Y

言語化のリハビリとして https://instagram.com/yyyyyy19…

Y

言語化のリハビリとして https://instagram.com/yyyyyy1968

最近の記事

人が写真を撮る姿というのは根本的にみっともない。俳優とかスポーツ選手とか職業人の姿に見出せる美がない。写真を撮る人というのは、必要に迫られてそれをするのではなく、眼差す欲望を隠さなくなった人である。最近はその恥ずかしさに潰されそうになりながら写真を撮っている。

    • 踊る指揮者

       生まれてこの方ダンスや舞踊といったものに興味がなく、その良さというか良し悪しがあまりわからず、小学校の運動会とかレクリエーションで自分自身が踊るのも不得手で、身体を動かす表現というものに自分は興味が無いと思い込んでいたが、そんなことは無い、身体表現というものはとても面白いかもしれないと思い始めたのは、クラシック音楽を本格的に好きになってからだった。 見るものとしての指揮者  クラシック音楽の中の身体表現というとバレエかオペラになるんだと思うが、そういうことではくて、クラ

      • 2022.4.15 ブローティガンの『東京日記』を読んでいる。ブローティガンが日本に興味を持つ過程を知って、ある世代以上の日本への好意には戦争が介在していたんだなということに今更ながら思い至る。当然といえば当然だとしか言いようがないが。

        • 写真と映画、もしくは被写体の選択とフレーミングについての個人的な雑記

          2021年5月ごろに、所属している大学の映画サークルの機関紙のために書いてくれと言われて書いたものを公開します。今はこの文章を書いた頃に比べて180度近く思考が転回しているなと思うし、思い上がりと青臭さに塗れていてなんだこれはと思う部分もありますが、取り敢えず考えたことの痕跡として載せてみます。 以下本文↓  大仰なタイトルかと思いきや最後に「個人的な雑記」と付している通り、写真なり映画なりの撮り方のノウハウを書きたいと思っているわけではなく、よもや理論を論じようとしてい

        人が写真を撮る姿というのは根本的にみっともない。俳優とかスポーツ選手とか職業人の姿に見出せる美がない。写真を撮る人というのは、必要に迫られてそれをするのではなく、眼差す欲望を隠さなくなった人である。最近はその恥ずかしさに潰されそうになりながら写真を撮っている。

        • 踊る指揮者

        • 2022.4.15 ブローティガンの『東京日記』を読んでいる。ブローティガンが日本に興味を持つ過程を知って、ある世代以上の日本への好意には戦争が介在していたんだなということに今更ながら思い至る。当然といえば当然だとしか言いようがないが。

        • 写真と映画、もしくは被写体の選択とフレーミングについての個人的な雑記