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オープンダイアローグ基礎トレーニングコースの学び

昨年、7月19日からはじまったオープンダイアローグ基礎トレーニングコースを迎えて、職場の仕事がかなり過密な状態になってしまい、精神的に余裕がなくなり、参加ができるのだろうかというところまで追いつめられていました。Fさんと一緒にPSW協会での発表をする予定もありましたが精神的に消耗しきっていて辞退しました。
もうもたないというところまでいって、退職を決断することによって19日の受講に参加することが可能になりました。初日の3日間は自分が言葉を発することもはばかりたいという気持ちでの参加でした。
その後、7月26日くらいから次第に学びに取り組むことができて、3ヶ月くらいかけて自分の気持ちを回復させながらの学び。10月に再就職が決まり、ダイアローグを生かした仕事を心掛けながらやっていきたいと希望していた年明けにダイアローグを否定されて退職になるとは思ってもいなかった。再び落ち込みました。仕事が続かないことへの反省、今後について心配している。

2016年5月13日から3日間、トムとヤーコが来日して行われたオープンダイアローグワークショップでダイアローグをやりたいと志し、ODNJPやDPIなど、講習会で学び、2018年からADファシリテーター研修、10月フィンランド視察研修、そして2019年の基礎トレーニングコースに参加しているものの、支援者としてダイアローグを実践するフィールドも持たず、今後自分はどうしていこうかというworryを抱えながらこのコースを終えようとしています。ダイアローグに魅せられ、学びながらも実践につながっていかないもどかしさを感じています。
以下に、この7ヶ月、自分が学んだことについて省みてみました。
・家族療法概論
 ダイアローグが家族療法から始まったベースがある以上は、しっかりと学んでおく必要がある。ジョイニングの必要性。おしつけでないリフレーミング。文脈に合わせていくということ。
・七つの原則について
 少なくとも7つが守られていればオープンダイアローグになる。ダイアローグを展開していくためには常に意識していくことの大切さを感じる。
DIALOGUE(&POLYPHNY)についてグループで話し合った。Withnessの面まで考えていった。
・リフレクティング
 矢原さんによる、リフレクティングとは何なのか。「対話の場の形成」「この場が本当に硬直している場になっていないか?切り拓く新しい場になっていないか?」その場が実質気持ちの悪い場になっていないか?という思い。
「内なる会話」と言葉にする「外なる会話」この二つの会話をていねいに折り重ねていくことの大切さ。「代わりに」というフレーズから「加えて」というフレーズに変えた。トム・アンデルセンのエピソード。
 ただ眺めていられる。聞いていられる立場。ていねいに折り重ねていくものが大切。
・マインドフルネス認知行動療法
 小山氏による「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること。なお、観るは、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る。」ボディスキャンについて全ての体験に良いとか悪いとかつけない。
瞑想している人は一喜一憂しない。不幸感にとらわれない。
 マインドフルネスの実践によって、選択的に注意することから、様々な体験に無意識的に注意が向けるようになる。
 ひとつのものに注意するのではなく、様々なものに注意が分割できるようになる。
自動思考(CBT)自動操縦(マインドフルネス)とかいうが、その先に無意があると言われている。
本では読んでいたものの、マインドフルネスに生きていくことについて学ぶことができて良かった。自分が仕事や生活をしていくことについて今、ここにいる感覚を維持することのために益になった。
・Juduth Brown氏によるダイアロジカルプロセス ダイアローグスペース ダイアロジカルモメント(対話的空間内における対話プロセスと対話的瞬間)
 感情(エモーション)と身体(エンバリメント)について。
 パワーポイントにある写真の丸が会話的プロセスと廊下がそのプロセスを表現している。廊下的なものを通ってダイアローグにたどり着くこと。
 安全な空間を与えてくれる。対話的スペースを与えてくれる。空間があることで新しいことが起こってくる。
 オープンダイアローグはその価値、スペースの大切さを認識してくれる。
 トムがボディランゲージを観察した場合、それに対してコメントしたらダメだよ。言葉にできないから。という話があった。言葉が出てくる前に体が反応して体が言いたがっているような反応をしている。ぼくらは左脳を使って言葉にしようとするから限られた言葉になってしまう。体の状態に感じて今いるところにとどまってみよう。この瞬間に注目するのは大事。
彼らの中にある「変わりたい」という意欲に触れること。その空間というのは対話的空間。
ダイアロジカル・モメントを作り出すことはできないが生み出されるように状況を提供することができる。それはコ・セラピストと二人で取り組んでいく。お互いがしっかりと支えられるということ。
・ファミリーオブオリジン
 人生がセラピーの中に影響がある。内的対話。これまでの人生の中で伝わってきた言葉、概念。どういうところから生まれてきて育ってきているか。
自分自身のジェノグラムをたどって見ていくことで自分のより良い理解をしていく。
 自分の境遇について再認識した。自分へのリフレクティングにはほめられてこそばゆいものがあるが、別の面から見ていただくこと、メンバーの家系図を見ること経験を味わうことの尊さを感じる。
・ポリヴェーガル理論 身体性(エンバリメント)
身体性 エンバリメント embodiment。トラウマが存在するのを知っておきながらダイアローグを行っていくこと。ダイアローグをしている中で身体に起こっていく感覚をみていくことの重要性。
行動パターンには・Fight ・Flight ・Freeze。この3つで安全の状況でこそ対人関係が成立する。自閉症児がやめてくれという時 グループでしちゃいけない。
 固まっているのをにこにこしていると間違えている支援者もいる。そういう状態ではダイアローグは成立しないことを知ること。
 社会的交流を促進するために安全の領域にしなくてはいけない。
 支援者 一生懸命にやっていることが危険な状態にしていることがある。
 ダイアローグする時、安心・安全な領域でしているか接し方を変える必要がある。
・オリ・ライホ氏によるAD
 対話でコミュニケーションを行いながら自分だけでなく対象者全部のリソースを使って行う。専門職だけでなく私が始めた頃は対象者、家族、周りの人も一緒に巻き込んで支援していく状態ではなかったが現在は一緒にやるようになっている。
 連携 一つの業種でなく、部署を超えての連携ができるようになっている。
 いろんな壁を越えて縦割りでなく。大事なのは対話でコミュニケーションをとっていく。
 そのためには職員自身がどんなケアをしたいか、自分自身、何ができるのかよく把握しておく必要がある。
自分自身が疲れてきたり職員が忙しくなってくると人の話が聞けなくなる。
 教師、ソーシャルワーカーお互いが忙しくなると互いを責めることになり、もっと離れてしまうことになる。専門性を認め合って協力性を作っていく。人の話を聞けないという前にEDを行って心配を対象に伝えていく
 ダイアローグにおいては外部からファシリを呼ぶ。
コミュニケーションをとる方法として、相手がやっていることに注意を払う。
主観性 自分自身が助けて欲しいという形。あの人に問題があるのだからと思ってしまう。
あなたのために何かをするのでなく、私のために何かをして欲しいという形でフィンランドではなりつつある。
今までゆきづまって対話が続かなくても新たな発見が起こり、また聞いてみたいと興味があって話をしたいという気になれば関係を取り戻して話しかけができると思う。
関係が持ち帰って共有できると思ったら、しっかり話を聞くこと。その上で提案して関係を深める。こんな可能性があるよと希望を話すことができる。
対話を始める前にしっかり自分を見直す。できなければどこに助けを求めるのだろうか。大切なのは最初に心配ごとを伝えよう。これからも関係を続けるということが目的となる。
・Pina によるトリエステの精神医療情勢 リフレクティング
 ODの大事な そこにいて、そこで聞くことを尊重して間を与えることは、こうしなさいと落ち着けるのではなくシンプルだけど他のことと違う。何か感じること。ODは起こるマインド。特別な深い関係性。軽くしか評価されていないと感じる。
会話の中からリスペクトすることって大事。もっとその状況を表面化すること。小さいことが大きな違いをもたらす。答えはひとつではない。小さなヒントができて何か対処方法ができる。これは大事なトピック。人権とか民主的なことは大事。
 リフレクティングについての再確認。
・ロールプレイとSV
 白木氏と浅井氏によるデモンストレーション。
自分のロールプレイの評価など。

学びを終えるに渡って、ダイアローグの研究や勉強でなくダイアローグそのものに入っていくというとはどんな体験になるのだろうか。対話は普段している当たり前のことのようにも思えますが、そこは日常の生活、社会で行われている対話とは違っているように感じます。
しかし、ダイアローグを学ぶこと自体自分には楽しいのです。

本日のロールプレイを見て、自分の病院で仕事をしていた体験を思い出してオーバーラップしていました。この場では自分なら病院のワーカーとして退院の責任を取らなくてはいけない立場にある。看護師さんも同じ。でも今はそのことを置いておいて、あなたの話を聞かせていただく時間を持ちたいと話したらどうなんだろうと思いました。
ODは統合失調症の急性期治療のために何とかしなくてはいけないという状況で作られたものであって、方向性が決まっていたり、対立関係の中でやることの中でのミーティングでは効果が得られるものではない。
無理無理ダイアローグにするところで、ここで1回のミーティングで解決するものではない。普段から本人を交えて意向を確認していれば良かったのかもしれない。ミラクルが起きないことの学び。それでもこういうシチューエーションでダイアローグを試してみようという姿勢を持てたことは学びだった。

自分の失敗をダイアローグで話す機会を持つのも恥ずかしいので、どうしたら、ダイアローグを社会的に発信して、沢山の人が活用できるようなシステムができないか。そんな場(センター)の実現ができないだろうかという思いを抱くことについて、他の人の感じることを機会があったらうかがってみたいと思っています。
対話することの責任について考えます。責任というのは、対話を持つ場を維持する責任なのか、その場に居合わせた人たちの対話を維持し続けることへの責任なのか、個人としてその人たちの人生に関わる責任は果たし切れるものではないように感じます。だからこそチームでありネットワークの必要が原則にあるのだと考えます。

対話実践をするにはその人が発する言葉をうかがい続けること。対話を哲学性でとらえるとやはり個人のレベルで、仕事や生活の中でとらえて実践していくしかないのだろうか。
対話の拡がりというところでポリフォニーを求めるのならば一人での実践は拡がりというところでは自ずと限界が見えてきてしまう。それだけにつながりは大切と思いながらも自分のコミュニケーション能力の低さを反省しています。
人を愛するということは、この人と手を取り合い、時間を共有して、この人の見ていた方向を共に見る。一緒にお互いのことを心配することなのだろうと。自分は仕事をする以前に妻と時間を共有することをとても大切に感じています。
今年57歳になります。自分は過密な仕事になった時に自分を追い込んでしまう傾向にあること。物事をする時にためらいが強いこと、ネガテイブに考えがちであることを押さえておくことの必要を感じています。今回続けて仕事を辞めたことで、人の役に立つことをしたいという思いと再び福祉や医療の業務に忙殺されるような場に身を置きたいのか?自分のやりたいことをやって生きたいのか?という思いに揺れ動いています。

今回の学びにおいて、ロールプレイ、ファシリとしてのトレーニングの時間が自分には少なすぎました。ダイアローグで活動し続けるだけのスキルが自分にあるとは思えません。そこはもっとトレーニングしてファシリテイトしていく実力をつける必要を感じます。
今後においてはまたSVの機会は持ちたいと思っています。

最後の時に言おうと思って言わなかった言葉で閉じたいと思います。
「退職に始まって退職で終了したダイアローグ基礎トレーニングコース。自分にはダイアローグの学びと妻と時間という強力なリソースがある。」
この場で時間、学びを共有してくださったみなさんに感謝いたします。ありがとうございました。

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