父の10年日記

私の父は、寡黙で厳しい父だった。
テレビは夜8時まで。ゲームは禁止。なので家にはゲームボーイすらない。当時「親ガチャ」なんて言葉があったら、悪い子供だったので多用していたかもしれない。
しかしそんな父のことを嫌ではなかった。父は昔から少し異質なオーラを放っていて、なんとも言えない威圧感があった。それが怖いこともあったが、安心材料でもあった。
父が普段どんなことをしているのか知りたくて、たまに父の書斎に忍び込んではその生体を理解できず撤退することを繰り返していた。

ある日いつものように父の書斎に忍び込むと、綺麗に整頓されていた父の机の上に、1冊だけ、大きくて分厚い本が置かれていた。
父が家にいないことを確認し、重い表紙をそっと開く。それは、10年分の出来事を記すことのできる日記だった。

『4/20 玲子が新学期早々学校で整理整頓ができないと怒られたようで、お母さんはカンカン。俺も怒ってしまったが少し後悔している』
『7/14 玲子の通信簿はほとんどイマイチだが、美術だけはいつも5だ。小さい頃から玲子は絵を描くのが好きだったからな』
『10/11 玲子の10回目の誕生日。今はまだ小さいけど、あっという間に大人になっていくんだろうな』
そこに記されていたのは、父が記した私への本音。
全ての日がさっぱりと簡潔に書かれていたが、走り書きの万年筆の筆跡からは父の体温を感じ、私が見たことのない父の姿が浮かび上がってきた。

それからというもの、私は自分の身に何かあるたびに、あの日記のことを思い出していた。
中学に入り、携帯の使いすぎで父に無言で真っ二つに折られた日。
高校で成績不振により進路が決まらなくて父が学校に呼び出された日。
希望の大学に行けなかった日。
就職し、家を出て行った日。
「お父さんなら今日のこと、なんて書いてるんだろう。」
父はいつも必要以上に何も言わなかったけど、書斎の机の上にはいつも、あの大きくて分厚い本があることを私は実家を出るまで知っていた。

月日は立ち私は大人になり、人生のパートナーを見つけた。
コロナ禍真っ只中の結婚だったこともあり、式は行わずにフォトウエディングという形で残すこととした。
結婚して1年以上過ぎ、先日やっと撮影を行った。撮影当日は兄弟や母が大はしゃぎしていたが、父だけは撮影が終わるまで遠くの椅子にちょこんと座って、わたしたちの姿を見ていた。

最初に書斎で10年日記を見つけて20年が経った。
10年日記2冊分の間で起きた様々ことを見比べながら、今日のことをなんと記すのだろう。そんなことを考えながら、私もまた、座ってこちらを見る父の姿をずっと見ていた。

その日の夜、私は実家のLINEグループを抜けた。式のようなものを行い気持ちが変化し、必要以上に実家と関わるのは辞めにしようという、私の小さな決断だった。
兄弟によると、父は未だ私がグループを抜けたことについて何も言及していないそうだ。
でもこの前実家に立ち寄った時に、あの大きくて分厚い本がまだ書斎の机の上にあったことは確認済みだ。
次の10年は私が自分で紡ぐ。朝になり、私はamazonで10年日記の購入ボタンをクリックした。

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