような状況です。そんな状況に直面したとき、「表現の花」(地上のアウトプットの部分)だけを見つめてきた人ほど「本当に、どうしたらいいんだろう……」って困惑して、途方に暮れてしまうと思うんです。

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――たしかに、いままでの働き方が大きく変わってしまったり、決まっていたはずの就職が取り消しになったり、大きな企業が倒産するなど、想定外のことが起こって、途方に暮れている人はたくさんいますね。

末永 でも、そういうときだからこそ「アートという植物」の全体像を見渡して欲しいと私は思っています。地上の、目に見える「花」というのはほんの一部でしかなくて、「タネ」と「根」の部分が9割を占めている。

 だから、こういうときこそ、もっともっと「興味」とか「探究」のほうに目を向けられたらいいなと思います。「興味のタネ」とか「探究の根」は、コロナショックによって奪われることはないし、時間があるときにこそ、原点に立ち返って、自分なりの「探究の根」を伸ばしてみるチャンスなのだと思っています。

本質的な問いに向き合った
20世紀のアーティストたち

――『13歳のアート思考』では20世紀のアート作品が6つ取り上げられています。美術作品というと、18世紀や19世紀の名作も多いと思うのですが、あえて20世紀のものを取り上げたのは、何か意図があるんですか?

末永 おっしゃるとおり、18世紀とか19世紀にもおもしろい美術作品はたくさんあるし、21世紀にだってあるんですけど、アートの歴史を見たときに、20世紀というのはアーティストたちが「アートって一体なんだろう?」という本質的な問いに立ち返って考えはじめた特別な時代だったと思います。「表現の花」だけではなくて、自身の「興味のタネ」から「探究の根」の部分にフォーカスしはじめた。それが20世紀アートの特徴です。

 たとえば、この本ではピカソの《アビニヨンの娘たち》を取り上げて、「リアルってなんだろう?」というテーマの話をしています。ピカソのあの作品を観て「すごくリアルだ」と感じる人はほとんどいないでしょう。でも、だからこそ「リアルってなんだろう?」「アートってなんだろう?」と考えさせることができます。

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――有名なピカソの絵を見ると、たしかに「リアル」だとは感じません。どうして、ピカソはそんな絵を描くようになったのでしょうか?

末永 たとえば、20世紀にはカメラが普及していて、ただ“見たまま”を写すだけなら、写真のほうが断然いいですよね。

 そういう時代背景のなかで、アーティストたちは先ほどあげたような問いについて考えはじめました。文字どおり「アート思考」が推し進められてきた時代だったわけですね。そうやって、どんどん探究プロセスが更新されていくおもしろさが20世紀のアートにはあります。

 じつは私自身、この本のなかでいちばん気に入っているのは、この「リアルさってなんだ?」という章ですね。

 私は美大を出ていて、その前には予備校でデッサンの練習をさんざんしてきたのですが、その練習をしているときとか、あるいは、自分の絵を描いているときにも、ずっと感じていた疑問や葛藤に通じるものがあったからだと思います。「リアルって、いったいなんだろう」というテーマについて考えたり、調べたりしていくのはいちばん楽しかったです。

――この本を読んでいると「あれ、リアルってなんだろう?」「これまで、自分が信じていたリアルとは違うリアルがあるのかな?」とどんどん思考の渦に引き込まれて、知らず知らずのうちに「アート思考」を体験している感じになります。

末永 それはうれしい感想です。ピカソの絵にしても、本のなかで取り上げているエジプトの壁画にしても、いわゆる写真のようなリアルさはないんですが、それぞれの作品には、それぞれの作品に込められた「リアルさ」があるってことがわかってくると、ますます、「リアルさってなんだ?」「アートってなんだろう?」という疑問が湧いてくるんです。

 そうやって考えていくことがまさに「アート思考」で、そういう体験をこの本では多くの人にしてもらいたいと思っています。

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この本を読んだ方の感想のなかには「いままで自分が考えていた拠り所が奪われていくような感覚があった」とか「地面から足が浮き上がって、自分がいたところからどんどん離れていくみたいな感じがした」、あるいは「見るという定義が変わってしまった」というようなものがあったのですが、そんなふうに前提が覆ったり、本質的なことをいろいろと考えて、新しい問いに向き合っていくというのも「アート思考」らしいところだと思っています。

 だからこそ、いまという不確実で、前提がひっくり返ってしまうような、変化の大きい時代に「アート思考」が求められているのかもしれません。

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【取り上げられた本】

「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考
末永 幸歩 (著)

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藤原和博・山口周・中原淳・佐宗邦威……各氏が大絶賛!! 論理もデータもあてにならない時代、20世紀アートを代表する6作品で「アーティストのように考える方法」が手に入る! 「自分だけの視点」で物事を見て、「自分なりの答え」をつくりだす作法が身につく!
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