スクリーンショット_2019-11-28_20

致命傷の中でチャンスを掴むための考え方 @ DesignShip 望月重太郎さんのスピーチを聴いて感じた「鬱」という致命傷から得た私のチャンス。

11/23にデザインシップというイベントに参加してきました。

数々の実績をお持ちのデザイナーさんからお話を聞くことができて、なんて素晴らしい企画なんだと感じたのですが、その中でも私自身が特に感銘を受けたのが1日目最後の登壇者、望月重太郎さんのスピーチでした。

「失敗こそクリエイション」

と題された講演は今の自分の心境に重なる部分が数多くあり、今何かしら壁にぶち当たっている人にも何か感じるものがあるのではないかと思い、具体的な内容というより個人的な感想を中心にシェアしたいと思います。

私は今独立し代表という立場にありますが、何が凄いという訳でもありません。どちらかというと社会人としては頼りない部類に位置する人材かもしれません。少し前まで体調を崩して会社を退職し、無職だった時代もありました。でも、色々な気付きの中で今こうして、社会復帰できたことも確かです。

そんな自分の過去と今回拝聴したスピーチがやけに重なって私の胸を打ったので、今同じ岐路に立っている誰かのお役に立てればと、スピーチの中で感じた事を赤裸々に綴らせていただこうと思います。

まずはご本人がまとめてくださっている記事を一読してもらうのが早いと思うので、まずはこちらをご覧いただければと思います。

体験デザインのR&D - 独立した立場では通用しない「ある事」

最初におっしゃっていたのが、すでに世の中にある技術を応用し新しい体験を生み出すR&D(研究開発)をすること。

依頼主からの依頼を受けた際、確立された方法は実績があるので説得力があるけど、新たな技術を取り入れる際、お金を払う側は失敗するリスクが読めないため、やってみたくても二の足を踏んでしまう。ただ、目で見て確認できる形にすることで、納得感や実際の改善などより具体的に話すことが出来る。結果失敗するリスクも下がるし企画も通りやすくなる。

アイディアを可視化しながら新しいビジネスへとつなげる = プロトタイピング(試作品をいっぱい作ること)で、小さな失敗を先に経験してしまう。

この考え方は自分の中にも芽生えていたものですが、うまく言語化できていなかったのでとても腹落ちしました。私自身、サラリーマンだった頃教えていただいた言葉の中に「巧遅拙速(こうちせっそく)」というものがあり、「拙くてもいいからとにかく早く出せ。失敗しても良いから前に進め。」というようなニュアンスで教わったのですが、まさしくこれに通ずるところがあるなと。

ただ独立してから、私はこの意味を大きく取り違えていたことに気づきました。

社員だった頃は、拙くても早めに出せば指摘してくれる人がいるし教わることも出来た環境だったんです。まーこれでいいだろう。と提出したものに対し怒ってくれる人がいる。これは非常に恵まれています。すべての責任を自分で取る時に、拙さを棚に上げてスピードだけで勝負するとどうなるか。次からその仕事はもらえなくなるということです。

何がいけなかったかというと、クオリティの良し悪しを相手に委ねていた。というところ。依頼者だって分からないからプロに頼んでいるのに、プロ側が「こんな感じにしたんですが、違ったら指摘してくださいね!」なんて自分の自己満足で制作した成果物を丸投げして判断を待っているような状態。頼んだ側からすれば「こいつはこの程度」で終了です。

試作品を作るサイクルはもちろん早いに越したことはないです。しかし、早ければ良いものではなく、創造する上でのロジック、そしてクオリティに対しての審美眼を常に自分の軸に据えておく必要がある。クリエイティブに責任を持つことです。その上でプロトタイピングする。功を焦って、研究も開発もせず提出だけしてた胸にグッと突き刺さりました。

バックキャスティング - 得たい未来を引き寄せる考え方。

未来は自分から歩み寄ってこない。自らの歩みにより、触れた接点が未来へとつながっていく。そのためにプロトタイピングを駆使して、引き寄せたい未来に向けて仮説を立て、現象化していく「バックキャスティング」という表現を聴いた時もさーっ霧が晴れるような感覚でした。

言葉のセンスが良いですよね。勿論やっていなかったわけではないですし、色々なビジネス書にも似たようなことは書かれていますが、いまいち宗教臭い表現が含まれていたりしてスッと飲み込めてなかったので笑。

目標を決めて行動しよう。言うは易しですが、私は色々と試しながら答えのないものに挑戦することは勇気も胆力も必要だという先入観がありました。多分新しいもの、価値のあるものを生み出さなければならない。周りに認められなければならない。そうしなければ意味はない。失敗が怖い。など自らハードルを高くしていたフシがあったと思います。

新しいと思うモノも、結局何かとなにかの組み合わせでしか無い。すでにあるものも、使い方を変ええればそこに新たな発見がある。色々と試しながら新しい遊びを見つける。この”遊び”という視点を持つことがとても難しく「仕事」「収入」「世間体」など気になっていたものが沢山あっていつも難しく考えすぎてしまうんですが、もっとシンプルに、カジュアルに失敗を繰り返せるように無駄なプライドは捨ててしまえ。と改めて思いました。

「こいつはこの程度」と思われていることも、”今は”であって、目指している未来へ向かうための一つのステップとして考えられるようにならば怖くなくなります。今の自分も含めて自分なんです。

もう一つ言いたいのは、甘えられる人がいる内は甘えておきましょう。ということ。助けてくれる人がいるのは幸せなことです。最初はわからなくて当たり前なので、聞けるうちに聞く。多少迷惑をかけるくらいの方が可愛がってもらえるものです。

失敗を予測する - この道しかない。という思い込みからの脱却。

ただ破産しちゃうとか、犯罪犯しちゃうとか、自殺しちゃうとか、取り返しのつかない失敗も中にはあるわけで、闇雲に新しいことを始めるだけではなりたい自分にはなれません。

これは前職時代の私なのですが、新卒の時「大手企業に入れた!これで安泰だ!」なんて思っていた頃、5年後鬱になって退職する未来なんて全く見えていませんでした。その会社に勤め続けることでしか生き残る術がない。という思い込みで随分と精神をすり減らしました。ここでも収入やステータスが絡まって余計に動けず、プライドも高かったので誰にも相談できずのがんじがらめ。

今思うと、視野が狭い。としか言いようがありません。会社だって沢山あるし、自分で作ったって良い。勤めなくても生活出来る方法だってあるのに、なぜか外の世界を見たり、転職することを悪だと考えてしがみついていました。結果的に鬱になったことは、強制的に違う道があることを知る機会になったので良しとしていますが、あの頃もっと選択肢を増やせていたならもう少し違う生き方もあったでしょう。

スライドの中では、闇雲に進むと、ドボンとやばい失敗の沼にハマる。その先に進めない。そうではなく、起こりうるやばい失敗の可能性を考えて、そこから今を見返す。そうすることで幾つかの仮説が生まれ、今ではない違う未来を想像することが出来る。とおっしゃています。

その通りだと思いました。デザインだけでなく、人生でも同じことが言えます。今ある道を信じ抜くことも大事なことだとは思いますが、ふと立ち止まって考える機会を設けることも大切です。私のように、盲目的に目の前の仕事を収入源としてこなす毎日が、果たしてあなたにとって本当に引き寄せたい未来なのか。体を壊してしまうほど、今やっていることに価値があるのか。今やっていることに価値を見出すこと。今はまだ知らない未知に価値を見出すこと。考える時間を作れば自ずと見えてくると思います。

前職ではそれが出来ませんでした。もし今似たような境遇に立っている方がいるならば、今ある環境が全てではない。と自信を持って言えます。

失敗が起きる4つの”足りない” - 全部足りない今の自分がするべきこと。

・時間が足りない
・リソースが足りない
・スキルが足りない
・準備が足りない

仮説をたてる際に、この4つの足りないを意識すると、仮に失敗しても良い失敗に変わる。ということ。言い換えればそれは失敗ではなく、この方法ではたどり着けない。と分かった事が成功とも言えます。1つ足りなければ、それを埋められるかどうかの判断基準となりますし、3つ足りなければ今回は辞めよう。と大きな失敗をしなくても済む判断ができます。

そしてこれらは必ず解決できる道があり、一つの失敗から学んだノウハウを次に繋げることで、一歩ずつ得たい未来へ近付いていける。

失敗のバックキャスティング

とおっしゃっていました。これも素敵な考え方。
失敗するのは当たり前なんだから、いちいち目の前の事象に一喜一憂するのではなく、目標に向かって草木をかき分けて行くうちの、小さな引っかき傷程度に考えて前を向いて歩いていく。上記の様な足りないものは、歩いている内に拾えることもあるでしょう。現に私は、前職にしがみついていた頃より独立してからの方が多くの物に恵まれました。

1つは時間。
始まりは病気という「致命傷」でしたが、それでも辞めるという大きな一歩を踏み出したことにより、自分の未来について考える時間が圧倒的に増えました。時折立ち直れないほどの不安が襲うこともありましたが、どうしても自分を諦めたくない。そんな気持ちが沸々と湧いて来たのを覚えています。

2つ目のリソースもそうです。
時間が出来たことによって、色々な人と会う機会を作れるようになりました。その中でも大きな出会いだったのが、ある社長さんとの出会い。この方に色々とビジネスをする上での精神やテクニックなどを教わり、自ら会社を経営する所まで来ることが出来ました。その他にも、同じ志を持った起業家の友人や、今まで知り得なかったお金の知識なども徐々に溜まっていき、ある程度のことは出来る資源を蓄えられています。

3つ目のスキルは、おそらく満足するレベルでは「足りる」ということはありませんが、自分が本当に伸ばしたいスキルを伸ばせているか。という意味では断然独立してからの方が成長しています。
勿論まだまだ社会的に見れば経験不足ですが、意欲的に自分の力を試せる環境を作れている実感は感じています。それも自分の手で作っている訳ですから。

最後の準備。これは今やっていることが、自分の手繰り寄せたい未来掴むための準備につながっていると信じています。溢れたタスクは仲間と一緒に解決し、わからないことがあっても聞ける人がいる。そんな環境の中で自分を成長させ、きたる未来の為に着々を力を溜めている。勿論失敗もするでしょうが、それも糧になるよう志を持って取り組んでいます。

基準の在り処

最後に望月さんは、持つべき基準について話してくれました。

・他人基準から自分基準へ
ー自分の道は、自分の創造性で作り上げていく。その最終的な視点は、誰かからもたらされるものではない。
・過去基準から未来基準
ーこれまでを基準にするのではなく、まだ見ぬこれからを基準に起き、手を伸ばしていく。
・固定チームから異能チーム
ー同じチームで取り組むのではなく、出来るだけ異能者と混ざり合い向き合い続ける。


振り返れば、鬱に陥っていた頃の自分は、全て前者の考え方だったなと改めて思いました。

他人基準というのは、自分の存在価値・評価・作ったもののクオリティに至るまで全て他人の目を通してみた基準ベースにしてしまっていること。つまり人目が気になって仕方がない状態だと解釈しています。今も完全に捨てきれている訳ではないですが、自分の責任と意識することで、少しずつ自分が信じる基準でアウトプットしていく事が出来ている。そんな気がしています。

過去基準になってしまっている人は、今更何が変わる訳でもないのに、起こったことに対してとやかく論じてしまい、嘆き、苦しみ、批判する。そして行動はしない。ということではないかと思います。鬱になった当初、正直に言って私も会社を呪い、特定の人を恨んでいた時期もありました。家に引きこもっては、過ぎた事をいつまでも脳内で反芻して絶望したりしたこともあります。それでも人と会い行動を起こす事によって、少しずつですが、心境が変わり、環境が変わりました。それは、こうなりたいと未来を基準に起き、小さくても手を伸ばし始めたからだと思います。

固定チームから異能チーム。いままで会社でも部署の方々以外とはあまり接点を持たなかった(自ら行こうとはしなかった)のですが、世の中には本当に様々な人がいます。ほんの一握りの人としかまだ出会えてはいませんが、色々な考えを持ち、何かに取り組んでいる素晴らしい人達がこんなにもいるんだ。ということに気づきました。何かと「人見知り」を言い訳に使っていましたが、本当は今の自分をさらけ出すのが恥ずかしいだけで、お高くとまってボロを出さないように必死になっていたんです。でも、いつまでも自分の世界だけに引きこもっていたって、何も変わらないじゃないですか。それなら勇気を持って、いろんな方の話を聴いて、知って、世界を広げた方が楽しいに決まってる。すんなり行かないとは思います。それでも向き合い続けることで、今とは違った何かを見つけ出すことが出来る。可能性は生まれるんです。

ご本人が伝えようとした趣旨とは多少ずれているとは思いますが、率直に感じた感想をまとめさせていただきました。とても勇気のもらえるスピーチだと感じております。

私のような”失敗”をした方も、何かしら行動を起こしている限り、誰にでも今とは違った未来を引き寄せることが出来ると思います。その方法が分からない。知るのが怖い。きっとそう感じることはあるもしょう。でも前向きに失敗を重ねることで、思わぬチャンスが得られることもあります。

どうか致命傷だと感じるような事が起きたとしても、自分を諦めず未来に手を伸ばしていただければと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?