ブログ朝ドラスカーレット2x

朝ドラ『スカーレット』の演技は いま必見!

いま、朝ドラ『スカーレット』がドキドキする!ザワザワする!
毎朝見ながら「うっわ~…」とか「えええ?」とか「はうあ!」とか変な声が出ちゃって・・・(笑)。
も~毎朝起き抜けにこんなドキドキザワザワするドラマを15分見て、で仕事に行くのってどうなの?と思うけど、続きが気になって気になって見るのが止められない(笑)。

いや描いてるのはごくごく日常のドラマなんですよ、陶芸家の家族の。絵皿の注文が大量に来たけど今からじゃ間に合わない~だとか、銀座で個展を開くのだけど思ったような作品が仕上がらない~だとか、幼馴染と妹がこっそり付き合っててそれを主人公・喜美子に言い出せない~だとか。
セリフ上はそんな会話しかしていないんです。なのに見ている我々視聴者はなにやらドキドキザワザワして胸騒ぎが止まらないんです。それはなぜなのか?

芝居の構造を解析すると・・・会話自体は普通に成立しているのに、登場人物たちの気持ちに微妙なボタンの掛け違いがあって、その掛け違いが日に日に大きくなってきているのです。
しかもそのボタンの掛け違いに登場人物たち本人が気づいていない!(笑)

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そう。登場人物本人たちはコミュニケーションできているつもりなんですよ。

たとえば夫・八郎が陶芸の新作に悩んでいるのを毎日見ていた妻・喜美子が「なあ、今年は休んで。銀座の個展はやらんでええ。やめよう」八郎は「喜美子は優しいな。ありがと」。いいシーンですよね。
ところがこれ見た人は分かると思うんですけど、実際全然心あたたまるシーンじゃないんですよ。セリフ上は思いやりのある会話なのですが、見ててドキドキザワザワする・・・これじつは・・・八郎の心が喜美子から離れてゆくシーンなんです。

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喜美子の陶芸の才能が自分のそれを追い越してゆくことを感じた八郎が、ひそかに焦り、迷い、自分の才能に対して疑いを持ち始めたところで、喜美子に「休んで」と言われて八郎が大きなショックを受ける!というシーンなんです。
ここを境に、芸術ひとすじだった八郎が芸術作品を創ることをいったん諦めて、弟子の三津に勧められるままに和食器セットとか実用品をつくってゆく流れが始まる大きな分岐点のシーンなんですね。

これ、普通の今までの脚本だったらもっと二人の個々の心情を説明するような感情的なセリフがあるだろうし、普通の今までの俳優の演技だったらもっと八郎の辛そうな表情とか演じるんでしょうが、それが無いんです。なぜか・・・無くても視聴者に伝わるからです。

だって視聴者の誰もが今までの人生の中で、親しい人間の善意による言葉や行動に傷つけられて、笑顔で「ありがと」と返した経験があるからです。

しかも「ありがと」と言われた相手は、自分が傷ついたことに気づかなかったりするんですよ。こっちが笑顔で返したから・・・ここに「ディスコミュニケーション」が発生するんです。仲の良い2人なのに。お互いに相手を思いやっている2人なのに。そしてこのディスコミュニケーションは放っておくとどんどん拡大してゆきます。

朝ドラ『スカーレット』の14週~16週が描こうとしているのはこの悲劇だと思います。しかもセリフや表情で説明したり誇張することをしないで、あくまでリアルな人間の反応を見せることで「仲の良い夫婦がお互いすれ違ってゆく」をあくまで静かに&リアルに表現しようとしています。ココが日本のドラマ・映画の演技として圧倒的に新しいと思います。

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ここ数年、「コミュニケーションをすれ違わせる」=「ディスコミュニケーションを演じる」のが欧米の映画の演技の最前線になっています。その代表が映画『ジョーカー』です。主人公アーサーは職場の人間ともカウンセラーとも母親ともコミュニケーションが取れていないのですが、彼自身は全くそのことに気づいていません。

自分が愛すれば愛されると信じて、頑張ってみんなに愛情も注いでいる。でもコミュニケーションは噛み合わず、彼は愛されない・・・それが映画の全てのシーンで描かれていて、ラストはそれに気づいたアーサーがジョーカーと化してしまう、という話でしたよね。
アーサー役のホアキン・フェニックスは映画全編でまさに「ディスコミュニケーションによって傷ついてゆく男」を演じていました。

朝ドラ『スカーレット』14週~16週で描かれているドラマは、まさにそれと同じ「コミュニケーションがすれ違う=ディスコミュニケーションの演技」で演じられています。

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思えば朝ドラ『スカーレット』の10週~12週あたりは喜美子と八郎のコミュニケーションが構築されてゆく演技がホント瑞々しくて・・・ホント見ていてドキドキしたし素敵な気分になりました。

そして今14週~16週、そのコミュニケーションが徐々に崩壊してゆく過程を毎朝見せられて我々はドキドキザワザワしているのです。

解説しましょう。

喜美子と八郎はお互い「分かりあってる、信頼しあってる」ことが前提となっているので、小さな「思いやりによるディスコミュニケーション」が発生した時にそれに気づくことがお互い出来ません。なぜなら二人とも笑顔だから。 なので二人の間にできた溝は知らず知らずのうちにじわじわと深まってきています。

そこに登場するのが弟子の三津です。

八郎と三津はお互い「分かりあっていない、コミュニケーションが存在しない」ことが前提になっています。なので和食器セットの件とか、他愛のない冗談とか、たまに分かり合える瞬間があったりすると、そこには大きなコミュニケーションの喜びが発生します・・・うわー。不穏w。
このままだと何か良くないことが起きてしまうのではないか、という予感がハンパない・・・それが朝ドラ『スカーレット』の14週~16週のドキドキザワザワの正体です。

ああ17週以降どうなってしまうのか・・・怖い。でも見たい(笑)。いや〜これは俳優さんや演出家さん必見のドラマだと思うのです。

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今回のこのブログ、じつは『パラサイト 半地下の家族』の演技について書こうと思って準備をしてたんですが、今朝見た『スカーレット』があまりにウワーッ!という展開だったので、ついつい予定を変更して『スカーレット』のディスコミュニケーションの演技について書いてしまいました。すみませんw。
いや~演技って面白い・・・次回こそ『パラサイト 半地下の家族』の演技について書きます!では~☆

小林でび <でびノート☆彡>



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