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『薔薇』(2)  レジェンド探偵の調査ファイル,内定調査,聞き込み(連載)

『現役探偵の調査ファイル 七人の奇妙な依頼人』 福田政史:著
【第六話】薔薇

 これに先立つ半年ほど前、私は埼玉県T市にあるF建設工業を訪れていた。 同社に出入りするようになったのは、その三、四年前からで、前述した浅田弁護士の紹介で、ある調査をしたことがキッカケだった。F建設工業も私の探偵としての手腕を認めてくれたらしく、その後何度も業務関係の調査を発注してもらい、ついには年間契約をしてもらうまでになっていた。F建設工業は株式上場も視野に入れるほど業績が好調で、一部業(法人調査専門の興信所)出身の私の目から見ても、経営基盤がしっかりして、業績もすこぶる良かった。
 調査の依頼は同社の岩井社長から直接ということが多かったのだが、岩井氏は経営手腕に優れているばかりでなく、度量が大きく、人としての大きさや「男の勢い」のようなものが感じられる人だった。この岩井社長には仕事上の付き合いばかりでなく、酒席やゴルフもよくご一緒し、社長の仲間も沢山紹介してもらい、私の人脈もずいぶんと広がった。ちなみに、彼は私より四歳ほど年下だったが、ある程度の年をとると、多少の年齢差は関係なくなるのだろう。岩井社長と話していると、私は自分のほうが年下であるように思うことさえあった。
 この日は、岩井社長が自宅用に購入した不動産物件に関する相談だった。
「実は、杉並区Z待ちにある戸建ての競売物件が出ましてね。うちの会社も新宿に支店も出したし、そろそろ私の住居も都内に移そうと思って買ったんです」
 ところが、その建物には競売落札後も住人が居座っていると言う。私が、
「住んでいる人に出て行ってもらうのが大変でしょう」
 と聞くと、ちょっと困ったように「そうなんですよ」と言って、
「でも、家を妻に見せたところ、大変気に入りましてね。是非、そこに住みたいと言うのです。ところが、住人がどうにも出ていく気配がないんですよ。最終的には法的手段で立ち退いてもらうつもりですが、まずそちらの事務所で居住者を調査していただけないかなと思いまして——」
 私の事務所でも、これより五、六年ほど前までのバブル時代、この手の調査を数多く手掛けたことがあった。依頼人のほとんどは地上げを専門とする不動産会社だった。なかには乱暴な会社もあり、立ち退かせるため玄関先に座り込むなどは序の口で、建物にダンプカーを突っ込ませたり、家に火をつけたりするケースさえあった。これらの業者は、地上げした物件を大手企業に売って濡れ手に粟の利益を得ていたのだが、その地上げ資金は銀行や大手デベロッパーから出ていた。
 私はバブル真っ盛りのころ、マスコミから“地上げの帝王”などと叩かれていたM興業の社長を訪ねたことがあった。土地転がしで儲けた金で競走馬を何頭も持ち、愛人も二人や三人ではないと噂されていた社長だが、社長室にある大型金庫を指差して、
「この中にある(土地の)権利書はオレのものじゃないんだよ。全部、D銀行とO社のものさ」
 と、しみじみ言ったことがある。
 土地転がし屋などと陰口を叩かれ、時代の悪者になっていたM興業社長だが、その裏で大手銀行や建設デベロッパーが糸を引いていたというわけである。バブルのころは景気が良かったが、人も企業もカネの亡者になっていたのだろう。
 話は横道に逸れてしまったが、岩井社長が競売で落とした物件は、敷地八十坪余で三階建ての家屋だった。競売の最低価格は六千五百万円で、岩井社長はそれに一千万円上乗せした七千五百万円の札を入れて落札したという。
 私はこの調査を引き受け、帰りに現地を下見して会社に戻ったのだが、調査員に指示しながらちょっと憂鬱になっていた。
 実は、私もその前年に、岩井社長が今回購入した家とほぼ同額で、同じ杉並区に建売住宅を購入していた。ところが、その日見た岩井社長の買った家は、敷地も我が家の三倍近くあり、立地もすこぶる良かったのである。一方通行の狭い道に面した鶏小屋のような我が家とは比べようのない立派な邸宅だった。
 妻にこの話をすると、
「仕方ないわよ。あちらはプロ中のプロで、不動産に対する見方や売り買いのタイミングもよくご承知なんだもの。あなたはこの家を買う時、どれだけ考えたの?」 
 と笑っている。
 確かに、私のマイホームの買い方は妻に指摘されても仕方がないものだった。
 ある日曜日の朝、私はパンをかじりながら、突然、妻に「オイ、家を買いに行こう」と宣言した。
「いまから? 何を言ってるのよ」
 と、本気にしない妻を無理やり車に乗せると、エンジンをかけた。
「家を買うって——どこかに当てがあるの?」
 狐につままれたような顔をする妻に、
「当てはない。だけど、走っていればどっかに広告が出てるだろう」
 こう言って、練馬区のマンションを出て車を走らせた。そして、JR阿佐ヶ谷駅近くの電柱に貼ってあった物件案内のビラを見て、そのまま不動産業者に直行し、若いセールスマンが案内した二件目の家で決めてしまったのだ。早く言えば行き当たりばったり。私が万事こんな調子で山のように失敗しているのだが、この性格はなかなか変えられない。だが、”高い鶏小屋”だってそうそう悪い事ばかりではなかった。近所の人がいい人ばかりで、いまの家に引っ越してから思いがけず大勢の友人ができた。マンション暮らしよりご近所の暖かい交友関係の輪が広がったのは確かなのだから。

(3)につづく

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