#演劇ビギナー ノート
夢を追う人に寄り添う生き方
「あの人の夢を叶える事」っていう夢があってもいいな、と最近強く感じています。
俺を含めて皆が「これだ!」といった明確な夢を持っているわけではないです。
ただ、自分自身に夢がなくても「○○したいんだ!」っていう強い夢を持つ人が近くにいたら、「その夢を叶える事」が夢になるのかもしれない、そう感じます。
「一緒に夢を叶えること」が夢
あの人の夢が叶うと自分もうれしい、そう思える相手って多くはないの
非公開のやりとりは公開しない方がいい、後悔しないためにも
12/27追記
note記事が削除されたようですが、その事については何のアナウンスもありません。
(記事のアーカイブを見る)
記事を削除しても
私信を晒したという事実は残ったままです。
後出しのnote投稿で
削除の必要はない
と書いていたのですが、どういうことなんでしょうかね。
また、「記事を書きました」というツイートは残っていますので
https://twitter.com/hirokik
安心と安全が確保されない劇団は信用を失う #赤目四十八滝心中未遂 観劇
静岡市のやどりぎ座で観劇をしてきました。
https://twitter.com/design_sho/status/1332652587049312256
会場のやどりぎ座はコロナ対策面は細かくされていることが事前に案内されていました。
そのため、感染症対策という面では安心して観る事ができました。
https://twitter.com/yadorigiza_2018
https://twi
問題の本質をとらえて向き合うことの重要性
いじめや差別が無くならないのは影でコソコソ差別発言をしたり、それをよしとする風潮を持つコミュニティが存在するからではないでしょうか?
普段見えないようにしていたことや、問題の本質と向き合うことなく蓋をして来たことが、昨今の社会事情で可視化されてきました。
問題の本質はどこにあるのか、それをしっかりと見つめ直すいい機会なのではないでしょうか。
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自己満足
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影口平気
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他者はコントロールできない
他者や状況はコントロールできない。
他者はわたしではないのだから、コントロールは不可。
それでもコントロールしようとしているなら、それはマインド・コントロールではないでしょうか。
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他者や状況のコントロールはできず、なるようにしかならなりません。
試練は乗り越えられるからこそ、それを試練だと感じるのです。
ないものに注視するのではなく、自分には何があり、何ができるのかを把握しておく必要
学校からいじがなくならない理由、世界から差別がなくならない理由
学校からいじがなくならない理由、世界から差別がなくならない理由
それは一体何でしょうか?
その一つがここにあるのかもしれません。
第三者にこのように伝わっている、第三者がこのような印象を持つことも当然に想定していなければならないのですが、全く想定していないことが実証されました。
今回はこの記事で触れた差別意識について、もう少し深く掘り下げて考えてみることにします。
日頃から「お客さんに対して
人は元来多様な生き物である
人はもともと多様なのですが、それに気づいていない人が多かった。
今は多様であることに多くの人が気づき、多様正当言う言葉を見聞きするようになりました。
しかし未だに気づかずにいる人もいます。
”人の多様性”に近い演劇に携わる人であれば、早く気づくべきですが、残念ながらそのことすら気づかず差別発言をし、自分と異とするもの、意に反するもの沿わないものを排除しようとしている人がいます。
日頃から差別思想
時代の変化に合わせて演劇も変わっていく
“演劇”は長い時間をかけて先人たちが作り上げてきました。
戦後間もなく“劇団”という形に落とし込んでさらに60年代70年代には“小劇場”という“運動”へと昇華し今の演劇や劇団の在り方を作ってきてくれました。
それならば、先人たちの功績を否定ではなく今にあった形へアップデートする事が出来るんじゃないかと考えています。
今回はそのアップデートについてです。
他の分野の方法や情報を、演劇公演にも展開
劇団に必要なのは信仰?信用?
劇団やグループ、団体内の人々に必要なのが実績に対する評価の信用であり、あるといいのが未来を信じる信頼ではないでしょうか。
信仰とは 信じて疑わないこと
そう、神の存在を疑ったら宗教は成立しませんよね?
ただ「信仰」に重きを置くのなら、そのコミュニティは宗教です。
宗教ではないのなら、信仰ではなく「信用」に重きを置くといいかもしれませんね。
何も疑わないで信仰するのならばそれは宗教です。
信仰