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『お金を稼ぎたい』 と 『お金が欲しい』

Hola Chavales!!!!

99%の僕の同級生は

4月1日の今日から社会人になりました。

本当に心から応援しています。

さて僕は今何をしているのかというと

サッカー小僧を貫き続けています。

そんな僕の『お金』に関する価値観の話です。


とにかく資本

僕は『資本』がとにかく欲しいんです。

目の前の時給1,500円よりも5年後・10年後にお金に変わるような『資本』

『資本』を求めて大学を辞めスペインに行き

『資本』を求めて試合に出れないが学びのある監督の下での練習を選び

『資本』を求めてTwitter を始め

『資本』を求めて僕は今ラージョ・バジェカーノにいます。


今家にいて時間もたくさんあるのでよく考えるんです。

『もし大学を辞めずに卒業して今社会人として闘いの土俵に立ったとしたら、僕はどんな武器を持ってその闘いに挑もうとしていたのだろうか』

想像が全くできないないくらい僕の1年半の大学生活は実りのないモノでした。

それと同時にもう一つ考えることがあって

『今大学を辞めたことを後悔しているのか』

『全くの後悔はない』と言い切れる自分がいるのもまた事実。


僕がここまで『資本』を選択してこれた一番の理由は『両親』

まずそこに感謝しなくてはいけないなと思ってます。


さぁ今僕は高卒というレッテルを貼られています。

ここからどう人生を生き抜いていくかが勝負ですね。



お金を稼ぐ

僕も歳が歳だから自分でお金を稼ぐことを考えます。

で、

『お金を稼ぐこと』

に関してはめちゃくちゃ興味があります。

むしろお金は稼ぎたい。

なんならサッカーに対する熱量と同じくらい

お金を稼ぐことにも熱量を持っていて

日々どうやってお金を稼ぐのかを考えているかもしれないです。


お金はいらない

すごく矛盾して聞こえると思うんですけど

僕お金はいらないんです。

お金を欲しいとはあまり思わない。

日常生活を送る上でのお金は必要ですけどね。

でもお金を使うことに全く興味がないんです。

洋服とか靴とかバッグとか物欲がまずない。

もちろん裸で生活するわけにはいかないから

最低限の洋服も必要なんですけど。

外食も1人でおいしいものを食べるなら友達とファミレスでいいし。

僕のお金を使う基準ってなんなんだろうって考えたときに出た答えが『人』ですね。

要するに『誰にお金を使うか』です。


同じ5€なのに価値が全然違う

スペインでは家の中でも素足ではなくサンダルとか履くんですけど

去年の夏に日本から戻ったときに僕のサンダルが行方不明になってたんです。

サンダルなんて5€とか600円くらいで買えるんですけど、結局自分では買わずに

クリスマスに家に遊びにきた友達のスリッパをもらって履いてました。

面白いことにサンダルの5€は払わないくせに

チーズケーキの5€はめちゃくちゃ払ってるんですよね。

結局僕がお金を払う基準は『人』らしいです。

『誰にお金を使うか』

もちろん自分への自己投資も含まれます。



2つの意味は全く違う

『お金稼ぎたい』と『お金欲しい』の意味を

同じで捉えている人が多いんじゃないかなと。

実は全く意味が違くて

『お金を稼ぐ』:お金が自分のもとに入ってくるまでの過程。

『お金が欲しい』:お金そのものが欲しい。

ここをまず理解する必要があるのかなと思います。


僕に残された選択肢は1つ

2つの言葉の意味を理解した上で

僕は『好きを仕事にする』

という挑戦をしていかないといけなくなりました。

どういうことかというと

お金を使うことに興味がないから

『お金を手にするために働く』

ということに向いてないわけです。

つまり時給が高いからここで働こう

という選択の仕方はできないということです。


それよりもお金が手に入るまでの過程に対して

『やりがい』とかその過程に対しての『意味』とか

お金じゃないところに価値を感じられるのか。

そこが僕の選択の仕方なのかなと。


もし僕が家族を持っていたらこの選択の仕方も変わるのかもしれません。

そしたら『家族』がお金を稼ぐ意味にに変わるのかもしれないですね。

ただまだ22歳の僕に理解できる領域ではなさそうです。


人生って難しいね

軽い気持ちで書き始めたものの

思いの外深い話になってしまいました。

人生における幸せとはなんなんでしょうかね。

まだ22年間しか生きてない僕には難しい問題です。









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