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無理をしない努力が、本当の努力なのかもしれない。

前回、悩みをばーっと書き出してみた時に、「無理をして報われた」と自分で言葉にしてみて、すごく衝撃を受けた。

「努力をして報われた」との差に。無理をして何かを得ても全然嬉しくないのではないのではいか…?!と。

私は努力ではなく、無理をしていた。

努力は、自分の力を注いで鍛え上げていくことだと私は思ってる。努力しても報われないと言う人もいるけど、私は努力する行為そのものがカッコイイし、楽しむべきものだと思ってた。自己が成長していけるのも、とても私にとって喜びの一つだ。

だが、私はいつしか無理をしていた。無理をするということは、なんとか余ってるギリギリの力を捻り出すことだ。だからこそ、「自分の限界を超えた先に得られるものがあるんだ!もう一歩だ!」と錯覚する。だがそれは、幻想だ。もはや、実際の自分は出すこと、排出しか出来てないのだ。そこに自己の成長はない。

私は無理をしている中で、この錯覚を自分に言い聞かせている一方で、どこかで気づいていたような気がする。

積み上げている感覚が全然無かったのだ。無理をしてやると、やったことは闇の中に放り込まれていってる感覚に陥ってた。石を箱に仕舞うのではなく、どこか自分でもよくわからないところに石を投げているような。だから、探しようもない。

身にならない努力、とでも言うのかもしれない。

無理をしないということ。私は勘違いをしていた。

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