タイトル_スカーレット

『スカーレット』戸田恵梨香の 小さな快感と小さな不安の演技。

毎朝、NHKの天気予報を見ながら朝食代わりのバターコーヒーを入れて、8時からそれを飲みながら朝ドラ『スカーレット』を見るのが最近のボクの至福の時間でして・・・見終わると「はあ~っ」ため息が出ちゃうんですよね。朝からいいもの見せてもらった~ってw。

いや『スカーレット』のラストカット、毎朝マジで最高なんですよ。
主人公の喜美子(戸田恵梨香さん)の無言のアップの表情で終わる回が多いんですけど、それが毎回すごく味わい深いんですよねー。切ない。

いやコレってなかなか成立することじゃないと思うんですよ。ドラマのラストカットを台詞やナレーション無しに人物の顔の表情のアップで5秒とか10秒とかもたせるだなんて!朝ドラでいえば『あまちゃん』以来のことだと思います。

感情の深さ、
振れ幅の大きさ、
そしてそれが揺れ動き続けていること。

戸田さんのアップ、台詞やナレーションなんて必要ないんですよ。だって表情だけですべて伝わってしまうから。無言の表情の中にさまざまなモノが渦巻いていて・・・で、われわれ視聴者は「わーこの続きどうなっちゃうの?」とワクワクして次の日も早起きして観てしまうんですw。

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そんな時の喜美子(戸田恵梨香)の瞳って、炎が燃えているみたいなんですよ。

なにか期待に心が揺れている時の喜美子の瞳には「快感」の炎がちらちらと燃えていて、そして不安に心が揺れている時の喜美子の瞳には「不安」の嵐が渦巻いています。

そう、喜美子の目には常に「快感」と「不安」があふれていて、われわれ視聴者はついついそれに見入ってしまうんです。

そう、「感情を演じて見せる」というアウトプット型ではなく、喜美子の感情は「快感や不安を感じている姿をさらして見せる」というインプット型でもって演じられているんです。

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一般的に俳優が喜怒哀楽を演じようとすると、どうしてもカメラや観客に向かって表現しよう・伝えようとしてしまうので「感情を能動的に演じて見せる」という感情をアウトプットするタイプの演技をすることになります。

でもよく考えてください・・・我々の日常生活の中の心の動きとしての喜怒哀楽って、なにかに対して自然に自動的に喜んだり怒ったり哀しんだり安心したり・・・つまり「能動的に表現する」ものではなく、むしろ「受動的に感じる」ものでは?・・・それってインプットですよね。

アウトプットとインプット・・・そう流れが逆になっちゃってるんですよ。

泣くシーンなんかがわかりやすいですよね。
俳優は泣くシーンで「泣こう」とします。一生懸命昔飼ってたペットが死んだ時の事を思い出したり、家族との別れを思い出したり、彼氏にフラれた時のことを思い出したりして、涙をしぼり出そう!感情を奮い立たせよう!とします。必死に顔を歪めてそんな演技をしている俳優さんをよく見ますよねw。

でも、現実のわれわれ人間はどうでしょうか。泣きそうになるような状況におちいった時・・・「あ、泣いちゃうかも」と感じたらむしろ「泣くまい」と感情を収めようとしたりするんじゃないでしょうか。で無表情に・・・でも涙がツーッと流れてしまう。

この2つは涙を流していることは同じでも、その表情はまったく違うものです。

怒りや笑いも、怒ろうとしたり笑おうとするものではなく、なにかに反応して勝手にブワーッ!と湧き上がってきてしまうものです。喜怒哀楽はインプットに対する「自然な反応」なんです。

このように「喜怒哀楽をインプットに対する反応として演じている」のが、たとえば役所広司さんであり、たとえば『スカーレット』の戸田恵梨香さんなんです。
そして彼ら彼女らの笑顔は目に「快感」がちらちらと燃え、彼ら彼女らの心配な顔は目に「不安」が渦巻いています。その心の揺れ動きを見てわれわれ視聴者は、彼ら彼女らの感情の深さを感じてドキドキしたりハラハラしたり。

そう、感情はアウトプットとして演じられたものよりも、インプットに対する反応として演じられたものの方が視聴者に強く伝わりやすいようです。

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そもそもの話なんですが、ボクは人間ってあんまり頭を使って日常生活をしていないと思うんですよねw。

掃除したり、料理したり、洗濯物を干したりする時っていちいち頭で考えて行動してないじゃないですか。 むしろ手が勝手に動いちゃうというか、無意識的に作業していますよね。

そして例えば皿洗いをしてるとして、皿が1枚上手に洗えるとそこには小さな「快感」が発生します。その小さな快感をさがして手が勝手に動くんです。まずはカップ群を片付けて、その後スプーンや箸を洗って、でお皿なんだけど油モノはなるべく後回しにして~みたいな・・・より快感が発生する方へ発生する方へ・・・思考よりも快感を道しるべにわれわれは行動しています。

日常生活の中には快感があるんです。

会話もそう。日常会話の中には快感があります。
さっきの皿洗いの例みたいに、われわれは無意識的に言葉を選んで相手に話します。そして会話の相手の心を動かせたときに小さな快感が発生します。相手が笑ってくれた瞬間とか大きな快感がありますよね。で、もっと相手を笑わせたいと思う、相手の心を動かしたいと思う、で次の言葉が生まれる・・・会話中の言葉ってそんな風に快感を道しるべに生まれてきていると思うんです。

なら芝居の中の台詞のやり取りも、そんな風に会話できたら最高じゃないですか。

『スカーレット』での戸田恵梨香さんの台詞ってそんな感じなんですよねー。 喜美子はだれと話してる時でも相手の心を動かそうとしていて、少しでも相手の心が動いた時には喜美子の瞳の中に「小さな快感」がちらっと燃えているのが見えますw。

思考ではなく、その小さな快感を道しるべに喜美子は会話をしています。

それが彼女の笑顔の魅力・・・だって会話してる相手がそんな目をしていたら誰だって嬉しいですもんね☆

そして小さな不安・・・ひとは小さな不安に突き動かされて喋ってしまう、つい行動してしまう・・・小さな快感と、小さな不安に突き動かされてひとは言葉をつい喋ってしまう・・・みたいに台詞が喋れたら最高ですよね。

『スカーレット』の喜美子の瞳はその小さな快感と小さな不安でいつもキラキラ揺れ動いて、ボクはついついそれに見入ってしまいます。 そして見終わると「はあ~っ」ってため息が(笑)・・・完全に喜美子に魅了されてしまっているみたいです。

小林でび <でびノート☆彡>

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