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言葉の話から巡り巡って初恋の話。

「いい」と「いや」の2種類の思いしかなかった赤ちゃんに、様々な人間が関わって様々な感情が生まれる。


恋愛を通してしか得られない微細な感情の襞や、誰かに怒られたり許したり、憧れたり諦めたり妬んだり…
それらの様々な経験の上を通過することで、感情が発露し、その人の心の形を作っていく。生まれてからずっと家にいてはペラッペラのツルッツルになりそうだ。

かように経験というものがもたらす人間の厚みの醸成は計り知れないわけだが、経験の次に人の本質に影響を与えるのは「言葉」であろう。

日本人のモノ作りが優れていたり、頭脳明晰なところが少なからんのも、その言語体系の複雑さに起因するところがあると踏んでいる。いつかのCMで見たが、日本語には「風」の呼び名だけで2000種類もあるそうだ。

経験と言葉を、見える&聞こえる「ハード」という共通項で無理矢理くくると、感情の襞や人間の厚みは「ソフト」という目に見えないものに準えられる。そしてハードがソフトを生み出すこともあると考えれば、呼び名の多さが人間の感情を醸成することもあるのだろう。
この自分でも意味の分かりにくいまとめの説得力を増すために、こんな話も添えておこう。

新約聖書の中の「ヨハネによる福音書」。その冒頭に記されたこんな(正に)福音がある。

はじめに言葉ありき
言葉は神と共にあり
言葉は神なりき

およそ2000年前から、こんなことに気づいていた人がいるという事実に驚かされる。

このダラダラと長い前置きを小学校低学年向けに語るならば、
「言葉をナメるなよぉっ!?」だ。


枕がだいぶ長くなってしまったが、結局言いたかったことは「とある文章を読んで、自分の中で言語化出来ていなかった感情をハッキリ自覚させてもらえて、そのことによってまた感情のほうを深いものにしてもらえた」という経験をお話ししようと思った、ということである。
こんな文章だった。


僕の知人で、大阪で仕事をしていた人が、ある日突然東京に引っ越しをしてしまった。仕事の都合かというとそうではなくて、むしろ自分のつちかってきた地元の畑をみすみす捨て去ることになる。東京に友人がたくさんいるわけでもないし、食べていくうえでも生活の上でも得なことはひとつとしてない。それなのにどうして行くのかと尋ねると、知人は言い渋っていたがやがて、
「それは好きな人が東京に住んでいるからだ」
と答えた。
彼はその2、3年前にある女の子に非常に激しい片想いをしていた。が、いろいろな事情があってその想いは通じることがなく、相手の女の子は東京へ出て行ってしまった。
その後の風の便りによると、女の子は東京で恋愛をして、その相手と同棲するようになったらしい。
知人は、ひとり大阪に住み暮らして、もうそのことは忘れたものと誰もが思っていたのだが、それほど浅い想いではなかったようだ。

「そうやって幸せに暮らしているのなら、それはそれでいい。住所も知っているけれど、会いに行けるわけはない。絶対に行かないと思う。ただ、東京に住んでいれば、何100万分の1かの確率ででも、道でばったりあう可能性というものがあるだろ。その思いだけがあれば1日1日をやり過ごしていける。それに東京に行くといつもこう思うんだ。あの人が息を吐くだろ。僕が息を吸うだろ。それはつまりひとつの空気をやり取りしていることなんだ。雨がふったらその同じ雨に濡れるということなんだ。ホテルの窓から夜景を見たりすると、いつも思う。あの光の海の中の、どれかひとつが、あの人の住んでいる家の、窓の光なんだ、と。そう思っているだけで生きていける。大阪にいるとね、それがないんだ。ここには何もない。ここにいる間は生きてても死んでいるのと同じだ。だから、東京に住むことに決めた」

僕はこれを聞いて不覚にも落涙しそうになった。どうしようもない奴だ、とは思った。そんな糞の役にも立たないセンチメンタリズムをかかえていて、どうやって生きていくつもりなのか、と腹も立った。頭ではそう考えているのだが、体の奥のどこか不可視の部分がざわざわと揺れ動いて共感を訴えてくるのをどうしても止めることができなかった。


この「僕」は作家の中島らもである。
最近彼のエッセイ集を読んでこの文面を見つけたのだが、オレはこれを見て不覚にも落涙してしまった。

彼の知人の抱えるセンチメンタリズムがオレにはとてもよく分かる。決して、後ろ向きで過去にしか生きられない男の女々しさではなく、過去から今と未来を照らし続けるサーチライトのようなものなのだ。
この人物に負けず劣らず「地球上に生きている限り、たとえ0.00000000001gであっても引きつけ合う引力はふたりの間に存在する」などと夢想することもある。


オレにも圧倒的な高嶺の花がいた。
小学5年の時に初めて同じクラスになって、中学1年までの3年連続で同じクラスになった。教室でもマドンナ的存在のその子は「奈月ちゃん」という。それまでにもいくつかの小さな「好き」はあったが、本格的な初恋はこの人ということになる。

圧倒的な高嶺の花だったが、小5の時に男3女3のグループで一緒に自転車で遠出したこともある。後から思えば、このイベントで生後20年分の運を消費してしまうことになる。それほど圧倒的な高嶺の花だった。

10年ほど前、あまりに奈月ちゃんの夢を連続で見るので情緒不安定になった時期があった。
「あぁ! 今まで何度も君の夢を見た。いつも、今回は、今回こそは夢じゃないんだね! と思うんだけど、いつも朝目覚めて落ち込むんだ。でも! でも今度は、今度こそは本物の君に会えたんだね!」
という、この上なく切ない夢を何度も何度も見続けるので本当に発狂しそうになった。現実のほうを呪いそうになるのだ。

奈月ちゃんを最後に見たのは、地元で一番頭のいい高校に進んだ彼女に会えるかも、と忍び込んだ文化祭で見かけた時だった。偶然校庭で見つけて、一瞬だけ目が合って終わり。お互い友達も連れてたし、彼女の表情が変わることもなかった。

連続悪夢(本当はきっと幸せなのだが)の頃の発狂寸前の状態に「誰か、なんとかしてくれ」と思い始めたオレの脳裏には「病院」がかすかに浮かぶ。付けるクスリがあるはずもないことを知っていたオレにとって、解決策はひとつしかなかった。

彼女を「歌」の中に仕舞い込むことだった。

その歌を作っている間、幾粒もの涙が流れ、なんとか病を乗り越えた。面白いもので、その苦しみは小学生当時の恋煩いのそれよりも何倍も酷いレベルだった。大の大人がひとつの歌、それも自分の産んだ歌によって救われた。

なかなかここまでの拗らせ経験のある人間はまわりにおらず、1冊の書物の中に友を見出した気持ちになった。この読書経験が、言葉は経験に次ぐ価値があると思うに至った次第である。


いくつかある夢のうちの大きなひとつに、いつか奈月ちゃんに会いたい、会ってあなたの歌を聞かせたい、というのがあったりするのだが…。
叶っても叶わなくても、そんな歌を生み出せたことは幸運以外の何ものでもない。

歌の名は「とある恋の歌」。
いつかここでもお披露目するかもしれない。



そう言えば、こちらも風の便りによると、奈月ちゃんは東京にいるらしい。




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