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蔦葛物語

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女性向けアダルトサイト「夜オンナ」で連載した作品を、管理のためこちらでもUPします。平安時代を舞台に、貴族の姫と従者の少年の恋を描くおねショタストーリーです。R-18。
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記事一覧

第一夜 蔦葛(つたかずら)

 平安の世の恋は、互いの顔も知らぬところからはじまる。
 侍女や召人たちから、聞くともなしに聞く噂。
 名も知らぬ姫君に、公達は名乗ることもせずに文を送る。時には歌を、時には一輪の花を添えて。
 いつしか、互いに文を送り合うようになる二人。やがて、公達は姫君のもとを訪ねる。
 御簾(すだれ)越しに二人は、言葉を交わし合う。幾度かの御簾越しの逢瀬の後、ついに姫君は御簾を上げる。
 公達は、御簾の中に

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第一夜 蔦葛 後編

 平安時代、親子でもなければ、諱(いみな)を呼び合うことなどなかった。だから彼女も、「蔦葛の方」とだけ呼ばれている。
 この時代、婚姻は通い婚であり、夫が妻の家に通うのが普通であった。そして男が、複数の妻を持つのも当たり前であった。
 女の生活は、普通、実家に支えられているが、実家の助けを得られぬ女にとっては、夫からの援助が、唯一のたつきの道であった。
 その夫の通いは、何ヶ月も前から途絶えている

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第二夜 拾(じゅう) 前編

 明治になって西欧から持ち込まれるまで、日本にキスという概念は存在しなかった、と思われがちだが、江戸時代の春画には、キスの描写が頻繁に見られる。(ディープ)キスは、「口吸い」と呼ばれ、挨拶や愛情表現ではなく、性技の一つであった。
 しかし、さらに遡(さかのぼ)った平安時代。
「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」
 の歌で知られる、絶対権力者であった藤原道長の手紙には

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第二夜 拾 後編

 俗に、
「男は上淫を好み、女は下淫を好む」
 と言う。
 男は自分より身分の高い者に欲情し、女は身分の低い者に欲情する傾向がある、という意の言葉である。
 上淫を好んだ男の代表としては、かつて自分の主君であった、織田信長の姪である茶々(淀殿)を第二夫人にした豊臣秀吉が挙げられる。
 下淫を好んだ女の代表に挙げられがちなのは、「江島生島事件」で知られる、江戸時代の大奥の御年寄、江島であろう。彼女は

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第三夜 御簾(みす) 前編

 平安時代の、貴族の邸宅の屋内は、現代風に言うと、ワンルームマンションである。
 だだっ広い一部屋を、「几帳(きちょう)」と呼ばれる、自立するフスマのようなもので仕切って使う。
 寝室は、「御帳台(みちょうだい)」と呼ばれる、天蓋付きベッドのようなものの床に畳を敷き、その上で直に寝る。
 その御帳台を室内と隔てるのが、「御簾」と呼ばれる簾(すだれ)である。
 姫君が御簾を上げ、公達を招き入れるとい

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第三夜 御簾 後編

 乳房のことを「おっぱい」と呼ぶようになったのは、近世、だいたい江戸時代頃からのことであった、と考えられている。
 語源は、「をを、うまい」という感嘆から来た、という説、「お腹いっぱい」の「いっぱい」が転じたとする説などがあるが、いずれにせよ、最初は幼児語であったものが、やがて大人も使うようになった、とするのが一般的である。
 乳房を吸う時、大人の男も、子供に帰るのだ。

 私にしっかりとしがみつ

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第四夜 高灯台 前編

 平安の夜にも、照明はあった。台座に柱を立て、その上の油皿に菜種油を満たし、浸した灯心に火を点けて、夜の明かりとするのである。柱が高く、広い範囲を照らすものを高灯台、柱を低くして、手元を照らすものを、切灯台と呼んだ。
 現代の照明はもちろん、ロウソクよりもさらに暗い明かりであったから、互いの顔もよく見えなかったであろう。だが、恋人たちには、そのほの暗さが、かえって好ましかった。

 私に叱られたか

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第四夜 高灯台 後編

 古代の日本では、おそらくは神話の時代から、女陰を「ホト」と呼んだ。字は御陰、陰所、女陰、含処、陰、火陰、火戸、火門など、様々な表記がある。この物語の舞台である平安時代には、「鮑苦本(あわびくぼ)」などとも呼ばれた。形状が鮑に似ているからであろう。
 日本神話において、天照大神が天の岩戸に隠れた時、アメノウズメは
「胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと)に押し垂れき」
 つまり、乳と女陰を露わにし

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第五夜 美斗能麻具波比(みとのまぐはい) 前編

 平安時代、下人(召人)に、人権はなかった。下人は貴族の財産とみなされ、所有物である下人の生殺与奪の権は、その主人が握っていた。
 ただし、財産であるがゆえに、下人を巡って争いが起きることもしばしばであった。他人の財産を傷つけることは、所有権の侵害だけでなく、名誉への侵害をも意味したからだ。
 平安時代から室町時代にかけて、下人の所有権を巡るいさかいや、下人同士の争いをきっかけにした貴族(武士)同

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第五夜 美斗能麻具波比 後編

「『古事記』に諾冊二尊が美斗能麻具波比(みとのまぐはい)を為し給へりと云ふ事あり。「美斗」は御所(みと)(寝室)にて、「麻」はうまく、「具波比」はくひあひ(交接)の意なりと云ふ」
 神々がまぐわって、この国は生まれた。

 太古、日本を造られたイザナギとイザナミが交わった時、まずイザナミの方から誘い、そのためにヒルコという異形の者が産まれたという。
 私から誘うことで、二人の関係は、何か正しくない

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第六夜 几帳(きちょう)の綻び 前編

「吸茎」(きゅうけい)とは、フェラチオのことである。他に「口取り」、「雁が音」、「尺八」、「千鳥の曲」などとも言う。
 日本でいつ頃から、この行為が一般化したのかは定かではない。平安時代に書かれた「日本霊異記」には、天竺(てんじく、インド)でのエピソードとして登場するから、その頃はまだ珍しかったのかもしれない。いずれにせよ、江戸時代の文献には、普通に出てくるので、その頃には一般化していたのは確かで

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第六夜 几帳の綻び 後編

 基本的にワンルーム構造であった平安貴族の邸宅は、生活に便利なように、几帳をはじめとする、さまざまな屏障具(へいしょうぐ)で仕切って使われた。屏風や障子(現代の襖。木枠にはめ込んだり、自立する脚をつけたりして使う)は我々にもなじみがあるが、几帳は、せいぜい神社の拝殿で見たことがあるかどうか、というくらいであろう。
 几帳とは、壁代(かべしろ)と呼ばれる帷子(かたびら)を衝立状にしたもので、わかりや

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第七夜 とりかへばや 前編

 平安時代の女性の装束と言えば、まずは「十二単衣」(じゅうにひとえ)を想像されるであろう。袴、単(ひとえ)、袿(うちき)、打絹(うちぎぬ)、表着(うわぎ)、裳(も)、唐衣(からぎぬ)と、重ねて着るので、十二単衣と呼ばれた。本当に十二枚着ているわけではない。
 この十二単衣、またの名を裳唐絹(もからぎぬ)は正装であって、ハレの日や、宮廷に出仕する時などに、身分の高い女性が着るものであった。
 平時の

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第七夜 とりかへばや 後編

「とりかへばや物語」とは、平安後期に成立した物語である。女性的な性格の男児と、男性的な性格の女児がいた。どちらが兄か姉かについての記述はないから、双子だったのかもしれない。
 彼らはその性格のまま成長し、男児は女房として宮廷に出仕、女児も若君として宮廷に出仕する。そしてそれぞれ、正体を知った相手と恋に落ち、女児はついに身ごもってしまい、男児も正体がバレそうになって、窮地に陥る。
 結局彼らは、互い

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