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目の前の人の考えの深さについて:もっと他愛ないハナシ(その7)

カントとかハイデガーとか、まあ誰でもいいんですけど、哲学や思想の歴史に名前が残っているような人たちが抱懐していたのであろう思想や考えやらが、僕にとって難しくてよく分からない、ということは、実際普通にあることだし、そういうものだと了解してます。

しかしそのことは、相手がそういう偉い人の場合に限った話ではないんじゃないかと思うんです。

身近な人、すぐ隣に居る人、目の前に居る人が、僕にはとても理解できないような難しいことを考えていて、それを、伝わるものであれば伝えたいなと思っているかもしれないとか、そもそも伝えるのを諦めているかしていたりするかもしれないとか、そういうことはなかなか考えないというか、思い当たらないんですけど、あり得る話じゃないかと思うんです。

まあ、伝えたい相手は僕ではないかもしれないけど、何か複雑な思いを抱いていて、誰か聞いてくれる人はいないかなと思っている人って、いるだろうなって、思います。

僕は頭が悪いので、そんなに複雑なことは考えられませんけど、こんな僕でも、ずっと考えてきたことがけっこうこんがらかってきていて、たまに誰かに話して「こういうことを考えているわけですけど、僕が何を言っているか分かりますか?」って、聞いてみたいって思わなくもないです。

この一連の「他愛ないハナシ」とか「もっと他愛ないハナシ」とか、そういうことをやっているようなものなんですが、どうしても「他人に通じそうなことを言おう」としてしまって、もう一つ目的を果たせていない感じがします。

もっと「こいつ何考えてんの?」っていうような、わけのわからないような話をするところまで、行きたいんですけどね。

え? すでに何言ってるか、通じてないって?
それは失礼しました。

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