エンタメ小説の違和感のお話:もっと他愛ないハナシ(その2)
(その1)で、次のようなことを書きました。
僕は子供の時から、多くのフィクションが持っているこういう所に、違和感を感じてました。
作り話を作る時に、現実に存在する不幸を利用して、視聴者とか読者の感情を揺さぶろうとするのは、下品じゃないのかなぁ?
というようなことを感じていたのでした。
この問題はもうちょっと複雑に、かつ先鋭化もされていくんですが、その話はいずれまたできたらやりたいです。
これに類するようなやり方で、フィクションを面白くするというやり方はあまりにもありふれていて(あらゆるフィクションで採用されていて)、こういうのに違和感を感じるというような感受性を持っていると、文芸の好みって、だいぶ狭いところに行っちゃうのでした。
僕がしばしば、「自分の好きなものを人にすすめられない」と言っているのは、こういうようなセンスのせいでもあります。
ある時、保坂和志さんの小説論みたいなもので、「不幸のかけらもないような小説を書く」というルールで小説を書こうとしていた、というようなことを書かれているのを読んで、「ああ、たぶん同じようなことを感じている人なんだな」と思ったりしたものでした。
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