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「読めば読むほどバカになる」の論理:もっと他愛ないハナシ(その16)

自分のこれまでの本の読み方というのを振り返って思ったことなんですが。

たくさんの本を次々に読むというやり方をしていた頃は、たくさんの人から自分にとって都合のいい部分だけを「摘まみ取ってくる」というようなことをしていたような気がします。

そういう時は、それぞれの書き手が、「本当のところ何を言っているのか」ということにはあまり拘泥こうでいしなくて、その書き手が言っていることのうち、自分にとって分かりやすい部分だけを、自分の意見とか自分の価値観やなんかを強化するために、「摘まみ取っている」ということをしていたんだろうなと、思います。

若い頃、アフォリズムとか箴言みたいなのが好きだったというか、そういった、「物事の真実の一面を言い切った」みたいな言明にシビれがちなところがあったんですが、多分そういうのは、その書き手が「本当のところ何を言っているのか」はぜんぜん分からなくても、箴言的に言われているその一文についてだけは「分かる気がする」ので、それだけで何かを読んだ気に、何か真実の一端に触れた気に、なっていたんだろうなと、思います。

僕が比較的バカで(というか、だいぶバカで)、ちょっと難解な本は、その全体像をなんとなくでも理解できるという程度にも読めなかったせいで、箴言みたいなところしか自分の意識に入ってこなかったっていうことだったんだろうなと、今考えると思います。

たくさん読むけど「摘まみ取る」という読み方しかできないという人は、僕がそうだからちょっと分かるんですが、読めば読むほどバカになっている可能性があるんじゃないかなって、思います。

「あの人もこう言ってる」、「この人もこう言ってる」、みんなこう言ってるから、「自分の考え方は正しい!」みたいに、なっちゃってる可能性が、あるんじゃないかなと。

たくさん読むのもいいけど、これといった一冊を、よほどちゃんと読むということも、しないといけないなぁと思う、今日この頃です。
おしまい。


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