見出し画像

おしゃかさかまの前前前世の有心論―ダンマパダ第5節

今日はかの曲のタイトルのようでいて、ダンマ・パダのお話です。ダンマ・パダ(法句経)とは、ティピタカ(三蔵)のふたつめ、スッタ・ピタカ(逸話集、経蔵)の中のクダカ・ニカヤ(短編集)の二番目に入っているものです。(フォルダの中のフォルダのファイルだと思ってください!)ダンマパダ(法句経)は詩集のようなもので、423の短い詩で構成されていますが、その詩のひとつひとつに実は逸話がついていて、今日はそのお話を紹介いたします。

スートラを読むのに必要なマインドフルネス

スッタ(スートラ)を読むときは、ニュートラルで俯瞰していることに気をつけていなければ、意味を一方的に取ったり感情が入ったりして、智慧そのものが蒸発してしまいます。

前回のシガロヴァダ・スッタの後編を訳していて、(まだ公開できるところまで終わってません!ごめんなさい)実はどうしてもその点で気になってしまったところがありました。今日はそこを補うための記事です。

『あなたの豊かさを流用する者、口だけ大きなことを言う者、変に褒めてくる者、怖いからという理由でやるやらないを決める者は、優しそうに近寄ってくるけれど、友人を装っているだけだと悟りなさい。』

という一文がシガロヴァダ・スッタの後半で出てきます。ブッダは辛口で、すごく心に刺さるこの一節。一見この言葉をを受け入れることは簡単です。ですがこれを聞いて、相手を責めることなく、自らが変化するという選択を喚起するのはすごく難しいのではないかと感じてしまいました。これはわたしのとても正直な気持ちです。

気をつけなければいけない点は、ブッダはそのような人は良くない、他人が悪いのだとジャッジしているのではなく、雑な選択をしたせいで、雑な条件にもとづいた縁起が起こり、その乱雑な環境にあまんじるほうを選んでいるのはあなたの心ですよ、と言っているのです。

ブッダの心の矢印は、外の対象物ではなく、対象物を起こすマインドにいつも向いています。それをわかりやすく説明してくれているのがこのダンマ・パダの第5節、カラヤキーニのお話です。

ダンマ・パダ第5節

『この世界において憎しみというものは、どうしたって同じ憎しみによって和らげることはできません。それは慈悲によってのみ和らげることのできるものなのです。これは古きも新しきも変らぬ普遍の法則です。』
― ダンマ・パダー第一章ヤマカヴァッガ:第5節

ダンマ・パダの第一章である『ヤマカヴァッガ』はペアになっています。この第5節とペアになっているのが、第6節です。付随する物語はまったく別のものなので今回は割愛しますが、参考までに6節も一緒に記載しておきますね。

『智慧のない人々は、「わたしたちはみな、いつか絶対死ぬ」ということをうっかり忘れています。だから諍いを続ける。智慧のある者はいつかみんな死ぬということを常に心に留めている。だから憎み、争うことをわざわざしないのです。』

カラヤキーニの物語

お釈迦さまがサヴァティという土地にあるジェタバーナ僧院に住んでいたときのこと。お釈迦さまはこの詩(ダンマパダ第5節)を、不妊症の女性とその怨み相手を叱責しているときにおっしゃったのでした。

かつて前前前世である夫の妻として生きていたときのこと。一番目の妻が不妊症だったので、後に彼は別の妻をめとったのです。問題は、一番目の妻がもう一方の妻を流産に追いやったことに始まります。もう一方の妻は結局、子供が流れたときに亡くなりました。

二人の妻は前前世で、雌鶏と猫として生まれ変わりました。 前世では雄鶏とヒョウに、今世ではサヴァティの貴族の娘ととカリという名前の鬼の娘として生まれたのです。そして鬼娘カラヤキーニは、ある赤子を連れた女性を見つけると、怒り狂って執拗に追いかけ回していました。

女はお釈迦さまが近くにおられることを知り、お釈迦さまのいるジェタバーナ僧院に駆け込んだのでした。女はお釈迦さまのそばで隠れ、息子を守るためにお釈迦さまの足元に赤子を置きました。追いかけてきた鬼の娘は僧院の守護によって入口で止められ、立ち入ることを拒否されていました。するとお釈迦さまは両方を呼び寄せ、女性と鬼の娘の両方にこう叱責されたのでした。

お釈迦さまは彼らに、あなたたちの恨み合いは前前前世でとある男の妻同士の敵対からはじまって、その後猫と雌鶏として、そして雌鳥とヒョウとしていがみ合ってきたのですよ、と話しました。ふたりは、憎しみがより多くの憎しみを引き起こして増加していっていたことを悟りました。そして次の言葉から、思いやり、理解、そして心を育むことを選ぶことによってのみ、憎しみを和らげることができると悟らされたのでした。

『この世界において憎しみというものは、どうしたって同じ憎しみによって和らげることはできません。それは慈悲によってのみ和らげることのできるものなのです。これは古きも新しきも変らぬ普遍の法則です。』

これを聞いた鬼のカラヤキーニは、ソータパンナ(悟りへ向かう者)へと変化したのでした。

いただいたサポートは、博士課程への学費・研究費として、または息子の学費として使わせていただいています。みなさんのサポートで、より安心して研究や子育てに打ち込むことができます。ありがとうございます。