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何を信じるか?

1996年に起きた在ペルー日本大使館公邸人質事件の様子が、テレビで放送されていました。

予告編(TBS「10/18(水)『ワールド極限ミステリー』)
https://youtu.be/9VPNWi_a2xU?si=hJq2gbo3D__r3Lgq

日系人が世界で3番目に多いペルーの首都リマで、天皇誕生日の祝賀パーティーが開かれていた日に武装したテロリストが大使館に侵入。

実に127日間、人質600名以上(ほどなく女性と70歳以上の男性 約200人は解放、うち日本人の人質は24名)、ペルーの武装組織MRTAによるテロでした。

テロリストは、14人。うち、20歳と16歳の女性が2名・・・

昔、この事件を知ったときは、日本人が全員無事でよかった!としか、思いませんでしたが、今は、少し違う視点、テロリスト側の意識でも見られるようになりました。

もしも自分の大切な仲間が逮捕されて、その釈放を求めるために、大使館を占拠するしかないとしたら…

もし、自分の息子や娘も、若きテロリストとして戦わざるを得ないとしたら…

テロリストのリーダーは「政府が突入してきたら、人質を全員殺せ‼️」と言っていたそうですが、

日本人の人質担当だった16才の少女は、ひとりも殺さなかったそうです。

なぜ若きテロリストは、日本人を殺さなかったのか?

番組内でインタビューに答えていたのは、実際に事件の人質となった酒井芳彦さん(当時 ペルー 味の素 社長)。

人質とテロリストとしての出会いではあったものの、4ヶ月の間、若きテロリストと心の交流を心掛けていたとの事。

例えば「おはよう」「ありがとう」の声かけ、ラジオ体操、赤十字から差し入れられた日本食の弁当やカップヌードルを共に食べ、一緒にピアノまで弾いたそうです。

特に保存のきくカップヌードルは、美味しい!といって、若き女性テロリストも自分のリュックにたくさん詰め込んで「これが終ったら田舎の家族に食べさせたい」と話していたそうです。

残念ながら、彼女が田舎に帰ることはありませんでした。

事件の最後には政府の特殊部隊が武力突入して、14名のテロリストは全員、命を失いました。

人質1名、特殊部隊2名も、命を失いました。

私は、情熱クラブのサバゲー部に参加しています。戦場さながらの場でエアガンというおもちゃの銃で撃ち合いをします。

非日常的な空間で、いつどこに相手が潜んでいるかわからない、緊迫した空気を感じつつも、攻撃の足を止めることなく進む・・・

その経験は、平和ボケしていた私にとって、非常に大切な経験です。

高校3年生の次男も、サバイバルゲームが好きなので、一緒に参加させていただくこともあり、ペルーの人質事件で貧しい田舎からなかば強制的にとはいえ、お金が欲しくてテロに参加させられた若者たちのことを想うと、他人とは思えないのです・・・

夫の国バングラデシュには、今でも町中に実銃を持った軍人さんがいます。

つい数年前にも、日本人がテロリストによって命を奪われる事件も発生しています。

本当の戦場にルールはありません。どんなに卑劣なことをしても、されても、命を落とせばそこで終わりです。

生きながらえたとしても、仲間の死を背負い生きる、戦場の苦しみや傷は、体からも、心からも、消えることはないのです。

サバイバルゲームで体感したことによって、人質事件の武力突入の映像が、非常にリアルに感じられるようになりました。

人質として九死に一生を得た酒井さんは、事件が風化しないようにと、講演会もされているそうです。

そして「日本人としての誇りを持ってほしい」と話していました。

酒井さんのいうところの「日本人としての誇り」とは、なんでしょうか?

世界的にも戦争の火は消えることなく、むしろ緊張は高まっています。

日本も少子高齢化で外国人も年々増えて、インフレにより世の中も物騒になってきています。

海外ではなくとも、日本国内で、テロや事件に巻き込まれる可能性も、決してゼロではありません。

いや・・・もしかしたら、私たちがはっきりと認識していないだけで、すでに「とても緩い状態の人質状態」なのかもしれないです。

では、この社会で「日本人としての誇りを持って生き延びる」には、どうしたらよいのか?

答えはひとりひとりがよく考えて、動いて、備える事だと思いますが、私の参加している「情熱クラブ」では、日々、仲間たちが社会をよりよくするための活動をしています!

いま、オンラインサロンやコミュニティもたくさんありますが、私が情熱クラブを選んだ理由は、たったひとつ。

それは、発足者である関暁夫さんが「本気で生きる人集まれ!」と号令をかけていたからです。

このクラブに入れば「本気で生きる仲間」に出会える!と思い、入会させていただき、素晴らしい仲間たちと活動することができています!

私は20代の頃から、代替療法といって病院や現代医学で治らない方々の来るところで広告デザインの仕事をしてきました。

末娘が生まれた40歳の頃からは、オンラインの占い師として毎日、悩んでいる方々の相談に乗っています。

人生はひとそれぞれ、悩みも人それぞれ、描く未来もそれぞれですから「何を信じるか?」も、人それぞれでよろしいかと思います。

私は「本気で生きる仲間を信じる」と決めて本当に良かったと思っています。

もしも、この記事を読んで、何かを感じてくださる方がいましたら、ぜひ「情熱メディア」をご覧ください。

仲間たちの活動報告がたくさんたくさん書かれております!

そして、願わくは仲間として一緒に活動できますように。情熱クラブでお待ちしております。

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