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海外トレック#1-3 「3泊4日で最果ての村へ」 メスチア-ウシュグリトレッキング 実際の行程編 @ジョージア

イントロ(本記事の趣旨)

「最果ての村」ウシュグリ(Ushuguli)までの約56KMを駆け抜けるメスチア-ウシュグリトレッキング。
自然の耐え難い壮大さ、ジョージア北西部スヴァネティ地方の歴史/文化の深さ、様々な人々との出会い、そして美食を噛み締める3泊4日の旅です。そして、私自身も9月下旬にこのトレッキングに挑戦してきました。

前々回の記事#1-1では、このトレッキングコースの魅力に迫りました。前回の記事#1-2では、このトレッキングに挑戦したい方が知っておくべき実践的な内容(行程や装備、アクセスなど)をまとめておきました。

今回は、本シリーズの締めくくりとして、写真とマップを交えてトレッキングコースをなぞる旅行記形式でこのトレッキングを紹介します。実際に私が歩いた道、寝た場所、見た風景、キャンプ場の様子、思ったことなどを書いていきます。

Day0(Mestiaまでの移動)、
Day1(Mestia→Zhabeshi / Chvabiani)
Day2(Zhabeshi→Adishi)
Day3(Adishi→Ipari)
Day4(Ipari→Ushuguli)
Day5(Ushuguli→Mestia)
の構成で進んでいきます。

Mestiaまでの移動を確認したい方はDay0を、
トレッキングの様子を見たい方はDay1〜Day4を、
UshuguliからMestiaまでの帰り方を確認したい方はDay5を、
それぞれ参照にしてみてください。

また、本記事の末にDay-1という章があります。メスチア-ウシュグリトレッキングが始める前日に考えたことを書いてみました。あまりトレッキングには関係ないですが、「ジョージアとロシアと21世紀の戦争」について書いてみました。時間がある方はお立ち寄りください。

これ以降、マップについては、Google MapとMaps.Meを参照にしています。文字の下に下線があるものをクリックすると、Google Map上の場所に飛ぶことができます。ただし、本記事で紹介するトレッキングコースのほとんどのセクションがGoogle Map上に表示されないことから、大幅にMaps.Meの地図も参考にしていきます。携帯にオフラインマップが無料でダウンロードできるので、自身が本トレッキングに挑戦する際に、大いに役立つと思います。これ以降に添付してあるマップと自身のMaps.Meのマップと見比べながら、旅の計画立てにお役立てください。



DAY0 Gori→Mestia

Gori駅→Zugdidi駅:「トレッキングへ導かれた因果関係」

Google Mapより

因果関係とは非常に面白い。このトレッキングを目指すことになった因果関係を辿ると、カザフスタンで過ごした初夏の食中毒まで戻ることができます。アルマティ近郊の山、クンベルピーク登山の際に川の水を飲んだことによる体調不良に見舞われました。これにより、事前に申し込んだアルマティ郊外のハイキングツアー参加を延期をするはめになりました。予定より1週間遅れの参加となりました。そのツアーで、フランス人のカップルとアメリカ人女性に出会いました(この3人とは、後にキルギス、ウズベキスタン、ジョージアで再開することになる)。この3人が「ジョージアで最高に綺麗なトレッキングがある」と言っていました。それが、このメスチア-ウシュグリトレッキングでした。ウズベキスタンで再開したフランスのカップルから、再度このトレッキングを実施するように念押しされました。加えて、ジョージアで再開したアメリカ人女性が、このトレッキングに挑戦してきたという報告をしてくれました。「これは、私もやらなければ!!」という気持ちが芽生え、メスチアの地へ向かう決意をしました。

カザフスタンであの川の水を飲んでいなかったら、食中毒にならない→予定通りにツアーに参加している→仏人カップル/米人女性に会えていない→このトレッキングを知らない→トレッキングをしなかった、という世界線があったでしょう。

このように因果関係を辿ると、「私がコントロールできること」の外枠の中に得体の知れないほど無限の「私がコントロールできないこと」がある。意図して食中毒になれないなし、仏人カップル/米人女性と巡り会うツアー参加の日程なんて知る由もない。まるで、川を滑べる大流(私がコントロールできないことの総体)に流される一葉のように流れ着いた結果として、このトレッキングがあります。

そう思うと、このトレッキングをすること自体が奇跡的に思えます。
こんなことを考えることができるほど、Gori駅は無人の静寂につつまれていました。

無人の駅構内
8:40にトゥビリシを出発する電車が9:36にGori駅に来ます

ぼーっとしながら考えていました。さて、前日にインターネットで予約したGori駅→Zugdidi駅間の電車を予約しておきました(こちらのリンクから予約可能)。このZugdidi駅から出発するメスチア行きのマシュートゥカに乗るのが目標です。

信じられないほど時間通りに電車が到着しました。

2等車(一番安い車両)でしたが、席がまばらに空いていて、窮屈さのかけらもありませんでした。

Zugdidi駅→Mestia

Google Mapより

予定通りに14時にZugdidi駅に到着しました。私と同じに用に、アウトドアな服装をする人々も一緒に下車しました。そんな私たちに、プラットホームにて、おじさま達が待っていましたと言わんばかりに、「Mestia?Mestia?」と聞いてきました。価格をまずは確認し、回答は40GELでした。相場通りの価格だったので、乗せてもらえるようにお願いしました。私のマシュートゥカのドライバーは40代くらいのジョージアの方。英語を話していただいたので、交渉もスムーズでした。マシュートゥカに案内されると、早速荷物を乗せて、なんとなく良さそうな席を確保しました。あっという間に、席も埋まり15:00時に出発しました。

私が乗ったマシュートゥカ

非常に険しい道を進んでいきます。山道運転安全祈願も込められているのか、信仰の面影が見受けられました。

転倒事故も何件か見かけました。それでも、ジョージアの運転手たちは、みんな車を停車して、転倒した車に駆け寄り、力ずくで車を起こしていました。文字通りそれを見かけた全ての車が、助けようとしていました。胸が熱くなりました。

トレッキングの準備

悪路を進んでいくこと4時間、19:30にメスチアに到着しました。まずは、トレッキングの準備として、11食分の食事を近くのスーパー(Sparというお店)で卵20個、パン、ピーナッツバター、チーズ、軽食を大量に購入しました。普段食べない甘々の食べ物も例外的に購入。Twixの美味しさに目覚めました。

長い移動で多少の疲労も感じながら、20分ほど歩いて今夜のお宿、Irma Beso & Aleko Khergianis Guesthouseというゲストハウスに到着しました。笑顔が素敵なオーナーと少し会話しました。このゲストハウスから見える山のこと、豪雪で閉ざされた冬の村々の営み、スヴァン地方の人々の生計のたて方を聞かせていただきました。
その晩、「もう一泊メスチアにとどまって休もうかな〜」という誘惑にさそわれました。夢にまでみたトレッキングなのに、その夢が近づいてくると、それを阻止したくなる私の隠れた一面があらわれるのです。本当に不思議。休むたいのはやまやまですが、翌日からの4日間は好天が続くので、結構を決意しました。20個の茹で卵を作って、暖かいベッドで就寝しました。


DAY1 Mestia→Chvabiani(Zhabeshi付近の村)

①メスチア(Mestia)②メスチアのトレッキングの起点③村々とMt. Tetnuldiをのぞむ丘④Lakhiri村⑤橋Maps.Meより

@ Irma Beso & Aleko Khergianis Guesthouse

8:30に起床。天気も崩れない予報だったので遅めの朝。部屋を出ると朝食の準備ができていました。残った朝食は、トレッキングに持っていってもOKととでした。写真の右側の春巻き的なやつが美味!!加えて、茹で卵にふりかけられたスヴァネティ塩も絶品でした。スヴァネティ塩だけで料理が一気に化けます!!

これに加えて、ほのかにミルクと甘さがあるロシア朝食の定番、カシャ(Каша)風のお粥もでました。熱々で美味しい。

朝食と快晴でパワー全開の出だしができきました。最後は、オーナーも笑顔で出迎えてくれました。不要な荷物の預かり入れも快く承諾してくれました。本当に至れり尽せりのお宿でした!!

メスチアのトレッキングの起点→村々とMt. Tetnuldiをのぞむ丘

私のゲストハウスからトレッキングの起点までは、10分ほどで到着。
そこまで劇的なコースの開始地点ではありません。普通の道路が続いています。

トレッキングの起点の様子。意外と地味。

この道をまっすぐいくと、だんだんMt. Tetnuldiと連結する峰々が大きく見えてきます。

さらに進んでいくと、黄色い標識が見えてくるのでそこを右に曲がります。

ここを右!!
黄色の箇所を右です。
Maps.Meより

ここからの道は非常に美しいです。牧歌的な農場の風景と木漏れ日がもれる道の森林浴を楽しむことができます。また、道自体も単純明快で迷いづらいと思います。

やがて道なりに進んでいくと③村々とMt. Tetnuldiをのぞむ丘が見えてきます。ジョージア国旗が掲揚していて、一気に景色が開けるのでわかりやすいと思います。お昼時に到着したので、朝食にいただいた残りのパンと揚げ物を美味しくいただきました。冷めても美味い。

村々とMt. Tetnuldiをのぞむ丘→④Lakhiri村

村々とMt. Tetnuldiをのぞむ丘の風景

快晴でラッキーでしたが、その分日差しが強かったです。半袖半ズボンでさやわなか下りに道をのぞみました。上の写真の中央の山を正面にして、左手側(人が小さく見えますね)を歩いていくと、いよいよ④Lakhiri村に近づいてきます。Maps.Meで調べると数通りこの村へ続く道がありました。とにかく、どでかい山方面に向かっていれば、いずれ到着できますが、念の為Maps.Meを見ながら進みました。

③村々とMt. Tetnuldiをのぞむ丘、④Lakhiri村と私の経路
Maps.Meより

右側に村があることさえ確認できていれば基本的に大丈夫です。

やがて大きな山に進む小道が村にぶつかります。

Lakhiri村の石造りの建物が少しづつ近づいてきました。ジョージアでしか見れない建築様式です。スヴァン語の格言の中に、"…. created by God, made by God. And yet built by human hands(神により生み出され、神により作られた。だが、人の手によって建てられた)"というフレーズがあるように、建物を建てることは、この地に生きる人にとって誇りでした(そしても今も?)。その建築の堪能する貴重な機会でした。

④Lakhiri村

Lakhiri村→橋

④Lakhiri村→⑤橋
Maps.Meより

村を通り過ぎると、馬、羊、牛、豚さんたちをよく見かけました。村を抜けると家畜達が放し飼い状態でした。人馴れしているのか、馬でさえも道を譲らずどしんと私が通り過ぎる様を見ていました。子豚が餌を欲しさにちぎれんばかりに尻尾を振って近寄ってきました。

少しづつ道がくだり坂になり、南側に見えるMulkhra川(მულხრა)が見えてきます。Cholashiと呼ばれる小さな村を抜けると、いずれ下の写真の橋にトレッキングの道が合流します。

この橋を渡り終えたら、左に曲がって公道をまっすぐ進みましょう。この時点で、テントや3日分の食料を背負っていたので、足取りが遅く、他のトレッカーに抜かれすぎて、最後尾にいました。景色を独り占めにできるので、得ですよ。

木がなく、非常に暑かったです。晴天も一長一短ですね。この道をまっすぐいくとやがてY字に道が分岐します。

この黄色い部分がY字の分岐。🏁=私が寝たキャンプ場
Maps.Meより

ここで、ゲストハウス派とキャンプ派の分かれ道です。ゲストハウス派=まっすぐZhabeshi村へいきます。そして、キャンプ派の私は右に曲がり、Chvabiani村方面へ進みました。キャンプ派のみなさん、覚悟してください。初日の最後の最後で登り道が待っています。

もちろん、私が寝たキャンプ場よりも手前にも寝れそうな場所は数カ所あります。しかし、最後の上り坂を登った甲斐があるほど、いいキャンプ場でした。今まで歩いてきた谷間と村を見下ろせる場所に位置する絶景スポットです。加えて、小川が近くを流れているので、給水も可能です。私の独り占めに状態でした。ため息が白くなるくらい夕暮れ時から冷え込んできました。私の母が愛してやまない辛ラーメンに、卵を入れたパワー飯をいただきました。

辛ラーメン

DAY2 Chvabiani→Adishi村

①キャンプ場 ②スキー上のバー/カフェ ③Tkharpel Hut Cafe ④Adishi村 🏁キャンプ場
Maps.Meより

Chvabianiのキャンプ場→スキー上のバー/カフェ

テントの中の結露の水滴で目が覚めた朝でした。濡れたままのテントをカバーに戻して、トレッキング開始。容赦ない急勾配な登りから2日目がスタートしたました。迷いようがない、狭く滑りやすい道を無心で進みました。

この細い道が終わると、スキー場に隣接したバー/カフェが見えてきました。この地は、ジョージア有数のスキー場でもあり、夏場はトレッカー、冬場はスキー/スノボ乗りで賑わうのだそうです。

節約派の私にとって、カフェは見てはいけない誘惑でした。幸い早朝のため営業していませんでした。北東を眺めると呆気にとられるコーカサス大山脈の峰々が広がっています。

スキー上のバー/カフェ→Adishi村

スキー場に隣接したバー/カフェからは緩やかな登りの車の轍をだどっていきます。

私が誰よりも先に出発したはずなので、前日のマシュートゥカで一緒にメスチアまで来た顔見知り達に追い抜かれていきました。そのうちの何人かが、雨雲が来ていると忠告してくれました。昨晩オフラインだったので、天気に無頓着でした。2日前まで、天気の予報だったのに、山の天気は変わりやすいのは世界共通のようですね。

このまま進んでいくと、いずれ右に曲がる道が見えてきます。標識があるので、右折場所はわかりやすいはずです。

次に目指すは、Tkharpel Hut Cafeです。このカフェは、山道に突如としてあらわれます。そのテーブル越しに見える山々の景色と乾いた喉を潤すソフトドリンクやビールで、トレッカーの目を引きつけます。

Tkharpel Hut Cafe
Tkharpel Hut Cafe

冷たい風が立ってきているのを肌で感じながら、山道を降っていきました。顕著に天気が崩れることを警戒して早足でした。この下り道で数多くの素敵なキャンプ場を見つけました。雨が降り始めていたので、泊まるのを断念しましたが、もしも日程と食料に余裕があったら、泊まりたかったです。

Tkharpel Hut Cafeから1時間半ほどがすぎて、Adishi村が見えてきました。

Adishi村

私が初めてAdishiと聞いた時、「あっ、サンスクリット語に似てるな〜」と感じたのを覚えています。というのも、サンスクリット語のAdhīśa(अधीश)は、「神 / 世界の統治者」を意味します。ジョージア語やスヴァン語がどの程度サンスクリット語と比較言語学上どれくらい関連性があるのかは不明です。しかし、別の言語同士のとある単語が似た音を持っていて、その意味が似たような意味、素敵な意味、または、クスッと笑えるくらい真逆の意味を持っていると、なんだか面白いなと思います。

ゲストハウス派はここで寝ることになります。一方で、私のようなテント派は、さらに5KMほど歩かなくてはいけないので、村が視界に入ってもまだまだ心が休まりませんでした。テント派は、さらにこの渓谷を5KMほどまっすぐ進みます。

Adishi村→"川渡り"付近のキャンプ場

テント派は村を通り過ぎてさらにまっすぐ進みます。

ひたすら東側の山に向かって伸びる景色に見惚れながら進みました。途中から晴れ間も見えてきたり、何頭もの馬達が草原を駆ける姿にも出会えて、疲れも忘れてしましました。この道をまっすぐ進むと、本トレッキングの難所、川渡りが近づいてきます。その近くにキャンプ場があります。

🏁:キャンプ場 青枠内:川渡り
Maps.Meより

キャンプ場に到着したのは、17:30でした。
15KMの距離を大荷物で歩くのはやはり体に応えます。幸いにも雨がやみ、馬達もどこかへ帰宅したので、静かな夜を過ごせました。川際で冷たい風が流れていました。すぐにテントを張り、シュラフに入ってスニッカーズとトゥィックスを貪りました。

DAY3 Adishi付近のキャンプ場→Ipari村

川渡り

人に興味津々の馬達に囲まれながらの朝食でスタートした3日目の朝。馬達も人馴れしているのか、しばらくずっとついてきました。

さて、本トレッキング最大の難関、川渡りの時間が来ました。おすすめは早朝だそうです。太陽により氷河が溶け出す前に出発すれば、川の水量もそれだけ少ないのでより安全に渡れます。9月、10月であれば、どの時間でも安全らしいですが、7月、8月のような真夏に川渡りをする場合には、絶対早朝がおすすめです。私が渡った時の状態はこんな感じです。ちなみに、見えづらいと思いますが、写真中央の黄色に紅葉した木の右側が、登山道です。

浅いですが、流れは急です。自身が見た上で、最も浅く最も距離が短い道を探してください!!サンダルを履いて、いざスタート。トレッキングコースポールを使いながら慎重に進みました。感想は吐き気がしそうなくらい水が冷たかったです。

くっ、冷たい!!

事前に温めておいたお湯で足を温めました。

渡り終えると、下の写真のような小道があります。

①キャンプ場→🏁川渡り
Maps.Meより

この川渡りを終えたら、いよいよ絶景が待っています。ずっと登りが続くのでしんどいと思いますが、信じてください。

川渡り→チュクンデリ・パス

①川渡り ②Adishi氷河 水玉:給水 🏁:チュクンデリ・パス 黄色枠:おススメに遠回り
Maps.Meより

まず最初にお目見えしたのが、さきほど超えてきた川の水の源流のAdishi氷河です。登っていくと、平坦でひらけた場所にたどり着くのでそこで写真を撮りましょう。

ちなみに、この景色のヴューポイントから少し登っていくと、せせらぎが聞こえてきます。ここで、給水が可能です。私はカザフスタンから川の水が怖くて飲めないので、必ずフィルターかボイルをするようにしています。

5Lもの水を補給しました

約0.6KM急勾配を上り終えるとたどり着けるチュクンデリ・パス。中央アルプスで見られるようなきれいな稜線を楽しむことができます。また、振り返って前日に通ったAdishiの渓谷を高みから見学することができます。

稜線と右側に見えるAdishiの渓谷

ここで少し東側に遠回り(上記のマップの黄色枠)をおすすめします。Google Map上にもあらわれるほど景色がいいことで有名なヴューポイントがあります(このリンクから)。登りな億劫な場合は、スキップしても可能です。

そこから見える風景

その途中で、素敵な馬乗りおじさんに出会いました。双眼鏡で鳥や馬を眺めているスローライフな人でした。ガマルジョバ(こんにちは)しか知らない私は、ロシア語で少し会話をしました(もっとジョージア語を勉強しておけばよかったと後悔)。4KMほど離れたKhaldeという村でゲストハウスを運営している方でした。双眼鏡で氷河を眺めにきたそうです。お腹がゴラ(
гора=山)のように大きいので馬で来たとのことです。「泊まっていく?」とオファーをいただきましたが、キャンプするので、お断りしました。このおじあさんと特に何をするわけでもなく、快晴の空とコーカサス大山脈の峰々を眺めていました。そうすると、おもむろに、彼がバッグからトマト、チーズ、パンを取り出して、私に分け与えてくれました。シンプルな食事でしたが、長期のトレッキングだと、何でも美味しく感じるものですね。

トマトを切るおじさん
絶景と馬とおじさん

さて、今朝からここまで一山を越えました。ここからは、ずっと下り道です。KhaldeとIpariという村を目指します。

Ipariを目指します

チュクンデリ・パス→Ipari

①チュクンデリ・パス ②Khalde村 🏁Ipari

ここで私のお腹に異変を感じました。下痢の気配です。3日の疲れ、ジャンクなものを普段より食べた、今朝の川渡りで体が冷えた、という総合的な疲労の蓄積でしょうか。こうなると、テント泊が億劫に感じられました。下り道の景色を味わいながらも、お尻の穴を締めて歩きました。

①チュクンデリ・パスを見終えたら南へ進む


下り終えると車の轍が通る絶壁の道を歩いてきます。この車道を歩いておけばIpariまでたどり着けます。

もしも本当に疲れたら、途中にKhaldeという村で休むこともできます。ちなみに、このKhalde村では、19世紀後半に村人がロシア帝国に抵抗し防衛に成功した歴史があります。

私は、天気がいいので、お腹がゆるいながらも、Ipari村でいく覚悟でした。Khaldeから平坦な谷沿いの道を2.8KM進むとIpari村が見えてきます。本当はテント泊縛りでトレッキングを終える予定でしたが、体調が優れないので、ゲストハウスに宿泊しました。このトレッキングの素晴らしい点は、いざ困った時に、最寄り村に基本的にゲストハウスがあることです。

Guest House Uchaというゲストハウスにお世話になりました。選んで理由は、村に入った瞬間にあったから。特に、ゲストハウスの価格を比較せず、
"у вас есть свободная комната(ウ・ヴァス・イェスチ・スヴァボドゥニャ・コムタナ / あなたは空いている部屋を持っていますか?)"という不自然なロシア語で聞いてみたら、「あるよ」と一つ返事で話が進みました。価格は朝夕食抜きで、一人当たり40GEL(2250円程度)でした。とにかく寝て休む時間だったので、食事はバックパックの中にあるもので済ませました。

外見はこんな感じ。

やはりベッドに敵うものなし。少なくともテント泊を二晩した私にとって、このベッドは最大級のご褒美でした。

シャワールーム内で薪が炊かれていました。シャワールーム全体が温まっていて感動。

DAY4 Ipari→Ushuguli

①Ipari ②Kala Cafe Restaurant ③Davberi村の橋 ④塀 ⑥舗装道路にぶつかる場所 🏁:ウシュグリ

Ipari→塀

❌を通るとお金が請求されるという噂あり!!

12時間寝たおかげか、下痢も疲労も吹っ飛びました。朝食で賑わいをみせるゲストハウスを足早に越えて、いよいよ「最果ての村」ウシュグリを目指しました。爽やかな朝でした。

この坂を降っていくとやがて舗装された公道にぶつかるので左(東側)に曲がります。しばらく歩くと、Kala Cafe Restaurant (別名Cafe Bar Kala)が見えてきます。ここで注意が必要。このカフェの脇を通ると近道なのですが、通行料が請求されるという噂があります。私はそれを避けるため、舗装された道路を進み、Davberiという村を経由する遠回りを選びました。Davberiの村の様子はこんなかんじ。

写真の右下にある橋を渡ります。この道を道なりに進んでいくとやがて塀が見えてきます。

「ここ通れるの?」と一瞬迷いますが、左側にある茶色のフェンスにトレッカー用のはしごがかかっています。

塀→ウシュグリ

この後は細い道を登っていきます。やがて見晴らしのいい道と森を抜ける道が交互に繰り返される道がしばらく続きます。

9月下旬に挑戦しましたが、高山帯のこの地域では、秋の様相が垣間見えました。

紅葉
きのこ
まつぼっくりが落ちている木漏れ日の気持ちいい道

この道に数カ所素敵なキャンプ場があります。また、この道を2カ所給水スポットがあります。この道も最後には下り道となり、舗装された道路にぶつかります。この公道沿いを進めばウシュグリです。

道路の向こうに見える中世の建物

この公道の行き着く先に最後の村、ウシュグリがあります。最初に見えてくる村はMurkmeliです。

この村を通り過ぎるといよいよゴールです。

ウシュグリ

ウシュグリ村が見えてきました。道の途中で出会ったトレッカーと祝福しながら、大コーカサス山脈最高峰の5193Mのシュカラ山(Mount Shkhara)に背中をあずたウシュグリの絶景を堪能しました。ウシュグリに到着して、少し余力があったので、上の写真中央にある石塔がある高台に行きました。世界遺産の本に出てきそうな写真のアングルで、中世から続く建築が残るウシュグリの村を一望できます。

まずは、飯!!飢餓状態の私は、Cafe Koshiで食事をしました。やはり最果ての村プライスは割高でしたが、4日間燃やしたカロリーを取り戻すために、肉入りのパンやら鶏肉サラダやらを食べました。

このカフェを選んだのには理由があります。このカフェの前から、地元の方を乗せてメスチアへ向かうマシュートゥカが出ているので、翌日それにしれっと乗れるかを確認しておきたかったからです。実際に、マシュートゥカに地元らしき人が乗っているのを見ました。一方で、タクシー運転手が何人かいたので、マシュートゥカの価格交渉をするのは避けました。#1-2でもお伝えしたウシュグリの"タクシーマフィア"と呼ばれる人々とのトラブルを避けるためです。

一旦メスチアへ戻る問題は保留にして、今晩のゲストハウス Guesthouse Baiaへ向かいました。とにかく価格が安かったので、選びました。その道すがら、ズグディディ-メスチア間のマシュートゥカで知り合ったポーランド人の医者の卵達に再開しました。彼らも翌日にメスチアに帰る予定なので、自然ながらで「タクシーを一緒にシェアするか」という流れになりました。お互いのゲストハウスの人に相談することを約束し、解散。

Guesthouse Baiaへ到着。非常にきれいで大きなベッドがあるゲストハウスでした。一旦昼寝しました。その後、オーナーに車を出してもらえるか交渉しました。最初は60GELを提示してきましたが、私含めて乗客4人だったら、40GELにならないか交渉し、快くOKをいただきました。

家族運営のゲストハウスで、おばあちゃんもオーナーもフレンドリーでした。代々アーティストを輩出しているとのことでした。

コモンルームに飾られたデッサン

その日の夕方、オーナーとその兄弟とビールを飲み交わしました。スヴァネティ地方の若者離れ、スヴァン語者の減少、過度な観光化、スヴァン語の挨拶表現など、さまざまなことを話しました。話の最後に「次来た時には、無料で泊めてやるから」と言い、今では思いだないですが、スヴァン語で「乾杯」と祝盃のコップを掲げました。


DAY5 Ushuguli→Mestia

15時にメスチアへ出発する約束をオーナーとしました。15時までゲストハウスを好きに使っていいと親切に提案してくれました。ゲストハウスのロケーションが、シュカラ山のヴューポイントやLamaria教会に近かったので、散策してきました。バックパックを背負わず歩くのが久しぶりだったので、空を飛んでいるかのうような、軽やかな自身の足取りを覚えています。10分も歩かないうちに、シュカラ山のヴューポイントに辿り着きました。

あの山を登る強者達もいるのかな、と少し呆気にとらてボーッとこの風景を眺めていました。犬が足元まで来てくれました。

教会では集まりがあったようで、質素な服を身にまとった人々が神に祈りを捧げていました。そして、また来る冬支度をする人もいました。草を大鎌で刈って、冬の家畜の餌を備蓄している村の人々がいました。

Ushuguli→Mestia

15:00の出発ギリギリまで休んでいました。私のゲストハウスにて、ポーランド人と合流して、時間通りに出発。この帰路で印象的に覚えていることが2つあります。

1つめは、「最果ての村」に続く立派な舗装道路が建設されていたことでした。私が辿ったトレッキングコースも廃れてしまはないか、ウシュグリやスヴァネティ地方が持つ建物や伝統が失われてしなわないか、といったことを考えていました。とはいっても、この道路建設には、私のような観光客の増加も関係しているはずです。だから偉そうなことは言えない。

二つめに驚いたのは、ポーランド人の医大生が脳神経外科を志しており、認知症を防ぐ方法でした。彼曰く、特殊なことはする必要がないそうです。とにかく「質の高い睡眠を8時間とること(つまりベッドに起床時間の9時間前に床に入り、寝る体勢に入ること)」、「ストレスをかからない生活をおくること」、「運動すること」、「ジャンクフードを食べないこと」を気をつけるしかないそうです。医大生が多くの時間を費やして得た、認知症予防は私のような一般人ですら知っていることでしてが、上記の4つを続けるのは意外と現代人にとって難しいんですよ、と諭すように言われました。

@Mestia

メスチアに到着したら、翌日のバトゥミ行きのマシュートゥカ行きのチケットを購入しました。当日券が売り切れる可能性があるので、早めに予約しておきました。バトゥミからは、いよいよトルコへ入ります。

その後は、Eka's guest houseにチェックインしました。非常に優しいオーナーで、電気ストーブを持ってきていただいたり、スヴァネティ塩と果物をいただいたり、最高のホスピタリティを提供していただきました。

スヴァネティ塩

久しぶりに知っている食べ物が食べたくなり、ひき肉、卵、米を買って、ゲストハウスのキッチンでそぼろ飯を作りました。信じられないほど美味しい!!疲労は最高のスパイスですね。


3作にわたってお付き合いいただきありがとうございました。みなさんが無事に帰ってくることを祈ります。ivasu khari!!

関連記事の紹介

本編のメスチア-ウシュグリトレッキングコース以外にも魅力的に登山/ハイキングコースが無数に存在します。ジョージアへ行くのであれば、私が今まで書いたジョージアの記事で詳しく紹介してあるので、是非参考にしてみてください。



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