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喋ることと書くことと:もっと他愛ないハナシ(その17)

最近わりと、YouTubeやなんかで人が喋っている動画を見る(あるいは聞く)んですけど、あれはいいもんですね。

といって、そんなにいろいろ見てるわけではなくて、よく見ている(聞いている)のは、岡田斗司夫さんのと、高橋源一郎さんのラジオのと、あと純文学YouTuberつかっちゃん(つかつさん)のとくらいなんですけど。

岡田斗司夫YouTube

高橋源一郎の飛ぶ教室

純文学YouTuberつかっちゃん

自分がやっていることを否定するみたいでなんですけど、そりゃnoteなんかで文章を読むより、YouTubeで喋っている人を見たり、喋っているのを聞いたりしてる方が、たいてい面白いだろうなって、ちょっと思います。

喋りがいいなって思うのは、喋った場合、喋ってる内容と同時に、喋ってる人のキャラクターってのも表現されていて、見たり聞いたりしている人は、内容と同時に喋ってる人のキャラクターも受け取ってるわけですよね。

同じ人のYouTubeをずっと見ていると、だんだんと喋っている人のキャラクターが好きになっていって、そうなるともう、何を喋っているのかの内容の方はわりとなんでもよくて、その人が喋ってるから見る(聞く)、みたいになっていくんですよね。

(その10)の「表現の内容と調子について」の時に、僕は何か表現するときにその内容自体が持っているトーンと、その内容を伝えるときのトーンとを、ズラせるならそうしたい、というようなニュアンスのことを言ってました。

例えばですね、自分の身に起こっためっちゃ辛い話を、笑いながら話す、みたいな、そういうことですね。
そういうことを文章でやるのって、なかなか難しいです。

やたらと文末に「(笑)」とかつけてみたとしても、そんなの文章に品がなくなるだけで、とくに面白くもならないですしね。

ほんと、どっちかと言ったら、noteよりYouTubeしたい!

できませんけどね!

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