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般若心経―パラミタは意識を初期化して完全性へと還る道

みなさんの氣を引くために、お馴染みの般若心経がタイトルに入っていますが、このネーミングだと実は大切なところが抜け落ちています。

般若心経は般若波羅蜜多心経のことで、言わば大般若経のツイッターバージョンです。今日はこの波羅蜜多の部分のお話です。

日本だと六波羅蜜寺という名前のお寺を聞いたことがあると思うのですが、この名前にも波羅蜜が出てきます。この波羅蜜という言葉はサンスクリット語のパラミタ(パーリー語だとパーラミー)の音写で、完璧、パーフェクトという意味です。般若はプラジュニャの音写ですが、どちらかと言うとパーリー語のパンニャに近く、それは智慧を意味しています。

般若波羅蜜多だと『智慧の完成』、六波羅蜜寺だと『六つの完全のお寺』という意味になりますが、六つの完全のお寺って何でしょう…?

実はこれ、大乗仏教では6つ、上座部(テラヴァーダ)では10の意識を完全に初期設定の状態に戻すためのプラクティスのことで、般若波羅蜜多はそのうちのひとつです。

わたしは上座部(テラヴァーダ)の文化圏であるタイで暮らしていますので、10個ヴァージョンである『ダサ・パラミー』に親しんでいます。

前回の記事で完全性のコンセプトから遠く離れていくことで、環境が劣化していくというお話の中で、わたしたちは宇宙というひとつの命の一生の中で、クリエーションに伴う分化に抗うことができない条件の下、完全性の体験との対岸に生息しているということを述べました。

食物、睡眠、セックス、その発端をわたしたちは完全に忘却していますが、すべては意識が分化する以前の完全性を少しでも体験したいという欲求からくる行為です。ですが宇宙が拡大・分化の時期である現時点で、完全性を保つことの方が不自然な流れとなり、分化した物質を摂取することで起こる結合反応による完全性の体験は、不安定で一時的なものとなってしまいます。

この谷川俊太郎さんの詩、二十億光年の孤独のような状態の宇宙の性質をブッダはアニッチャ(無常)・ドゥッカ(苦)・アナタ(無我)の三つで表現しました。ダーマ(宇宙の法則)の流れは分化の状態なのですから、何かを保とうとしても必ず均衡に分化してしまいます。これが無常の正体であり、元からあった完全性を求めて拡大する宇宙で迷子になり、孤独なわたしたちの体験はドゥッカ(苦)の繰り返しになってしまいます。分化した状態で気の遠くなるほどの長い間彷徨い続けているうちに、わたしたちの意識は自身をアトマ(魂)由来であると勘違いし、反対にある本来の姿、全体でひとつであるアナタ(無我)の状態を受容する余裕すら失ってしまいます。

この迷子の状態から逃れたいからと言って、あれこれ摂取しても同じところを堂々巡りしてしまうのがサムサーラ(輪廻)です。迷子から抜け出すためには、元来た道を思い出して戻っていけばいいというのがブッダの教えです。

そのために必要なものがこの10もしくは6の波羅蜜多です。まずはわたしたちが完全にどこから来たのか忘れてしまっているということろからはじまります。その失われた記憶を取り戻すためにこの10のプラクティスが、来た道を辿ることとなり、意識がまっさらであった原初の状態へと帰還していくのです。

わたしたちの世界は、生産と消費、それに対する反応の積み重ねでできあがっています。それを解消するには「悟り」だけでは十分ではありません。わたしたちが生きている環境は、いわば過去の集積です。その過去の集積にすら完全に反応しない状態を作り上げていくのが波羅蜜多であり、一夜でできあがるようなものではなく、わたしたちは何度も何度も生まれ変わりながら完成させていくのです。

ブッダがどうやってそれを完成させていったかが描かれているのがジャータカです。ブッダがゴータマとして生まれるひとつ前の生で、弱ったトラの母親に自らの命を与えたことでパラミタを完成させたというお話は有名です。

では、テラヴァーダ(上座部)ヴァージョンの10のパラミーを簡潔に紹介していきましょう。

①ダーナ・パラミー → 自分のモノだと思っているものを、無条件に他にあげても平気になることで、自と他の境界線を越えていく練習です。

②シーラ・パラミー → 現時点の宇宙は拡大と分化のエネルギーが優勢ですので、それに流されないようにするために自制心を育てる練習です。

③ネカマ・パラミー → 消費を最小限にして、ミニマリストでいることによって完全性とは何かをクリアにする練習です。消費することが無意味だということを理解するための練習です。

④パンニャ・パラミー → 自分が何者であるのかはっきり理解するためにダーマ(宇宙の法則)を理解する練習です。(般若心経では観自在菩薩がこの練習に耽るというシーンが描かれていますよね)

⑤ヴィリヤ・パラミー → 言ってみれば宇宙の流れに逆らうわけですから、それに継続的に立ち向かうエネルギーが必要です。本質を知りたい、そこに留まりたいという情熱を保つ練習です。

⑥カンティ・パラミー → やっぱり宇宙の流れに逆らうわけですから、本質に留まるために忍耐強くある練習です。

⑦サッチャ・パラミー → 真実を貫くために自分の中にある『まやかし』を一つ残らず洗い出してしまう練習です。

⑧アディタナ・パラミー → 起源に戻っていくために初期化することが目標ということを忘れず、道を遡っていく練習です。

⑨メッタ・パラミー → すべての起源はひとつであるから、自と他の違いがなくなり、他を自分と同じように感じるようになっていく練習です。

⑩ウペカ・パラミー → 生産と消費がなくなるため、反応しなくなり均衡が保たれることがウペカです。二元性を越える練習です。

この10個が完成すると、意識は完全に初期化されて迷子のわたしたちは家に帰りつけるということです。

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