「労働」の魅力的な演じかた。
映画でもドラマでもCMでも、人が働いてるシーンって多いんですが、よい俳優さんって「労働」の芝居の中でキラキラと輝くんですよねー。
ところが多くの俳優さんは「労働」の芝居の中で自分の魅力を発揮することが出来なかったりします。キラキラできないんです。それは彼らが「労働」の芝居で反射的に以下のような間違った演技をしてしまうからです。
❶ ダルそうに働く
❷ イライラと時間に追われる感じで働く
❸ 嘘っぽくハキハキと働く。
よく見ますよね。
そう演じなさいと脚本に書いてあるのならよいのですが、書いてなくても❶~❸のように反射的に演じてしまう俳優さんのなんと多いことか。
これ、俳優さん自身にとってもすごく損だと思うのです。だってこの演技では輝きようがないですから。
先日の12月の演技ワークショップでやった台本も、多くの俳優が❶か❷で演じていました。
小説家が原稿を書いてるところから始まるシーンだったのですが、締め切りに追われている台本でもなく、しかも食事も忘れるほど集中して原稿を書いている設定なのに、なぜかつい、その小説家をダルそうに演じたりイライラ演じたりしまうんですよねー。
俳優が心掛けなければいけないのは「脚本の意図に沿って演じること」と「役を演じる中で自らが輝くこと」です。
その2つを同時に実現するために重要なのは「その労働」と「その人物」との関係を脚本から読み取って、その感覚をしっかりつかんでから演じることです。それに成功するとキラキラと輝きながら「労働」する人物が画面上・舞台上に出現することになります。
最近朝ドラ『おちょやん』を見始めたんですが、いいですよね。
『おちょやん』の主演・杉咲花さんの労働っぷりはキラキラしていて、演技法はデフォルメが効いてるんですがディテールがたっぷりなので、見ていてホント飽きないです。
杉咲さん演じる千代はよく無茶な仕事をふられるんですがw、でもその無茶な作業をなんとかやりこなそうと、すごい集中力でもって七転八倒します。けど大抵上手くいかない・・・あ~!も~!もう一回!・・・「労働する」千代の目が超キラキラしてるんですよね。見てる観客もつい微笑んでしまいます。
もちろん千代だって無茶ぶり仕事だからやりたくないし、イライラもしてるんですよ。でもその仕事から逃げずに、千代が作業と向かい合って一喜一憂しながら働いているので、芝居がネガティブになったり暗くなったりしないんです。テレビの前の視聴者も毎朝千代と一緒に「労働」のディテールに一喜一憂しています(笑)。
あと最近ボクは『梨泰院クラス』にかなりハマってるんですが(笑)、この韓国ドラマの「労働」の演技も素晴らしいです。
居酒屋タンバムを経営する主人公パク・セロイの周りに集まってきた仲間達がみんな魅力的なのですが、彼らの仕事に対するスタンスの変化の描写がディテール豊かで面白いのです。
居酒屋タンバム。元ヤクザのホールスタッフのチェ・スングォンや、素人料理人のマ・ヒョニが最初は自分たちのできる事だけをしていて、まあ仕事が雑なんですね(笑)。当然の結果として居酒屋タンバムは味もサービスもイマイチというかイマ3くらいの感じの店なのです、最初は。
それが愛の人:パク・セロイと関わってゆくうちに彼らの接客や料理に対するスタンスが変わっていって、やがて居酒屋タンバムは味もサービスも一流店になってゆく。 その過程が台詞やエピソードとして描かれるのではなく、彼らの仕事中の立ち居振る舞い・目線の動き・コミュニケーションの仕方など・・・俳優たちの演技によって地味に、でもしっかりと観客に伝えられてゆくのが、とても説得力あるのです。
たとえばコンロの火を見るにしても、ただ言われたとおりに料理している料理人の目と、お客に美味しいものを食べさせようと料理している料理人の目はあきらかに違っています。
接客も最初は客に何か言われるまで動かなかったスングォンが、各テーブルを観察するようになり、客の先回りをして動くようになってゆきます。 これはただ「仕事をしてるふり」の動作を演じてるのとは全然ちがいます。
彼ら登場人物たち各々が仕事中に「何を見て、何を感じて、どう動いてるのか」・・・そこがしっかり演じられているので、彼ら登場人物の意識が変わると仕事中の動きも変わってくるんですよね。 彼らの仕事をする人としての成長が目で見えるんです。そして我々観客はそのキャラクターのことをもっともっと好きになってゆくんです。
本題に戻りましょう。
❶ ダルそうに働く
❷ イライラと時間に追われる感じで働く
❸ 嘘っぽくハキハキと働く。
ではなぜ俳優は上記の❶~❸のように「労働」の芝居を反射的に演じてしまうのでしょうか。
❸は役を「個人」ではなく漠然と「この職業の人」として演じてしまうことですね。これはかなり古くさい演技法で、芝居が嘘っぽくなります。
では❶と❷は・・・これってボクが思うに、俳優さんたちの「労働観」というか「労働」の捉え方に原因があるのではないかと思っています。
俳優さんにとってバイトなどの労働って本当はやりたくない、早く俳優の仕事だけで食っていきたいのにーっていう「不本意な労働」なわけじゃないですか。だから「労働=不本意」みたいな演技になってしまうのではないかと、労働を❶❷のように演じる俳優さんを見るたびに思うのです。
でもよく考えてください。
ではその俳優さんの本意な労働であるところの俳優の仕事をしている時の仕事の仕方はどうでしょうか? 舞台や撮影現場で❶❷のようにダラダラしたりイライラしたりしているでしょうか? そんなことないはずです。だって人生をかけて働いているわけだから。
そう。『おちょやん』の千代も、『梨泰院クラス』のパク・セロイたちも人生をかけて働いているんです。だからキラキラと輝いている。
ここからは想像力の問題になりますが・・・毎日ペコペコ頭下げてばっかりのくたびれたサラリーマンだって、家族のために人生をかけて働いているのかもしれないですよね。
よくドラマに出てくる主人公のオフィスの同僚役みたいな人達も、ドラマに出てくる警官の人達も、ラーメン屋の店員の人も、Uber Eats配達員の人も、小説家の人も、それぞれの人生をかけて仕事をしているのかもしれないじゃないですか。
【「労働」の魅力的な演じかた。まとめ】
演技のスタンスを決める前にもう一度、注意深く脚本を読み返すべきです。想像力を最大限に使いながら。「その労働」と「その人物」との関係についてもっと考えてみましょう。 一見くだらなく見える労働のシーンでも、意外とその人物は人生かけて真剣に働いているのかもしれませんよ。
なので「労働」のシーンを演じるとき俳優は、俳優がバイトをしている時のように仕事を演じるのではなく、俳優が俳優の仕事をしている時のように仕事を演じるのがよいと思います。
夢中で働いている人物を演じましょう。きっとキラキラと輝けるはずです。
小林でび <でびノート☆彡>
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