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自分の上位互換がたくさんいる世界で

https://note.mu/mossann298/n/nede211a019bc

(今朝の一連のツイートを手直ししたものになります)

創作の統一プラットフォーム(Pixiv,なろうなど)と初心者の問題

創作は楽ではない。とくに他者との折り合いが重要だ。

この記事に書いてあるとおり、創作の統一プラットフォームは神作家以外にはそんなにいいものじゃない。インターネット黎明期の、各作家のウェブサイトに作品を見に行く形式は読者の手間がかかる一方で、創作への参入障壁が高いから、逆に参入してしまえばある程度の反応というのはあった。

統一されたプラットフォームはネット黎明期よりも参入・参加障壁(それぞれのサイトを一つずつ訪れる「めんどうさ」のこと)を減らして読み手を増加させたものの、いくらかの作り手にとってこれは福音ではなかった。快適な基盤はもとのシマ(サイト)で形作られていた仲間という概念をブチ壊し、P2Pで作り手と読み手を容易に結ぶ、純粋で理想的な自由競争市場を作り上げた。「純粋で理想的な自由競争市場」というのは選択と集中がオートで行われるフィールドで、増加した読み手はあらゆるジャンルの隅々に浸透せず、彼らの「選択」する人気ジャンル、人気作品、人気作家に「集中」した。

一方でそういった「選択」を受けなかった人々も、自らのサイトというプラットフォームや「めんどうさ」という障壁・不自由の加護を剥ぎ取られ、創作を続けるためにこちらも統一のプラットフォームに移住せざるを得なくなった。彼らにとってこれは、出エジプトではなくバビロン捕囚――悲劇の始まりである。

pixivにしろなろうにしろ、創作者に対する承認の保証は一切無い。作品を発表してわかるのは「ああ、誰も見てないな……」ということだけ。もちろん実力が認められれば相応の人気がつくんだけど、そこに辿り着くまでのひよっ子に対する保護が一切ない

問われているのは才能の有無で、これがあればひよっ子期間を高速ですっ飛ばせる。残念ながら、統一のプラットフォームはひよっ子を大量に殺戮しながらも、才能ある者たちによって持続可能性が保たれている(つまり、放っておいても先細りして自滅する見込みはない)らしい。

『これ、俺が書く意味ある?問題。』

「これ、俺が書く意味ある?問題。」は「これを自分が書く意味があるのか」という論理的な問いではなく、承認の不足を示している。この手の疑問は、一定の数の人々の支持が得られると「よくわからんけど、みんないいって言ってくれるから」と、消える。とにかくもりくぼ氏(冒頭の記事を書いた人)に言えることは、ss書きに自尊心をbetするのはやめとけということ。書いても書いても誰にも響かない状況は、穴を掘っては埋める拷問にも似たものがある。

自分語り編:なろうをやめた経緯

創作を始めたのがいつだったかは覚えてないが、なろうに登録したのは13歳になった頃だと思う。あの頃は好きなラノベを読んでは、そのデッドコピーみたいなのを書いて投稿していた。文体も構成もクソもない、いまよりもっとひどい文章だったけど、確かに楽しかった。

だけどその楽しさが薄れてくると、PVなどの数字に目が行くようになって、書くのがつまらなくなってくる。そんな15歳のとき、次季アニメ一覧からウェブ小説原作作品の作者を調べていたら、僕よりも後にデビューしていた作家を見つけた。当時はPSO2(オンラインゲーム)にのめり込んでいたし、心がポッキリ折れた……なんてことはなかったけど、潮時かなと薄々感じるぐらい。なろうをやめるのは決定事項として、創作を続けるのか続けないのか、続けるにしても抜本的な見直しの時期に来ていた

まず最初に試みたのは、創作の体裁を変えること。文章じゃなくて絵とか音楽とか、他のコンテンツならいけるかなと思ったけど、どうも文章以上にしっくり来るものはなかった。絵心はないし、音感もない。試みは無用に終わったけれど、自分の創作に対する態度を見直す機会にはなった。僕が文章で物語を書くのは文章というフォーマットが好きだから、また自分が得意とするところであるからだと認識した。気分さえ乗れば、締め切り当日に四〇分で書いた弁論大会の原稿も先生に褒められるものになる。
そこでこう決めた。なろうはやめるし、ああいうプラットフォームは二度とやらない。顔も知らない他人のPVのために書くことはやめて、毎朝顔を見る自分のために書く。楽しいから書くし、楽しくないなら書かないでゲームする。作品を作ったり、あるいは他人に見せるために書くわけでは断じてない。

そんなわけで、僕は高校の3年間、誰にも作品を公開せず書き続けた。「まし」な方を選択してきた僕にとって、最初の「正しい」選択だったと思う。自分の作品に根気良く向き合う気力や、納得行くまで何度でも、何万時でも書き直す胆力がついた。

寒気がするほど薄っぺらで、人気のために他人に媚びる舐め腐った展開やストーリーのオブジェクトでしかないキャラクター、読みやすいというよりは単純なだけでなんの味もしない文体、そういうものを全部叩き直して、以前よりはマシにした。

上位互換ではなくデッドコピーしか書けないなら、オリジナリティを求めたほうがいい
たったひとつのオリジナルであることを探すのではなく(そんなことに意味はない、他人を気にしている時点で)、創作の主権を他者から自分(オリジナル)のもとに奪い返す、という意味で。

それから、僕が創作で何をしたいのかを問い直した。僕は読者と対話がしたい。内容は問わない、それこそ社会問題から好きな食べ物、架空の戦術や都市計画、歴史や政治でもいい。その物語そのものについてでもいい。
書き手も読み手も、同じ作品の世界をそれぞれ観察している対等な観察者に過ぎない。物語は僕のものではない。僕は巫女をやっているだけ。公式と解釈違いしていいし、ここが気に入らないとかここはこうじゃないかとか言ってくれると嬉しい。作者の読者に対する作品世界への優越性を僕は認めない。
従うかどうかは別だけど、一見「オレに媚びろ」と言っているようにしか思えないような好みの要求も歓迎する。それは作品を軸にした、本人との対話だから。顔のない仮想の群体である「読者」とやらではなく、正しくそこにいる君と話がしたい。それが叶っているから本望だ。

終幕: 創作のモチベーションを失ったら

とやかく言ったが、別にここまで確固たる(当社比)意思と理屈がある必要はない。僕は自分の創作の態度を見直してからもう5年も経ったから持論が固まってきただけで、要は「なんのために書くのか」を考えたほうがいい、というだけ。答えは破綻していてもいいし、笑われるようなものでもいい。尊いキャラが書きたいとか、作家になって一山当てたいとか、あるいは単に書き続けていたいとか。

「なんとなく書きたい」なら、それでも十分だ。とにかく自分の答えに従って、これからも創作を続けるのか、体裁はそのままでいいのか、発表するのかどうか、どこで発表するのかを考えるといいと思う。小説をやる人は僕と同じ仙人コースもおすすめだ。ほらこっちおいで。

以上。

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