「症状には、必ず原因がある」

福山雅治が演じる、ドラマ「ガリレオ」の湯川学が語ったセリフ
「現象には必ず理由がある」を彷彿させるものがある。

ードイツの医師の診察を受けた時にドクターが語った言葉だ。

誤解の無いように一応言っておきたい。日本の医療が決して劣っている、と言っているわけではない。
それでも医療に関して、ドイツは進んでいるなぁ、と心の底から思ったことがある。

日本の耳鼻科での現実


ドイツで、耳鼻科の手術を受けることになった。
鼻呼吸がしずらくて、ついには息をするのも苦しい状態だ。何が原因でそうなっているのか、どうしたら治るのか……それを期待して日本の耳鼻科に何件も通った。

「アレルギーですね」

とか

「蓄膿症ですね」

と言われて終わる始末だ。そして、薬が処方されるわけでもなかった。

「息ができなくて、苦しいんです……」
と訴えたところ、医師の返答は、
「息ができていなかったら、今生きていないでしょ。息はできている」

無愛想に揚げ足を取られて終わりだった。
あまりにも呼吸が苦しくて、「もし、鼻の中の酸素や呼吸の状態を計測できる装置があったら、計ってもらえれば、どれだけ苦しいか数値化されて分かるのに……」と常々思っていた。

患者は医者に症状を伝える。
医者は、聞き取った症状から病気の可能性を考え、原因を突き止め治療する。
医療とは、そういうものだと思い込んでいた。

こんなに、息が出来ない状態なのに、それを客観的に計ることもなく「息はできてる」の一言で終わってしまう日本の医療。
ーこれが世界のスタンダードなんだと思っていた。

ドイツに来て、ますます鼻の通りが悪くなり、、、ある時「苦しすぎる、息ができない、眠ることもできない」時が訪れて、通訳付きで診察を受けられる耳鼻科を予約した。


ドイツの耳鼻科診察で、見ていた世界が一変する


耳鼻科(クリニック)の施設が最先端だった。
呼吸に関連する、あらゆる検査をしてくれた。アレルギーテスト(50種くらい)、呼吸に含まれる酸素濃度のテスト、鼻の骨が曲がっていないか(呼吸の通り道を塞いでいないかどうかを調べるため)の頭部CT、そして蓄膿症でないかを確かめるために、超音波検査……

耳鼻科のクリニックってこんなに検査できるんだ
素直に驚いた。初めて、私の訴えがまともに聞いてもらえて、日本のような対症療法ではなく、原因を調べるための徹底した検査をしてもらえたのだ。

アレルギーテストは、「30種類くらいは、皮膚に直に液体を垂らして反応を見、残りは血液検査で30分後に分かる」と言われた。

アレルギーテストが終わり、次は酸素濃度のテスト。
指示通り息を吐いて、薬剤によって息の中に含まれている酸素を調べる。
数値がグラフ化されて、紙に印字された。

頭部CTは、鼻の骨が呼吸の通り道を塞いでいないか、を調べるためで、頭蓋骨を含む、顔面が3Dで画面に映し出される。
「医療機器すごい……進んでる。かっこいい……」
そんなことを思う余裕すら出てきた。先生がとても親切で愛想が良かった。
初めて対面した時には、笑顔で握手。
「い、医者が笑顔だ……」
どれだけ、日本の医者を信用していなかったのか、この時になって思い知った。

検査の結果、やはり呼吸に含まれる酸素が標準を下回っていて、ドクターは
「これは、息が苦しかったでしょう?」
と言ってくれた。初めて、自分の苦しみをわかってくれる医者に出会ったのだ。

さらに、こう続けた。
「鼻の骨が、ちょっと曲がっていて、これが呼吸の通り道を塞いでいますね。
それに、風邪とかアレルギーを長い間繰り返すうちに、粘膜が腫れて慢性化しています。だから、鼻の中の湿度の調整ができずに、呼吸しずらくなっているんですよ」

こんなに丁寧に、原因を探ってくれている。
感動しかなかった。

そして、感動してボーっとした顔を見せると
症状には、必ず原因があります。それを見つけ出して治さないと根本的な解決にはなりません

「おーっ(心の中で拍手)、この国では医療=根本的に治す医療なんだぁ……」
またしても感動しながらボーっとしてしまった。

そして、その根本原因を治すために、粘膜の腫れを引かせる日帰りのレーザー治療を受けた。しかし、これではまだ根本的な解決には至っていない。

ーおそらく、鼻中隔彎曲症(鼻の骨が曲がっていること)ということなのだろう。手術を受ければ、呼吸は改善する。

手術を受けることにした。


手術センターにかかりつけ医がやってくる

クリニックでは手術ができないらしく、手術センターというところで執刀すると言われた。
手術センターは、麻酔科医が常駐しており、麻酔科医と事前に面談をした上で、同意書にサインをし、手術当日にかかりつけ医が、手術の道具を持ってやって来ることになっている。

ドクターは荷物少なめでやってきて、片手に持っていたのは、まるで大工道具を収納したかのような工具セットだけ。

手術だけを扱っているセンターなんだ、とわかった。
クリニックで手術できない症例は、ここに予約を入れて麻酔科医が立ち会って
全身麻酔の手術をし、執刀はかかりつけのドクター。
「なんと合理的な……」

そして、全身麻酔から醒め自宅に戻った。
「日帰りできるんだ〜。すごい」
喜んだのもつかの間。
家に帰って、ネットで調べてみると……この類の手術は日本では、入院が必要で人によっては3〜7日間必要と書いてあった。。。

「えっ?大丈夫かな、私。う、うん……入院したらお金かかるし、色々身の回りが大変だから、きっと患者のQOLを考えて入院させないんだ」
と、ドイツの合理性を信じ切って、ポジティブに考えていた。

が、しかし……その日の夜中に入院できなかったことを後悔することになった。

「痛い……痛くて寝れない。鼻からのどに血が流れ込んでとまらない。
血の唾液をのんでいるみたい。きっと、整形手術した人はこの苦しみを味わったに違いない……早く夜が明けて……お願い……」
夜中に顔面蒼白になりながら、痛みと格闘した。痛み止めは効いてくれない。

私の鼻には、骨をまっすぐにするためのシリコンが入れられていた。3日後にとってもらえるそうだが、それまでこの痛みに耐えられるのか……
いや、耐えるしかない。

そして、3日後にシリコンを取ってもらい、1週間後には抜糸してもらえた。
心なしか、鼻の立ち上がりの角度が前よりも急になっている。今まで典型的な日本人の鼻の形だったのが、鼻だけドイツ人になった。
ちょっと嬉しい。(笑)

入院すると、医療費も高額になり身体的・感情的負担が大きい。
それを考えると、入院しない方が患者にとってベストだ。
そして、クリニックで手術できない場合は共有スペースとして使える手術センターに予約を入れて、そこで手術をする。

無駄がない。合理性に富んでいる。
一切の無駄のない医療制度……(そうか、無駄というのは心の余白を埋めるため、安心感なのかも)

合理性を追求した結果……患者が痛みに耐えられないかもしれない……とかそういう人間的な感情の部分は排除されている。あくまで、病気か病気ではないか、異常か、正常か……を判断するのが医療。だからこそ、根本原因を見つけるところにまで至ることができる。
なるほど、国が違うとこんなに考え方が違うのか。
日本の医療は、手厚い。
だから、その手厚さが患者に心地よさを生み出して、ある種の癖になり、必要の無いちょっとしたことで、すぐに医療機関を受診して、国の医療費が逼迫している……そういう構図なのかも。
と思った。

ドイツの医療ーとにかく合理的。何かあった時は、真っ先にホームドクターを受診する。安心で合理的。合理的なのも悪いことじゃない。無駄を省いて、患者と医者それぞれの負担を軽くすることで、より必要な人に医療が届く。
そのためには、患者も自立していないといけない……

ドイツで出会う高齢者ー日本人よりも礼儀正しくて、親切な人によく出会った。
全員が全員そうとは限らないけど、日本でのクレーマーは、高齢者が比較的多い。高齢者に良い印象が持てないのがとても残念だ。
渡航前にしていた仕事では、お客さんである高齢者から怒鳴られたり、道理の通らない無茶なことを通すように強く言われたりしていた。
自立とは、医療のことだけではない。
心のあり方の問題なのかもしれない。
最近よく思う。自立している人は、自分の幸せを人や環境に委ねない。まず自分で幸せになろうとする。長い人生、難しい時もある。
若い時から、社会や人に過度に依存していると、自分の価値を社会や人によって決められることに慣れてしまい、高齢になると、自分の存在価値を求めて、他人に威張り散らし、言うことを聞いてもらうことでしか、自分の価値を感じられない人になってしまうかもしれない。

合理性が成り立つためには、社会の一人一人に自立が求められ、
依存で成り立っている社会では、高齢になるほど人への依存度が増して、自分が苦しくなるかもしれない。

そんな風に思えて仕方なかった。
ドイツで手術を受けたことで、私の鼻はドイツ人仕様になりおかげで(?)見える景色もドイツ風になったのかもしれない。

ドイツの医療が気に入っている。




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