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夏の思い出 2023@野尻湖

母校(大学)のゼミ合宿に参加した。合宿が行われた場所は、僕が大学2年で初めて参加した時からずっと変っていない。

野尻湖のほとりにある、YMCAのキャンプ場である。

メインホール(1980年施工)

僕にとっては、初参加(2003年)から20年目の節目を迎えたキャンプであった。

少しだけ、初参加の時の記憶を呼び起こしたいながら、冒頭に記した「抽象度の高い議論」にも触れながら、書いていきたい。

メインホールの脇からキャンプ場に入る

【2003年秋】
当時の僕は19歳。キャンプには新宿から高速バスで長野に向かい、しなの鉄道で古間駅へ。今も変わらず、無人駅。

古間駅

駅に到着すると、駐在さんがマイクロバスで学生を迎えにきてくれていた。記憶が正しければ、「まーや」が送迎をしてくれた。

「キッチン」にもその時に初めて出会ったように思う。世代も近く気さくにいろいろな話ができて、初めてながらに昔からの繋がりがあるような気がした。野尻のキャンプ場に容易く入り込めたような気がした。

キャビンは当時から変わらない

その時(大学2年時)は初めての一人旅でゼミ合宿直後にインドに行く為、MILETTのバックパックを背負っていったように思う。

今やそのバックパックは長い付き合いとなり、一緒に世界中を巡った。今やボロボロになったバックパックを初めて使ったのがこのキャンプ。つまりは、ちょうど20年前である。懐かしい・・

泳力チェック

初日の到着後は水辺のアクティビティのルール。ロープワーク。艤装などを学生ボランティアスタッフ(駐在さん)から教えてもらった。ヨットに初めて触れたのは野尻だった。

ディンギー

その当時(二十歳前後の頃)、経験のないことや失敗すると恥ずかしいことには気後れしていたように思う。そのような状況はキャンプ中の水上のアクティビティーでも僕が感じさせたのか、駐在さんが僕に対して丁寧にサポートして下さった。しかも、一つ一つ褒めてくれた。

出来ていると認められれば、小さなことでも自信に繋がる。

野尻湖湖畔

ゼミでは、池田真朗先生の「スタートライン債権法」を皆で読み込んだ。齋藤孝先生の「三色ボールペンで読む日本語」のメソッドを取り入れており、とても大事なところは赤。大事なところは青。主観で面白い、すごいと感じたところは緑。

三色ボールペンで読む日本語の齋藤メッソッドでは、心動かされたところに関しては、緑でアンダーラインを引いた。お互いの考えや理解を時間をかけて確認しあった。

まきの山

キャンプ中のプログラムは、午前はメインホールでゼミ。午後は水上のアクテビティを4泊(?)くらい続けた。

そして、夜はゼミの先輩ともいろいろと語った。

キャンプファイヤー

自由に語っても、受け入れてくれる。もしくはポジティブなリアクションをくれる先輩や同期がいた。

自分の所属するコミュニティからポジティブなリアクションがあれば「受容されている」と感じ、安心を得て自分の考えを(自由に)述べることができるようになる。

自分がされて、嬉しいことを向き合う相手にもすべきだ。

まずは、人間関係の構築ありきである。

ゼミでは「自由に意見を述べる環境」がキャンプやゼミ活動を通じて出来ていた。お互いが疑心暗鬼であれば、相手に対して深入りはせずに表面上の付き合いしかできない。

その点でいえば、ゼミ生それぞれが表現者であったように振り返れば思う。僕らのゼミは(恩師を含めて)個性の塊である。

東京YMCAは1932年に日本における最初の長期キャンプ(野尻学荘)を開催した公益団体だ。アメリカのYMCAでは、体を動かしながら人間関係を形成して行く為にバレーボールやバスケットボールのスポーツを考案した歴史もある。

そのYMCAの教育理念の一つに、「違いを認め合って共に生きる」ということがあげられている。社会生活において、違いを認めて生きることは大事だ。ゼミの恩師も「感謝と賞賛」という言葉を何度も聞いた。

お互いを認め合うことから、人間関係ははじまる。

キャンプファイヤーのあと・・

知識は忘れることもあるが、同じ時を仲間と共にした時間を忘れることはない。

僕が学生の頃、仲間との語らいを振り返ると結論のない議論に価値があったように、今振り返ると思う。損得勘定のない議論は、今振り返ると尊い。

社会に出ると、具体的に詰めて行く議論が多い。ビジョンや目的・目標については組織のトップ(上長)が決めていて、それを具体的に現場に落とし込む議論ばかりを日々の業務としては行うことが多い。

結論のない、議論。何気ない、景色。

そんな野尻の思い出。

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